10月11日 夕暮れ ~ 美緒 2/2
咲原は、幼い美緒が言葉を口にし始めた頃、いち早くその能力の大きさに気づき、大切に美緒を育てた人物である。
相手の能力の何たるか――、その質、強さ、大きさなどを計るには、通常、相手と同等か、それ以上の能力を有していることが必要だ。
だが、咲原の在りようは一風変わっていて、ある意味つかみどころがなかった。
自身が何らかの力を示すことはなかったが、のほほんとあるがままでいながら、成長期の子どもたちが不安定かつ突発的に放つどんな力にも、影響を受けることはない。
意図的な選抜をしたわけではないが、飛鳥の生徒には特殊な力をもつ者が少なくない。
その現状からすると、咲原は飛鳥の校長として適正があったと言える。
家族学校における校長というポジションは、各学校で意味合いが異なる。
飛鳥の場合、生徒九百人の世話役として二十人の職員がおり、校長は彼らの上司ではなく、相談役的な存在だ。
飛鳥では誰かひとりが決定権をもつことはない。すべては話し合いのうえで決定され、案件により、最適な生徒がリーダーシップを取るのが慣例になっていた。
生徒たちの父であり母であり続けた咲原も、今年還暦を迎える。
「美しいものはギフトよ。めったにお目にかかれないきれいな夕焼けは、素直に楽しまなくちゃ。これがどうやってできたにしてもね」
――校長先生も、生徒たちの仕業に気づいてるんだ。
アンテナをたてている気配のない咲原のセンサーがどうなっているのか、美緒には今もって謎だが、ここ数ヶ月感じてきたことは間違っていないらしい。
「成長期の子どもたちは不安定だから、突拍子もないこともしでかすわ。あなたもそうだったわよ」
美緒は覚えていないが、黙るしかない。
咲原は夕焼けのほうを見たまま続ける。
「大事なのは、あなたが揺れないことよ」
「……」
「あなたさえ乱れなければ、飛鳥も、生徒たちも、揺れることはないわ」
「どういう意味ですか?」
「考えてみて。自覚がなければ、何を聞いても飲み込めないでしょ」
――私も、生徒たち同様、無自覚に何かしでかしてるということ?
絵を鑑賞するように目を細めて夕陽を眺める咲原の横顔を見ても、何も読めない。
「ねえ、この空に転写して、あなたの内側を私に見せてくれない?」
幼い頃、咲原に乞われて時々やっていたことだ。
心の状態を映像にして空間に映し出すのだ。
美緒はうなずくと、目を閉じた。
外界を遮断して自分の内側に集中し、そこを拡大していく。
見る見るうちに、夕陽の左上の空の景色が変わり始める。
まるでそのあたりの空間が動いているように見えるが、物理的に変化しているのではないことは、美緒も咲原も承知だ。美緒の、言ってみれば心象風景を、見ている者が受け取っているだけなのだ。
夕焼けの景色はそのままに、西の空を透明なスクリーンとして、像が形成されていく。
そこに現れたのは、晴天を締めくくる夕焼けと同じ程度に明るい映像だった。
ただし、その色彩と様相は違った。
彩雲のピンク、オレンジ、赤、金だけでなく、銀、青、水色、黄、黄緑、緑、紫と、さらに多くの色が空を彩る。すべての色がパステル調で淡く柔らかい。
色合いはグラデーションのようには並ばず、水面に雫を落としたように、違う色の輪がそれぞれに広がり、やがて重なっていく。
それは、しなやかで曲線的な花火のようでもあり、幻想的な色の舞いのようでもあった。
「あいかわらず、柔らかい色合いね。気持ちがほぐれるわ。肩こりまで消えちゃった」
両肩を回しながら、咲原が満足げに微笑んだ。
「だから、大丈夫よ。何が起きても」
「……」
――やはり、今夜、何かが起こるのか……。
「今夜の転校生歓迎会、校長先生は欠席されるんですよね?」
「ええ。校長室でふたりに挨拶だけはするけれど」
ここのところ、咲原は体調を崩している。
美緒は玄関のほうへ戻りながら、夕焼け空にうっすらと滲んでいく自分の内側の残像に目をやった。
パステル調のやわらかい色彩――。
明るさなら、生徒たちがつくった今日の晴れ空と同じか、それ以上だ。
だが、この明るさは美緒本来のものであり、意図してであれ、無意識であれ、生み出されたものではない。
――校長先生は、これを私に意識させたかったのか?
咲原の考えだけは、美緒にも想像できなかった。
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