ep156 混迷する世界
数日前に意気揚々と出立した、魔の森への遠征軍を歓呼で見送ったトゥーレ人々は、今や大混乱に陥っていた。
これまで連戦連勝だった男爵軍が魔物との戦いに敗れ、男爵自身も傷を負っただけでなく、軍の中核となった精鋭五百騎までも失うという大惨敗を喫して逃げ帰ってきたからだ。
それだけではない、よほど恐ろしい目にあったのか実戦経験の少ない魔法士たちを中心に、無視できない数の兵士たちがPTSDに似た症状に陥り、帰還後も兵として約に立たなくなっていた。
更に……。
トゥーレの街には恐ろしい噂が広がり始めていた。
「俺たちは目覚めさせてはならない魔物の神を叩き起こしちまった!」
「あんな化け物がトゥーレを襲って来たら……。もうこの町は終わりだぁ!」
「その魔物は魔物たちの神で、これまで散々魔物を狩ってきた俺たちを怒っているらしいぞ!」
「長年魔の森に棲まう魔物から私たちを守ってくれた、駐留兵たちもみんな魔物に食われちまったんだってさ。恐ろしいことじゃないか?」
「あのルセルさまでさえ手も足も出なかったって話だよ。私たち……、どうなるんだろうねぇ」
「既に軍からも百人単位で脱走者が出ているらしいぞ? 俺たちもそろそろ潮時か?」
これらの噂は、緘口令が敷かれたにも関わらず、逃げ戻った兵たちの口から真しやかに語られていった。
片や領主である男爵は、人前に姿を現すことなく居館にこもりっきりとなった。
そして不幸は続く……。
もともとエンゲル草で暴利を貪っていた収益が一気に無くなっていたことに加え、何も得るものが無かった今回の遠征費用、亡くなった五百名にも上る兵士遺族に対する補償、魔の森に最も近い三か所の新規開拓値は逃散が相次ぎ一気に寂れてしまったこと、失った(逃げ出した)兵たちの補充として新たにかき集められた兵たちの費用など、男爵領の財政を圧迫する出来事が相次いだ。
ただ救いの手もあった。
多くの商会が男爵領を見限って撤退や規模を縮小し、代わりに躍進するフィシスに軸足を傾けるなか、疫病の際にガデルの街で救民活動を行い一気に辺境伯御用商会にまで上り詰めていたアスラール商会は、二つの提案をトゥーレの行政府に持ってきた。
ひとつ、戦災遺族への支援に商会として協力したいこと
この説明として、急成長しているアスラール商会では人手が足らず、夫を失い寡婦となった女性や子供たちを含む遺族を積極的に雇用し、手厚く保護することで遺族への支援を行い、財政難の男爵領に対する一助としたい旨が説明された。
ひとつ、過疎化が進む開拓地へのテコ入れに参加すること
人口減少の対策として、これまでアスラール商会が奴隷として買い集めた獣人や、借金奴隷であったヒト種を開放する代わりに、条件として新たに開拓地に『生存権』を認めて住まわせること。
これにあたり、この地域に限って獣人敵視施策の路線変更を願うものだった。
これらは財政難に喘ぐ行政府に受け入れられ、男爵もまた許可をした。
ただ彼の思惑は別だったが……。
「ふふふ、彼らも中々面白い提案をしてくるじゃないか。
亡くなった者たちを悲しむ足手まとい(遺族たち)が消えてくれば、無駄な資金を投じることもなく魔物に怯える噂も消えるだろうからね。
それに……、獣人たちを最前線の開拓地に入れて生贄にするなんてさ、僕じゃ思いつかなかった発想だよ。
そのためにも魔の森に最も近い二つの開拓地に限り、一時的に奴らの権利を認めてやるさ」
そう言って冷たく笑ったという。
ただその瞳は怒りの炎に満ちていた。
「奴め……、せいぜいフィシスでの一時的な勝利に驕っているといいさ。奴だってもう魔の森には手出し出来なくなったのだからね。
あんな化け物が居座っているんだ、魔の森の開拓どころではないさ」
そう、ルセルの元には彼しか知らないもう一つの失態、ラルスとゴラムに託したフィシスへの攻撃も失敗したとの報告が上がっていたからだ。
作戦を任せた二人と同行した魔法士たちは全滅、盗賊たちもほぼ生き残った者たちはおらず、何が起こったか詳細は分からない。
だが、『魔の街フィシス』の名は盗賊たちの間で真しやかに囁かれているらしい。
「こうなったら少し時期尚早だけど、次の段階に移るしかないかな。邪魔なレイキーやリュミエールを一気に排除したのちに僕は……」
そう呟くと怪しげに目を光らせていた。
彼の新たな策により、これから歴史の歩みは更に加速することになるが、そのことを知るものはまだ誰もいない。
◇◇◇ しばらく後 フォーレ
アスラール商会のネットワークは王国全土を網羅しつつあり、今やベルファスト王国を代表する大商会のひとつに挙げられるようになっていた。
フィシスに固定式転移ゲートが設けられて以降、商会長は気軽にフォーレにやって来ては商会を通じて得た新たな情報を俺たちにもたらしてくれるようになっていた。
「今回はご依頼いただいたことの状況報告と、それに対する追加提案の報告、あとは些細なお願い、最後に気になる報告がありまして……」
そう前置きして話し始めた商会長の顔は、いつもの『やり手』である商人顔だった。
ははは、何か企んでいるな?
そう思いつつも俺は淡々と応じた。
「依頼内容の進捗は順調ってことかな?」
「はい、夫や家族を失って悲しみに沈む家族は、我々が引き取ってフィシスへと運んでいます。
今のところ依頼された家族の七割ってところでしょうか?」
ははは、この短期間で七割もかよ、凄いな!
それとも声を掛けたのが、躍進の評判も高いアスラール商会だったから、かな?
「では第一陣の再会も間もなく、って考えてよいかな?」
餓狼砦で捕虜となったカーズやコージーたちは、その後はフォーレで暮らしている。
今はまだ『立ち入り区画制限対象者』だけど、徐々にその規制も解除していく予定だ。
第一弾として家族を呼び寄せる前提で移住希望者を募ったところ、コージーは真っ先に手を挙げてくれたし、隊長だったカーズは『移住は全ての者たちが意を決してから』との前提は付いたが、家族の呼び寄せはについては真っ先に願って来た。
さすが前回にも劣らない子煩悩だよな……。
「はい、家族たちにいきなり強い刺激を見せてもなんですし、一度フィシスで再開を喜んだあと、彼らの口からフォーレへの移住を勧めてもらいます。なんせフォーレも、今やアスラとの距離が縮まりましたからね」
「そうだね、今やフィシスは俺たちの出先機関、フォーレの一部みたいになっているしね。
フィシスからアスラまでも『送迎』を使えばすぐだし」
そう、新たな施策として始めたのは、フィシスに住まう者なら誰でも無料で利用できる、アスラまでの送迎馬車だ。
馬車は予め定められた時間に複数便が運航してフィシスからアスラを往復する。
もちろんフィシスの住民以外も馬車を利用できるが、そこはきっちり代金をいただく。
この運営もアスラール商会に委託していた。
「ええ、余った馬車や荷馬車を活用できますし、御者の育成にもなります。交易を引退した者からも『良い小遣い稼ぎになる』と喜ばれていますよ」
この世界では複数の領地を渡り歩き商売を行う交易商人の仕事は、ある意味でとても過酷だ。
常に死の危険と隣り合わせで、時には盗賊と出くわすこともある。それに、そもそもが長期出張だからね。
だが定期便の御者なら家族と共に一か所で定住すこともできる。
「それで……、許可を得て提案したトゥーレ郊外にある開拓地への入植なんですが……、奴隷として買い集めた者たち以外に、フォーレからも希望者を募って送り込んでも構いませんか?
こちらはあくまでも先導役と間諜の任を帯びてもらうので、人物は厳選しますが」
「その理由は?」
「どうやらリーム殿が与えた『薬』が効きすぎたようで……、向こうに行った傍から魔物の噂を聞いて『戻りたい』という者たちが出てきておりまして……」
「……」
餓狼砦の攻防で俺たちがやった偽装工作、この効果が大き過ぎたか……。
もちろんフォーレに住まう者なら、恐ろしい魔物の神なんて俺たちの創作だと知っている。
まぁ、実際には……、師匠や玉藻さんなど、実在するんだけどさ。
「幸いなことに開拓済みの土地はタダ同然の値段、税も低いので集団農場の形で商会も手を入れているんですが、そもそも働き手不足で……」
「うん、人選と運用は慎重に、その前提なら構わないかな」
いずれはトゥーレでも獣人の権利を復活させる。
そおの前段として、奴の足元に楔を打ち込む作戦の一つだ。
「それと……、男爵領でまた税が増えました」
ははは、今回で三度目か。
やっぱりそうなるよな。エンゲル草のぼったくり商売はできなくなったし、そもそもトゥーレ産のエンゲル草は全く売れない。
そんな中で色々な事情が重なったもんな。
奴は苦肉の策として、トーゥレ産の薬を新薬(王都経由で卸されるフォーレ産)と偽って売り始めたが、直ぐにアスラール商会が市場に『本物』と『偽物』の見分け方を周知したからね。
トゥーレには薬の包装紙となるミツマタ由来の上質紙がないし、王都でも上質紙の売り先は厳重に管理している。
見た目や手触りが明らかに違うし、そのためすぐに『偽物』は駆逐された。
まぁ……、実際はどちらも『本物』なんだけどね。
その事情は限られた者たちしか知らない。
それに奴は、俺の知識チートであるミツマタの存在を知らない。
「となると……、無理をして今も兵をかき集めている男爵領は、早々に行き詰ると?」
「はい、元々が身の丈に合わない数だったうえに、収入が減り人口が流出している中での増兵です。
その皺寄せは領民たちに行くことになります」
これも迂闊だったな。遺族以外に救民施策をもっと進めるか?
だが……、余りに目立った行動をすれば、今度はアスラール商会に足がつく。
そうなれば本末転倒の話になってしまう。
「我らも対策は考えておきます。そして……、取り急ぎのこととしてお願いが……」
そうだった。冒頭でも言っていたよな。
何だろうか?
「フォーレではむさくるしい男たちが五百人も増えましたからね。アレとアレに手を加えていただきたく……、今も不満が爆発しそうになっているようなので」
ははは……、アレ(酒場)とアレ(娼館)か?
商会長は苦笑していたけど、確かに深刻な問題だな。
「ただでさえフォーレには酒場は少ないのに、時折『絶世の美女』が降臨しますからね。
毎晩降臨を期待した男どもで酒場は溢れ、今や店の周りで飲むしかない奴もいますよ。
『あの方』も気まぐれて時折り『社交場』にも現れるので、そちらも客が増え……、今や俺たちも『商談』どころではないですからね」
ちっ……、『お盛ん』とは聞いていたが、本当に呆れるほどだな。
今更のようにツクヨが皮肉っていた言葉が頭に浮かんだ。
それに『大事な商談は酒の席で』がモットーのアスラール商会にとって、既に営業妨害と言いたくなるようなレベルなのだろう。
「分かった。クルトを通じて行政府側からは双方の拡張に動いてもらうよ。問題はもう一方で働いてくれる女性たちだけど……」
「そっちは商会から人手を見繕います。もちろん非道なことや本人の意思を無視するようなことはさせませんが、その代わり『相応な』俸給の補償と紹介料をいただく……、という形は取らせていただきたいです。
この件はご了承いただいてよろしいですか?」
ははは、そこはきっちり商売してくる訳だ。
それも仕方のない話だな。そもそもその方面の仕事は俺たちには出来ないものだし。
そう考えて俺は苦笑しつつも大きく頷いた。
「そして最後にもう一つ、王都で不穏な動きがあります」
ここで商会長の顔つきが変わった。
この話が今回の来訪の本題か?
「とある伝手を通じて密かに入手した話ですが、第三王子が定期的に人を集め、本国との遣り取りを頻繁に行っているようです」
「何だって! それはまだ先の話じゃ……」
俺は思わず不用意に呟きかけた口を慌てて閉じた。
この先の歴史を知っているからこそ、俺は驚愕したのだから。
それにしても……、まだ四年も先の話だぞ?
「気になるのは、どうやらそこに男爵も一枚嚙んでいるらしく、幾度となく使者が出ているようで……」
「くそっ!」
確かに奴も前回の歴史を知っているのなら、そして今はルセルの立場なら……、動き出してもおかしくはない。
八方ふさがりとなった奴は、更なる未来への手を打っているのか?
本来ならこの件が王都で騒動となるのは今から四年後、俺が二十歳の時だ。
そしてそれを契機として翌年、ガーディア辺境伯領は隣国からの侵攻を受ける。
それがもたらすものは……。
だが奴は何故、前回は敵側であった第三王子の側に?
混迷しつつ俺の知らない事態へと進む世界に、俺は不気味なものを感じずにはいられなかった。
歴史は加速し、世界は新たな混迷の中に進もうとしていた。
いつも応援ありがとうございます。
次回は3/11に『王国の抱える火種』をお届けします。
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