第29話 春の大掃除と魔法士制服
春の空気は、冬とはまるで違う匂いがした。
森の湿った土と、柔らかい草の匂い。
窓を開けると、冷たくない風が部屋に流れ込む。
「今日は大掃除をします」
朝食のあと、私は宣言した。
師匠が少しだけ眉を上げる。
「大掃除?」
「はい。春ですし」
「春だな」
「冬の間に溜まった埃とか、普段やらないところを全部やります」
森の家は、見た目だけなら立派な民家だ。
煉瓦に白い漆喰の壁。雨を防ぐしっかりした造り。
でも、どこか変だ。
玄関だけ妙に豪華で、屋根は質素。
窓ガラスは綺麗なのに、窓枠の高さが少しずれている。
台所の棚は高すぎるし、寝室の天井はやたら高い。
生活に必要なものは全部あるのに、「暮らしやすさ」という発想が少し足りない。
この家は、師匠が魔法で作った家だ。
雨風を防ぎ、暖炉があり、水が使えて、本が読める。
それで十分だと考えた家。
でも――
私は少しずつ、この家を「暮らしやすい場所」に変えてきた。
私は腕を組んで家の中を見回した。
生活するための部屋は大きく四つ。
暖炉のある居間兼台所。
本棚と机が並ぶ勉強部屋。
そして寝室が二つ。私の部屋と師匠の部屋。
それに加えて、小さな物置部屋がある。
「まず役割分担です」
指を折りながら言う。
「家の中は私がやります。師匠は外回りをお願いします」
「外回り?」
「薪置き場の整理と、井戸の周りと、庭の落ち葉掃除と、あと物干し台の補修」
師匠は一瞬黙って、それから小さく息を吐いた。
「……多いな」
「冬の間に溜まってるんです」
私はほうきを持ち上げる。
「では開始です」
師匠は少しだけ口元を緩めてから、外へ出ていった。
まずは居間から。
床を掃くと、思っていた以上に埃が出る。
冬は窓を閉め切ることが多かったからだろう。
暖炉の周りを丁寧に掃く。
灰受けを外に持っていき、中身を捨てる。
煤で少し手が黒くなる。
(冬、長かったなあ)
そんなことを思う。
次は棚。
食器棚を一度空にして、布で拭く。
鍋も並べ直す。
魔法でやれば一瞬だが、今日はあえて手でやる。
なんとなく、その方が気持ちがいい。
次は勉強部屋。
机の上には魔法教本と紙の束。
魔力制御の練習に使った色石も箱に収まっている。
本棚の上に手を伸ばすと、指に埃がついた。
「うわ……」
椅子を持ってきて上に乗る。
布で本棚の上を拭く。
細かい埃がふわっと舞う。
窓を開けると、春の風がそれを外へ連れていった。
寝室は一番大変だった。
冬用の毛布を外に運び、干す。
布団を叩いて埃を払う。バン、バン、と音が森に響く。
途中で外を見ると、師匠が薪置き場を整理していた。
無言で薪を組み直している。
なんとなく、ちょっと面白い。
(ちゃんと掃除してる)
普段は研究か修行ばかりの人だから、こういう姿は新鮮だった。
最後に物置部屋。
ここが一番の難所だった。
普段あまり開けない部屋。箱がいくつも積まれている。
「よし……」
袖をまくる。
箱を一つずつ外へ出して、埃を払う。
中身を確認して戻す。
中身のリストを書いて、箱に貼る。
文字が書けるって、いい。便利。
乾燥させた薬草の束。
古い調理道具。
壊れた魔道具の部品。
空の瓶。
師匠の生活の時間が詰まっている場所だった。
そして――少し重い箱を持ち上げたとき、違和感があった。
(ん?)
床に置く。蓋を開ける。
中に入っていたのは――深い紺色のローブだった。
「……!」
見た瞬間、胸が跳ねる。
(これ、は……王宮魔法士の制服だ~~!)
漫画で見た王宮魔法士ヴァレリウス様はいつもこの服を着ていた。
(本物だっ……‼︎)
王宮魔法士が着る正装。
魔力を通しやすい特別な布で作られているんだったっけ。
丁寧に折り畳まれていて、布はほとんど傷んでいない。
大切に保管されていたのがすぐに分かる。
思わず、指で触れる。
滑らかで、しっとりとした手触り。
魔力が通りやすい加工がされているのが、触れるだけで分かる。
(これを着て、王都で……)
思わず想像する。
王宮の広間。魔法士たちの列。
その先頭に立つ、黒髪の大魔法士。
(ヴァレリウス様……)
胸が少しだけ熱くなる。
想像してうっとりしてしまう。
この服を着ていた頃の師匠は、どんな顔をしていたのだろう。
そこで、ふと思う。
王都を追われたあとも、この服を捨てなかったということは――
(……やっぱり、王都に帰りたいのかな)
そんなことを考えてしまう。
その時。
「何をしている」
背後から声がした。
「ひゃっ!」
慌てて振り向く。
師匠が立っていた。
あわててローブを箱に戻そうとする。
畳み方が崩れる。
焦って余計にぐちゃぐちゃになってしまう。
「す、すいません!掃除してたら見つけてしまって……!」
手が止まる。
師匠は少しだけローブを見て、それから静かに言った。
「昔の服だが……大切なものだ」
短い沈黙。
「元通りに畳んでおけ」
それだけ言うと、いつもの調子で部屋を出ていった。
残されたまま、私はローブを見る。
(……大切なもの、か)
さっきよりも、丁寧に畳む。
折り目を整える。空気を抜くように布を押さえる。
元の形に戻す。
箱にしまい、そっと蓋を閉じた。
私は、どうしたいのかな。
師匠との暮らしがこのままずっと続くわけじゃない。
それはわかっているつもりだったけど。
いつ終わってもおかしくないんだと、思い知らされた気がした。




