10月11日夕方 ~ 瑠奈 2/5
正確に言うなら、それは存在というより気配かもしれない。
あるひとつの気配が自分のそばにありさえすれば、瑠菜は満足だった。
物心がついた時にはすでに、それは、いつもぴたりと瑠奈のそばに寄り添っていた。
幼いながら、瑠奈は懸命にその姿を探し、たてる物音に耳をそばだてた。が、気配を感じることはできても、それは目には見えず、声を聞くこともできなかった。
でも、瑠奈に係わることすべて、一挙一動に注がれる想い、温かく見守っている視線、細かい指示までも、瑠奈は受け取ることができた。
災害孤児としてひとり残された赤ん坊だった瑠奈にとって、いつもそばにいて守ってくれる存在は、家族そのものだった。
片時も離れずに一緒に育った瑠菜しか、気配を感じ、意思疎通できる者はいなかった。
瑠奈だけのものであるその存在を、瑠奈は「ミカエル」と呼んでいた。
「あなたの仕業なんでしょ?」
瑠奈は、自分の部屋でひとり、ミカエルに問いかけた。
「電源を切っても画面が消えないなんて、そんなことできるの、あなたしか考えられないもの」
声や言葉としてではないが、いつもなら即座に応えるミカエルが何も返してこない。
あたりをうかがってみても、部屋はしんと静まり返ったままだ。
「どうしたの? 何か言ってよ」
耳がキンキンするほど神経を研ぎ澄ませているのに、何も感じ取れない。いや、感じ取れないのではない。むこうが黙っているのだ。
三年に一度の家族学校の転校の時期に、これだけしつこく何度も飛鳥の情報を送りつけてくるのだから、ミカエルが望んでいることは聞くまでもなかった。
わからないのは、最近、何か問いかけても返してこない、この沈黙の意味するものだ。
時間さえ止まった気がする部屋の中で、瑠奈は自分から口火を切った。
「転校しろ――て言ってるんでしょ? この飛鳥ってとこに」
沈黙が続くかと思いきや、近くで気配がうなずいた。
ホッと息を吐いたのを悟られないようにたたみかける。
「わかったわ。転校するわよ。すればいいんでしょ?」
とたんに近くにあった気配が柔らかくなり、空気の密度も軽くなった気がした。
こんなにミカエルの気配が如実に変わり、それがあからさまに伝わったのは初めてだった。
だが、なぜ強引なまでに瑠奈を飛鳥に転校させたいのか――、瑠奈には謎だった。
「転校するけど……、でも、どうして転校しなきゃいけないのか、ちゃんと説明してよね」
柔らかくほどけた気配が一瞬でぴんと張りつめた。だから、少し言い淀んでから、急いでつけ足した。
「気が向いた時でいいから……」
瑠奈は、すぐに転校の申請手続きに取りかかった。
そうやって望んだとおりに動いたというのに、ミカエルは次第に、何か考え込んででもいるかのように、話しかけても答えないことが多くなった。
時には、沈黙しているのではなく、丸ごと存在が消えている時もあるし、そばにいるのにギクッとするほど気配が薄いこともある。
今までこんなことはなかった。
いつもそばにいて、包み込むように寄り添っているのが当たり前だったミカエルの異変は、瑠菜にとって青天の霹靂、大事件だった。
瑠奈はうろたえた。
じっとしていられないほどの不安に、全身から血が引いてふらつくことさえあった。
――どうしたの? 何が起きてるの?
不安は問いつめる言葉になって口から溢れ出そうなのに、どうしても聞けなかった。
もし瑠奈が尋ねたなら、ミカエルはきっと、瑠奈の不安を感じ取って、瑠奈のために答えるだろう。
だから、聞いてはいけない。
瑠奈には予感があった。
その答は、瑠奈にも、ミカエルにも、辛い思いをさせることになる。
そのくらいなら――。
瑠奈は、そこには触れずにそっとしておくと決めた。
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