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嵐の前の静けさとでもいうのか、ここ数日アデプトは何もない日々が続いていた。
それが逆に恐怖を覚える。
小夜ちゃんも不在で、さらには槇までもが三日程前から姿を現さない。
……そして、最も恐ろしいのが客がさっぱり来ないということ。
このままでは店が潰れてしまいそうだ。
不景気というものは、どうしてこうも無慈悲に襲いかかってくるのだろうか。今月は画材やらなんやらと、色々出費が多かったというのに。
しかも、小夜ちゃん不在時の低収入の原因となっていたファンクラブは潰したのはいいものの、二日以上続けて小夜ちゃんがいないと知ると彼らは途端に来なくなるのだ。
彼らはアデプトを効率的に利用する術を身につけている。
だが、小夜ちゃんと仲良くなれなければ意味がないということを、わかっているのかは怪しいものだ。むしろ最近は小夜ちゃんが見れればそれでいい、という程度の客が増えてきたように思える。
以前の気概はどこへ行ってしまったのか……。
とても悲しい。
そんなどうでもよさげなことを憂い、暇を潰していると、昼時を過ぎてようやく本日一人目の客がやってきた。
「……ういーっす」
「なんだ、槇か。どうした、そんな辛気くさい顔して」
「仕事が入った」
「それが嫌って、相当重傷だな」
「気が進まねぇんだよ。……これは、おまえに話さなきゃならんことだな」
槇はいつもの場所に座ると、テーブルに塞ぎ込む。
その様子を見て私は槇の仕事の内容を理解した。やはり、あの予想は当たってしまったようだ。
「探偵協会からか?」
「ああ。絹谷彰とかいう資産家の家に予告状が来たらしい。ガリ……なんとかって絵を盗み出すとよ」
「怪盗セルリアから?」
「そう。なにやら警察の手は借りれないってんで、探偵協会の人間だけで怪盗を捕まえろって言うんだ」
「まぁ、そうだろうな。盗品の護衛に警察は呼べないだろうね」
「……なんだ、知ってたのか?」
「ああ。紬ちゃんから話は聞いてたよ」
「……はぁ、やる気出ねぇなぁ」
紬ちゃんが絶対に失敗する理由、それは槇がセルリアの正体を知っているためだ。紬ちゃんが予告を出した時に、探偵協会から派遣されるのは大方槇だろうとは思っていた。
紬ちゃんは槇が探偵であることを知らない。
槇は紬ちゃんが怪盗であることを知っている。
これほどアンフェアな戦いはない。
「おまえは紬ちゃんを見逃がす気はあるのか?」
「……俺はその絵を守れればそれでいいが、探偵協会からもう一人来るんだ。そいつがまた厄介なやつでな、協会の連中からは〝怪盗狩り〟と呼ばれてる」
「なんだ、その物騒な名は」
「事情を説明するとだな……探偵協会には二つの役割がある。一つは盗まれたものを探し出すこと。もう一つは盗まれる前に犯人を捕まえることだ」
探すことまでするのか。
そうなると予想以上に大きな組織なのかもしれんな。
「俺の仕事は盗まれる前に犯人を捕まえることだが、俺に泥棒を捕まえるだけの力がないのはわかるだろ?」
「基本モヤシだからな」
「……それで最近新しい人間を雇ったんだ。そいつは探偵ではないが、俺みたいなのと組んで炙り出したところを捕まえることを目的としてる」
「だから〝怪盗狩り〟か。今回みたいに警察が動けない時でも、怪盗を捕まえられるようにしたんだな」
「俺はあいつらを怪盗とは思わないけどな。おまえと比べたらショボイにも程がある」
それはまぁ、仕方ないだろう。
私の能力は特殊過ぎる。他の人間と比べるのはちょっと酷な話だ。
「つーかさ、色々と怪盗と呼ばれてるやつらを見てきたが、なんで誰一人として仮面を被ったりしないんだ? 怪盗ってのは仮面とマントがセットだったりしないのか?」
「なっ!? ……槇、それはとてもデリケートで危険な質問だ。無闇に口にしない方がいい」
「なんでだよ。怪盗ってのは神出鬼没、正体不明が売りだろ? 変装がばれたら仮面を被るくらいするだろ」
「確かにおまえの言うことは一理ある。……だが、よく考えてほしい。おまえがイメージする仮面を被った人間は総じて変態的ではないかと! あいつらは顔が見えないのをいいことにキザで恥ずかしいセリフを吐いたり、明らかに場違いな状況下でも周りに突っ込ませる気力すら失わせたりするんだよ! アイマスクも同じこと! いや、むしろアイマスクの方がより変態的! もはや、仮面と変態は切っても切れない関係だ。怪盗であるからといって、安直に仮面を被ることは出来ないんだよっ!」
「なっ、なるほどっ! 確かに本来人目を忍ぶために顔を隠してるはずなのに、顔を隠しつつも必要以上に注目を浴びてる状況はおかしすぎる。なんというか、例え全裸でも顔さえ隠れてれば問題ないっ、みたいな。……変態だっ!」
「だろっ? 正体は隠したいけど目立ちたい。そんな矛盾がせめぎ合って、行き着いてしまった先に仮面があるんだ。生半可な気持ちじゃ仮面は被れない。羞恥心という服を脱ぎ捨てなければ、仮面を被ることが出来ないんだっ!」
「へっ、変態だーっ!」
……あれ? 真面目な話をしていたような気がするのだが、何故こんなことになってしまったのだろうか。
というか、なんの話だったっけ?
あぁ、〝怪盗狩り〟の話だ。槇の他にも探偵協会から派遣されてくるという、怪盗逮捕専門の人間。
「それで、その人が紬ちゃんを見逃す可能性は?」
「ゼロだな。俺と違って冗談が通じるような相手じゃない。なんというか、人の皮を被ったメドヴェージって感じだ」
「ロシア人? しかも熊?」
「正確にはロシア人と日本人のハーフらしい。だが、中身は殆どロシアの荒熊だ」
「こえぇ……」
一体どんな人間だ。
身長二メートルくらいのガチムチでむっさい男しか想像出来ん。きっと三センチくらいの鉄板を平気でぶち破ったり、鉄パイプで殴ったらパイプの方が歪んだりするのだ。
恐ろしすぎる。
「蜂蜜とかあげたら懐いてくれないかな」
「いいな、それ。今夜会うことになってるから、やってみるわ」
「成功したら教えてくれ」
「ああ」
しかし、困ったことになった。
協会からの人間が槇だけなら絵は盗めなくとも、捕まることにはならないだろうと考えていた。
だが、それは私の楽観だったようだ。
協会は怪盗を一切逃がす気はないらしい。
「予告の日はいつ?」
「ちょうど一週間後だ。……なぁ、俺の考えてることがわかるか?」
「ん? 見当は付いてるよ」
「そうか。……なら期待してるよ」
「ああ……」
そして槇はゆっくり立ち上がると、そのまま店を出て行った。
ドアの向こうへ消える槇を見送りながら、私はポケットから携帯電話を取り出し、小夜ちゃんの番号に電話をかけた。




