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5-2

 ユーカラから出てくる頃には日が暮れようとしていた。

 夕方の街並みは一層の賑わいを見せる。

 せっかくの樂吉左衛門の個展だったのに、直前の紬ちゃんの発言のおかげで、ろくに頭に入ってこなかった。



 個展自体はとても素晴らしいものだった。

 伝統の域を超えて独自の作風を創り出した十五代だが、その中にはしっかりと樂家の歴史が刻まれている。

 そもそも、樂家では釉薬の調合や作陶の技法などに関しての一切を、子孫に教えないというのが決まりらしい。故に秘伝書の一冊も残されていないという。

 それでも四百年という年月、十五代に渡る人の営みの中で培われた伝統が、確かに感じられるのだ。

 ……ちなみに、会期の後半だったため殆どのものが売約済みだったが、一つ気になる作品がまだ残っていて危うく買ってしまいそうになったが、小夜ちゃんの背筋の凍り付くような視線のおかげで思い止まることが出来た。


 というか、八百万なんて金額だとさすがに私でも躊躇いを持つ。

 それでも欲しいという気持ちは抑えきれないが……。

 手に入れられないというのも心残りではあるが、なんといっても作品を落ち着いて鑑賞出来なかったのがとても辛い。ユーカラは広めのギャラリースペースが売りな場所だというのに、小夜ちゃんも紬ちゃんも私の側を離れないせいで、窮屈なことこの上なかった。

 今週いっぱいはやっているようなので、もう一度こっそり来ようかと思う。


「ねぇ、これから食事でもどう? ……もちろん、あなたは用が済んだんだから、これからのデートを邪魔するような無粋なマネはしないでしょう?」

「……ええ、そうですね。私はこれで失礼させていただきます」

「よかったわ、あなたが少しは常識のある人で。ねぇ、行きましょうよ、マスター」

「えっ……いや、私は……」

「どうぞ、行ってきたらどうですか?」

 そう言う小夜ちゃんは声は柔らかいものの、目は全く笑っていない。

 人の感情は瞳に表れると言うが、あからさま過ぎて怖い。

「というか、そもそもこの人のどこがいいんですか? ろくな甲斐性もない上に、欲しいモノがあればすぐに飛びつく駄犬ですよ。しかも自分の話したいことには妙に饒舌になるくせに、他人の言葉は右から左に流れる馬耳東風。この人の一体どこに魅力を見出してるのか教えてほしいんですけど」

「辛辣にも程があるわね……」

「な。心折れるだろ?」

「むしろあなたはどうして、そんな甲斐性なしのこそ泥美術オタクなんかにムキになってるのかしら?」

「こっちも辛辣ー」


「別に……。そんな事関係なしに、この人は私の全てですので」

「な……」

 小夜ちゃんの言葉は一点の曇もなく響き渡り、周囲で言い合いを耳にしていた人たちの時間さえ奪った。

 「……ふん。そこまで信頼できるものがあるってこと? ま、いいけど。こっちもその程度で引き下がる気はないから」

 紬ちゃんも紬ちゃんで、謎の強気を見せてくる。

 というか、先程から周囲の人達の距離が少しづつ縮まってきているような気がするのだが。

 私も彼らと同じ野次馬でいられたらいいのだが、悲しいことに騒動の張本人である。


「で、どうするの? 行く? 行かない?」

「……遠慮しとこうかな。ほら、財布も忘れてるしさ」

「そんなの、私の奢りでいいわよ。……というか、私のこと嫌い? さっきから私のことを避けてるような気がするんだけどさ」

「いやっ、そんなことはないよ? 君はとても魅力的な女性だと思うけど……なにも私に固執する必要はないんじゃないかな? ほら、商会を通じて他の人と手を組むといいよ」

「もう今回のことでは商会に関わる気はないわ。手を組むとしたら、あなたしかいないわよ」


「どうして?」

「一度あなたに決めたのに、他の人へと乗り換えたら不義理じゃない」

「なら、私が断り続けたらどうするつもりだい?」

「……一人で盗みをするわ」



 極道だ、極道がおる。

 紬ちゃんの実家の棟方組というのは、随分と古風なヤクザだとは思っていたが、まさかその娘もこんなに家風に染まっているとは……。

 私が飾香炉を盗んだ時も、その後私を探す素振りすら見せなかったことから、あの組長は飾香炉が盗品と知っていて私を見逃したのではと思った。

 その時は面子より義理を重んじるヤクザだと感心したものだが。


 私の認識は甘過ぎたらしい。

 一体どういう教育をしているのだ、あの親父は。

 ……初めからおかしいとは感じていたのだ。ヘルメスに憧れたからとはいえ、そう簡単に裏社会に足を踏み入れることか出来るわけがない。しかもこの若さでだ。

 それが蓋を開けてみれば、怪盗になるためのバックグラウンドを既に持っていたというのだ。

 おそらくあの親父は、紬ちゃんが怪盗になったことくらい知っているだろう。

 むしろ、棟方組の力なしには、紬ちゃんが怪盗として旗揚げすることすら叶わないと考えてもいい。

 どれだけ怪盗に寛容なんだ、あの親父は!

 ……私か? 私のせいなのか?



「どう? これでも私と組む気はない?」

「……ああ。すまないが、それでも手伝うことは出来ない」

「そう……」

 紬ちゃんは長いこと俯いていたが、ゆっくりと顔を上げて私を見る。

 あまりにも力強い瞳で見てくるものだから、私の方が目を逸らしてしまいそうだ。

「なら仕方ないわ。『ガリラヤの海の嵐』は私一人の力で盗み出してみせる」

「……そうかい。成功を祈ってるよ」

「ありがと。それじゃあ、私は帰るわね」

「ああ。また会おう」


 別れを惜しむ間もなく、紬ちゃんは人混みの中へと消えていく。

 途端に街の喧騒が大きく聞こえてくる。

「……よかったんですか? あれで」

「おや? 小夜ちゃんはあれじゃ不満かい?」

「いえ……そうではないんですが、私も彼女の気持ちは少しわかりますから」

「え?」

「私も、もしあなたが突然目の前からいなくなったら、世界中を駆けずり回ってでも探し出すと思います」

「それは恋心かい?」

「どちらかというと鬼心ですかね。溜まった鬱憤を全て吐き出さないと、心の平静を取り戻せないと思います」

「……左様ですか。そうならないよう、善処します」



 それほどまでに想われている私は、幸せ者なのだろうか。

 ああ、きっと幸せ者なのだろう。


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