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怪盗ヘルメスからの予告状が届いてから既に三日、屋敷にいる多くの人間の気力が限界に近づいていた。
特に絹谷の消耗は激しい。元々高齢な上に、睡眠時間を削って殆どの時間を談話室にいるので、その疲労が明らかに見て取れる。
見かねて夜にヘルメスが現れる可能性はないとは伝えたが、それでも絹谷は休もうとはしない。なにより談話室という限られた空間で一日の大半を過ごすということが、一番の心労の原因となっているようだ。
長沢さんは他にも多くの仕事があるようで、談話室にいることの方が少ない。だが、あまり眠れているようには見えなかった。
現在も談話室にいるのは俺とアリッサと絹谷の三人だ。
あれから何度か執事やメイドと話す機会があったが、やはり彼らも疲労の色は隠せないようだ。
そして怪盗セルリアこと紬ちゃんも、随分と疲れた様子を見せている。
彼女はヘルメスに会うために一日中気を張っていなければならないこともあって、絹谷に次ぐやつれ具合だ。ここの様子をどれだけ把握しているかはわからないが、いつ現れるか知らない以上、気が気でないだろう。
もはや、この場でまともな状態にあるのは俺とアリッサだけだ。
アリッサの体力は言わずもがな常人離れしているし、さらに六時間に三十分程の仮眠で体力をほぼ回復することも出来るらしい。一日二時間の睡眠で十分なんて、身体の作りそのものが違うように思えてくる。
俺はというと、夜はアリッサに任せて十分に休ませてもらっているし、アデプトで一日中同じ場所で過ごすという訓練を積んでいるので問題はない。
本気を出せば開店から閉店まで、ずっと同じ席に座り続けることも可能だ。
やはり人間は日頃から鍛えていなければならないと実感する。
「なぁ、シズマ」
「ん?」
「思ったんだが、シズマはなかなか耐久力があるな。やはり尾行とかするからか?」
「……探偵として当然のスキルだね」
「そうか。協会からは普段は仕事をしていないと聞いていたから、少し驚いた」
「へぇ……。そんなこと言ってるんだ、協会の連中は」
さすが探偵どもの集まりだ。身内の素行調査にも抜かりはないな。
だが、そんなことをアリッサに言わないでもらいたい。
せっかく俺がアリッサの前では精一杯格好つけているのに、協会が変なことを吹き込んでいたら台無しだ。
「ちなみに、アリッサはその話を信じてたのか?」
「少なくとも普段の言動からは勤勉に見えないな。だから協会の話には納得してた」
「………」
バレバレだった。
どう取り繕っても俺の仕事のなさは透けて見えるらしい。今までの華麗なカモフラージュは全く意味を成していなかったというわけだ。
とても悲しい。
「だが、私はシズマは優秀な探偵だと思う。優秀ならそのうち仕事が入るはずだ」
「アリッサ……」
俺のことをこんなにも理解してくれるなんて、なんて素晴らしい女性なんだ。
今までロシアの荒熊だなんて呼んでいたが、これからは敬意を込めてオーロラの女神と呼ばせてもらおう。そうだな、ちょうど黄昏が近づいてきているからゾリャー・ヴェチェールニャヤがいい。
まさに君は夕暮れのオーロラだ。
「どうしたシズマ、ニヤニヤして気持ち悪いぞ」
「……その歯に衣着せぬ物言いも好きになってきたよ」
「難しい日本語はわからん。なんだそれは?」
「全く遠慮しない君の性格も、慣れれば悪くないってことだ」
「よくわからんな」
「まぁ、いいさ。……それより、アリッサはここに立っててくれ。あと、俺がいいって言うまで動かないようにね」
「ん? わかった」
アリッサをガラス戸の近くの壁際に立たせる。
俺はその近くの椅子に腰掛けて再び待機モード。
「どうかしたのかね?」
「……いえ、なんでもありませんよ」
俺は絹谷の質問にそう答えつつもアイコンタクトを送る。絹谷はそれをすぐに察知したようで、大きく目を見開いた。
「そうか、ならいいんだ」
絹谷は大きく息を吐くと、額にしわを寄せながら目を泳がせる。
なにやら動揺しまくりだが、大丈夫だろうか。




