7-1
「そんなわけで案内よろしく、芹沢紬ちゃん」
「………」
長沢さんからの説明を受けてやって来た紬ちゃんは、酷く憔悴した面持ちだった。
まぁ、これはもう運がないとしか言いようがない。紬ちゃんの注意不足というのもあるだろうが、こんなことになるとは誰も予想出来ないだろう。
とりあえず手始めに応接間から調べていると、紬ちゃんは観念したような顔で俺の前に立った。
「……あなたはもう知ってるのね? 私の正体を」
「君が初めてアデプトに来た時からね。これからは不用意に正体を明かさないことだ」
「盗み聞きのくせによく言うわ」
「とにかく、絵は諦めることだね。君がこのまま大人しくしてくれれば俺は見逃すつもりだけど、なにかすればアリッサは襲ってくるよ」
「そう。……でも、一度予告状を出した以上、逃げ出したら名を穢すことになるわ」
捕まるとわかっていても筋を通そうとするのか。
意外と強情なんだな。
「このままなにもしなければ、君の名が穢れることはないよ」
「どうして?」
「新たに怪盗ヘルメスが君の狙ってた絵を盗むと予告してきたんだ。間違いなくこちらの犯行の方が早い」
「……え?」
その言葉を聞いて、紬ちゃんはすっかり目を丸くしていた。
焦点の合わない瞳で呆然と立ち尽くしている。
もはや俺のことも見えていないようで、目の前で手を振ったり頬を突いたりしても反応がない。
調子に乗って頬をぷにぷにしていると、不意にギロリとした目で睨まれた。
「なにしてんのよっ!」
「うぐぉっ!」
みぞおちに容赦ないボディーブローが決まり、その場に崩れ落ちる。
重い痛みが腹部を貫き、その後に冷や汗が吹き出してくる。まともに呼吸することすら辛い。
「お……おぉ……」
「いきなりなんなのよっ」
「すっ……すみま……せん……」
「一体なにがしたいわけ?」
「驚いた表情が……可愛かったので……つい」
「はい?」
ついカッとなってやった。後悔はしていない。
……みたいな。
「人が目の前で呆けるなんて滅多にない機会だから、つい悪戯心が芽生えてしまった」
「私が悪いみたいな言い方やめてくれるかしら。いきなりヘルメスから予告状が来たって言われ……て……そうよっ、どういうことか説明してちょうだいっ!」
紬ちゃんは倒れている俺の胸ぐらを掴むと、ぐわんぐわんと揺らしてくる。
二日酔いと腹痛が相まって、意識が飛びそうだ。
「……うっ、ちょっ……まっ……」
「さっさと吐きなさいっ!」
「まっ……マジで吐く……っ」
「……え? ちょっと、あなた顔が真っ青じゃないっ」
ようやく事態を理解してくれたのか、紬ちゃんの尋問から解放される。危うく本当に吐くところだった。酸っぱい感じのものが喉元までせり上がってきていたので、限界は近かっただろう。
依頼初日に吐瀉物で屋敷を汚す探偵というのは最悪すぎる。
「はぁ……なんとか落ち着いてきた」
「なら、さっさと話しなさい」
「君にいたわりの気持ちはないのか?」
「あなたは私の敵よ。いたわる必要なんてないわ」
せっかく人が助けてあげようとしているのに、なんという言い草だ。
アリッサに言いつけるぞ、ちくしょう。
「大体なんであなたが協会の探偵なんかしてるのよ。見た目全然儲かってなさそうな事務所だったのに」
「……酷い。これでも俺は怪盗専門の探偵として有名なんだぞ。ついこの間もアントウェルペンで怪盗を捕まえたというのに」
「なっ!? ……あれは、あなただったの? 信じられないわ……」
「俺はヘルメスも一目置く存在だからな。今回は俺が捕まえてやる番だ」
「なに寝ぼけたこと言ってんのよ。ヘルメスがあなたに捕まるわけないじゃない。それより、本当にヘルメスが予告状を出してきたの?」
「ああ。……ほれ」
紬ちゃんは俺からカードを引ったくると、穴が空く程に凝視した。文字を追うごとに目が見開かれていくのが見て取れる。
しばらくカードと睨めっこをしていたが、次第に口許に笑みが浮かんでくる。
なにやら興奮気味なところが妙に色っぽい。
「……ついに、ヘルメスに会えるのね。ついに、ついに……」
「あれ? 横取りされるとか思わないの?」
「そうね。でも、ヘルメスに会えることの喜びの方が大きいわ」
「君はヘルメスに会いたかったのか」
「ええ。ずっと探してたわ」
そう言う紬ちゃんの表情は恋する乙女のようだった。
マジか……なんであんなやつのことを……。
しかも、おそらくマスターはこのことを知っていて、それでも正体を明かしていないというのは少し可哀相な気がする。
あいつが正体を秘密にしている以上、俺は何も言うことは出来ないが……。
「でも……どうしてこの絵が絹谷の屋敷にあるってわかったのかしら。情報を知るルートなんて限られてるのに」
「協会に依頼した時に漏れたんじゃないか?」
まったく、なんで俺があいつのフォローなんかしなくてはならんのだ。
「どうかしら、ヘルメスの盗みには一度も協会は関与してないのよ。なのに協会から情報を得ているというのは考えにくいわ」
しかも、あっさりと見透かされているし。
「となると……あと考えられるのは……まさか……」
「……まさか?」
「あのマスターがヘルメスの協力者?」
おしいっ。
そこまでいっておいて、どうしてそう飛んでしまうのか。まぁ、あれがヘルメスであると思いたくないのは同意出来るが、あまりにもおしい。
「……そんなわけないわよね。協会所属の探偵事務所の真下に、怪盗の仲間が喫茶店を開いてるなんて、笑い話にも程があるわ」
「……ですよね」
よかった。紬ちゃんが勝手に自己完結してくれたおかげで、思いつくままに話を逸らすことをしなくて済んだ。
そういうのは後でボロが出て、ろくなことにならないからな。
「でも、本当に会える日が来るなんて……」
「会えるとは限らないよ? いつの間にか盗まれてましたって可能性だってある」
「……そうね、この予告状だといつ現れるかわからないわ」
「そこで探偵である俺の出番というわけだ。君にもヘルメスを炙り出すのを協力してもらいたいんだが」
「私は怪盗よ。探偵なんかとは組まないわ」
「でも、このままだと君も会えないまま絵が盗まれるかもしれない」
「………」
「このチャンスを不意にする気かい? この偶然にして最高の機会を逃したら、もう二度と会えないかもしれないよ」
「……わかったわ。ただし、あくまでも私はヘルメスの味方よ」
「ああ、それで十分さ。見つけるまでが俺の仕事だ」
あとはアリッサが捕まえてくれる。
そして俺の勝利ってわけだ……。




