9.置いてきぼり
レオンに続き公爵邸に足を踏み入れたレイチェルはずらりと居並ぶ使用人よりも屋敷の内装に目を奪われる。
高い天井に吊り下げられたシャンデリアは宝石でもついているのか眩いほどにキラキラと輝いている。床には塵も汚れも一切なくピカピカに磨き上げられている。気を抜いたらつるりと滑りそうだ。
気をつけなければ。
ごくりと息を飲んだ時
「こちらへ」
は、と声をした方を向けば自分の前にいたはずのレオンは居並ぶ使用人たちの前に立ち自分に向けて手を伸ばしていた。
慎重に足を踏み出し手を乗せれば軽く握られる手。その手はとても冷たく離したくなるがそういうわけにもいかず堪える。レオンは視線をレイチェルから使用人たちに向けると口を開く。
「彼女は私の妻となったレイチェルだ。皆心から仕えるように」
「「「承知いたしました」」」
そう言って一斉に頭を下げる使用人たち。だがレイチェルは見た。彼らの何人かが不快な顔をしているのを。そして鋭い視線で睨みつける嫉妬に狂った目をした女の顔を。
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挨拶の後、レオンの執務室にあるソファに腰掛けたレイチェルは目だけを動かし部屋の中を観察する。本棚にはたくさんの難しそうな本が収められ、机には書類が散乱している。
几帳面そうなのに机の上が汚いのは意外である。レオンは現在そこで何やら書類に目を通している。
うーむ……なんか書類に埋もれてる感がミスマッチだ。
まあ王宮勤め、公爵領のこと、事業のこととやらなければならないことはたくさんあるから当然なのだろうが。コトンとペンを置く音がしレオンに視線を向ければばちりと視線が合う。
「君のお披露目も終わったし、私は1ヶ月程家を留守にする。君は気楽に過ごしてくれ」
「私の聞き間違えかしら?まさか数分しか共に過ごしていない新妻を置いて1ヶ月も留守にする旦那なんてありえませんよね?」
「聞き間違えではない」
レイチェルの暴言に少しだけ眉間に皺を寄せながらレオンは言葉を続ける。
「以前から陛下の命令で隣国に行く予定だったんだ。結婚したからといって延期するものではないだろう?」
「まあ……そうですね」
今日あったばかりの人間と国の大事。どちらを優先するべきかなど明白だ。だが急とはいえ妻になった人間のために一日くらい出発を遅らせても良いのでは?と思わなくもない。
「これからのことは侍女長のアマンダと娘のリリアの言葉に従ってくれ。2人は代々我が家に仕える信頼できる使用人たちだ」
その言葉に部屋の隅に控えていた二人の女性が頭を下げる。あの二人がアマンダとリリア…………ん?
「えー……公爵夫人の私が従うんですか?」
「もちろん君の方が立場は上だ。命令を出すのも君だ。常識の範囲内であれば二人を含め使用人たちをこき使って構わない。だが公爵夫人として何をすべきか何が必要なのか何もわからないだろう?」
そりゃあそうだけど、彼は別に立派な公爵夫人なんて求めてなさそうだ。ぶっちゃけ平民の血を混ぜるのが目的なんだから――
「食っちゃ寝生活じゃダメなんです?」
「…………構わないが、他の貴族の前に出ることも最低限でいいとはいえある。恥をかきたいのか?」
む。自分を見る目は厳しいだろうし、やはり娼婦の娘と嘲笑われるのも腹が立つ。ただゴロゴロ生活しているというのは時間の無駄遣いというものかもしれない。
紹介された2人に視線を向ければ軽く笑みを浮かべ会釈をするアマンダと軽く目線を下げるリリア。
茶色の目と髪の毛。2人共美人だがあまり似ていない。顔も纏う雰囲気も。
アマンダは目尻に皺を浮かべながら優しい微笑みを浮かべてほんわかした空気を纏っている。リリアはお人形のように美しい顔立ちをしているがどこか冷たい印象を受ける。
とはいうものの――2人共目の奥は冷たく笑っていないところなどはそっくりだ。
「承知致しました公爵様。納得のいくものであれば彼女たちの言葉に従いましょう」
部屋の中にいた使用人たちの頰がピクリと動くのが見えたが、何も間違ったことなど自分は言っていない。
「結構。だが教えを乞うべきではあるが主人はあくまで自分であることを忘れないように」
シュンと使用人たちの纏う空気が落ち込む。なんだろう。なんかムカつく。
「レオン様。お時間です」
「遅れるわけにはいかないので失礼する。ああ、見送りは不要だ。私は無駄なことは嫌いなので。それと次に会うときは我らは正式な夫婦だ。敬語はやめるように」
競りにも来ていた優男の執事に声をかけられたレオンはジャケットを羽織りながらそれだけ言うとレイチェルを振り返ることなく部屋を出て行った。
「…………………………」
「「「…………………………」」」
まじか。
室内は妙な空気で満たされている。誰も何も言わない奇妙な空間の出来上がりにレイチェルは息が詰まる。
ちらりとアマンダとリリアを見れば僅かに俯いている。
これは指示待ちというものか。先程レオンは言葉に従えと言っていたような……今こそどうすれば良いのか教えてくれたまえなのだが。
「……何もわからないから指示待ちをされても困るのだけど」
正直に指示待ち返しするレイチェルだった。
「失礼致しました。お部屋にご案内致します。そちらで今後についてご説明できればと思いますがいかがでございましょうか?」
「よろしく」
アマンダの言葉によりやっと時間が動き始めた。
「こちらが奥様のお部屋でございます。その隣が共同の寝室。更にその隣が旦那様のお部屋でございます」
アマンダの後に続き着いた先はこれから自分が過ごす部屋。部屋と言っても中にはいくつか扉があり1人寝用の寝室、バス、トイレなど色々と備え付けられているようだった。
かなり広い。
置かれている家財も高価で品の良いものばかりだ。え?これいつの間に用意したのだろうか。
「お気に召していただけたでしょうか?足りないものやご趣味に合わないものがございましたら用意いたしますのでお申し付けください」
扉の前で立ち止まってしまったレイチェルにアマンダが声をかける。
「身分不相応って感じよね」
一歩中に入ればふわふわの絨毯を踏んだのが靴ごしにもわかる。本当にふわふわで靴なんかじゃなくて頬ずりしたいくらいである。
「奥様は公爵夫人です。身分不相応ではございません」
否定してくるアマンダだが本心ではどう思っているのだろうか。表情からは読み取れない。レオンが認めるのもわかる優秀さだ。
「贅沢に慣れたら碌なことにならなさそうじゃない?いつ捨てられるかわかったものじゃないし」
「捨てられないように努力すればよろしいことかと」
「うーむ。でもさっさと捨てられた方が喜ぶ使用人が多いんじゃない?」
「奥様お口が悪うございます」
そこは否定しないのね。ちょっと意地悪したくなってきた。
「公爵夫人たる私が使用人に対して何を言おうと思おうと誰にも責められないんじゃない?私は気を使ってまで使用人に好かれようと思ってないし」
「お互いに気分良く過ごせるよう努められたほうがよろしいかと思いますが」
お互いに……ね。
そうそれは互いに努力するもの。
でも――。
部屋の中央にある木製のテーブルに触れる。ほこりも汚れも一つもない、高価なテーブル。その上には綺麗な花が花瓶に生けられている。誰が用意してくれたのだろうか?
一輪手に取り鼻を寄せる。とても良い香り。気に食わない相手だろうと尽くさなければならないのはお気の毒だ。けれど自分は仕えられる立場であり、使用人は仕える立場。
「私は公爵夫人なんでしょ?だったら認められるべきなのは私なのか使用人なのか……媚を売るべきはどちらなのか……答えは決まってるでしょ?」
パチリと片目を瞑ればアマンダは口をぽかんと開けた。




