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第三十九話 『波乗り幼女』


 ダイナミックに屋上から飛び降りた僕は、着ていた白衣を素早く展開し、ムササビのようなスタイルで少しでも落下速度を削っていく。その上で落下軌道を微修正して、街路樹の一本に狙いを定めた。

 タイミングを見計らい、展開していた白衣を瞬時に両手に巻き付けて摩擦を防止、街路樹の太くて丈夫そうな枝に手を引っかける。


「ほっ!」


 腹筋で下半身を振り上げ、掴んだ枝を起点に大車輪。白衣が擦り切れるギリギリのラインを見極め、手の皮がズル剥けになる前にパッと手を放す。

 膝を抱えて丸くなり、ギュルッと回転しながら綺麗な放物線を描いた僕は、地面に衝突する寸前でシュタッと完璧なYの字着地をキメた。


「あ、あれ?」


 いや、Yの字になっていなかった。両手がぶらんぶらんと遊び回っている。

 さすがに無茶をし過ぎたらしく、完全に両肩が脱臼してしまっていた。見れば、両手の指も全部変な方向を向いている。

 幸い、足はどうにか無事のようだ。痛みはおろか、全く何も感じない。


「少年!」


 そんな僕を、普通に着地したパプリカさんが素早く回収してくれた。

 そのままパプリカさんは僕を脇に抱えて全力疾走し、一拍遅れて僕がいた場所を魔獣の津波が呑み込む。街路樹がへし折れて、瞬く間に見えなくなった。


「少年! それ、大丈夫なのか!?」


「大丈夫です! たぶん五分くらいで治ります! 傷の治りは早い方なので!」


 こぽっと吐血しながら言うと、パプリカさんが目を丸くする。でも、すぐに何かを察したようで、「なるほど!」と頷いてちょび髭を震わせた。


「そういう類のギフトを持っているのだな! それなら納得だ!」


 と、何やらパプリカさんは一人で納得したご様子だ。

 本当はギフトじゃなくてただの体質なんだけど、いちいち訂正するのも面倒なので、ここはひとまずスルーしておくことにした。


 現在、抱えられている僕は前後が逆だ。つまり、後ろの様子がよく見える。

 魔獣、魔獣、魔獣。見渡す限り魔獣だらけで、景色の半分以上が魔獣で埋もれてしまっている。その魔獣たちが大波となり、王都の外観を破壊しながら僕たちを追って来ているんだから、人によっては生きた心地がしないだろう。


 だけど、この程度の逃走劇なら僕は慣れっこだ。

 それに、頭に血が上った魔獣たちは連携なんてそっちのけで、射線上に割り込み仲間の遠距離攻撃を潰してしまっている。おかげで僕たちの方には遠距離攻撃が届かず、こっちの手助けをしてしまっている始末だ。


 飛び道具系さえ気にしなくていいなら、あとは速力と体力の勝負になる。

 問題は、『逃げ切り』での勝利は難しいということ。極上のエサであるパプリカさんと行動を共にしている限り、たぶん地の果てまで追いかけられると思う。


 ――つまり、僕の勝利は二パターンに絞られる。


 一つ目は、どうにかしてパプリカさんから離れること。

 正直、この人から逃げることは、魔獣の群れから逃げるよりも難しそうだ。さっきの先回りの件もそうだし、何より僕の本能がそう告げていた。

 最悪、屍に戻って頂くのも手だけど、それは先に二つ目のパターンを試してからでも遅くはないはずだ。何より、殺人は犯罪だからね。


「――ん?」


 などと考えていたら、ふと奇妙なモノが見えて僕は眉を寄せた。

 密集に密集を重ねて五メートル以上に膨れ上がった魔獣の群れ、その高波を華麗に乗りこなしながら、こちらへ向かって来る幼女の姿が見える。


「ヒカリちゃん!?」


 そう、黒い和服が似合う愛らしい幼女ことヒカリちゃんだった。

 ヒカリちゃんは長い黒髪を翻しながら、サーフボードを巧みに操り空中で見事な一回転を披露。その間に邪魔な魔獣を妖刀の二刀流で切り伏せる。

 そして安全なルートを確保すると、一気に加速して魔獣の波を滑り切り、そのまま僕たちと合流して並走に入った。


 何もない平坦な地面でも変わらずサーフボードを走らせるヒカリちゃんが、パプリカさんの脇に抱えられる僕を黒い瞳で見つめながら無表情に言う。


「ミノル、無事でよかった」


「うん。ヒカリちゃんも、無事でよかったよ!」


「少年、少年。今の少年は、決して無事ではないと私は思うよ?」


 口の端から血を流しながら親しげな笑みを浮かべた僕を、珍しく声のボリュームを控えたパプリカさんが神妙な面持ちで案じてくれる。

 実際、今の僕の負傷レベルは一般人なら即病院送りからの入院コースだ。

 でも、女の子には余計な心配をかけない。紳士としては当然の気遣いである。


「――そっちの凄まじい存在感を放つメイドはお前が雇ったのか?」


「――――」


 その問いかけに、僕は限界まで目を見開いてぎょっとした。

 誰だって、いきなりサーフボードに話しかけられたら同じ反応をすると思う。

 その男はピンと伸ばした両手を体の横に添え、全身を禍々しいオーラで薄く包みながら、うつ伏せの体勢で背中にヒカリちゃんを乗せていた。



 ――というか、マコトだった。



「……何やってんの?」


「見ての通りだが?」


 いや、見ても理解に苦しむ光景だったから質問したんだけど、残念ながら一般的な常識が死に腐った男には伝わらなかったらしい。

 と、そんな僕の表情を見てようやく察したらしく、メガネをクイッとやったマコトが「ああ」と得心がいったような声を漏らした。


「安心しろ。ちゃんと地面からは3mm浮いている」


 驚くほど的外れでどうでもいい情報だった。

 だけど、ここで終わりじゃないのがこの男の真に凄いところだ。


「マコト、その頭……」


「ああ、これか?」


 僕の指摘を受けて、マコトが自分の頭皮をキュッと指でこする。

 そう、マコトの毛髪は物の見事に綺麗さっぱり消滅してしまっていた。


「『カース』の代償だ。毛根まで死滅した訳じゃなし、直にまた生えてくる」


「そ、そうなんだ……」


「それより、最初の質問に答えろ。そっちの変質者は何者だ?」


 そう言って、マコトが禿頭を煌めかせながらパプリカさんの素性を聞いてくる。

 それに僕が答えるより早く、パプリカさん本人が自ら自己紹介した。


「HAHAHA! メガネをかけた怪しげな禿頭の少年よ! 私はパプリカ・ディカプリオ! アルセウス騎士団の団長を務める者だ! 五三種少年に助けられ、今現在もこうして行動を共にしている!」


「……どこかで見た顔だと思ったら、そういうことか」


 それだけで事情を察したらしく、サーフボードがじろりと僕を睨んでくる。

 余罪の件について深く突っ込まれる前に、僕は大人しく『アスクレピオスの杖』を渡して誤魔化すことにした。と、ここで予想外の問題が発覚。


「しまった! 白衣のポケットの中に……!」


 使い捨てた白衣のポケットに小さくなった『アスクレピオスの杖』を入れたままだったことを思い出し、僕は復活した手で頭を抱える。

 すると、いきなりヒカリちゃんが和服の懐に小さなお手手を突っ込んで、その成長途中の小ぶりなお胸を弄り始めた。すかさず僕が提案する。


「ヒカリちゃん。自分でするより、男の人に揉んでもらった方が効果は出るよ?」


 クールな微笑と共にバストアップの協力を申し出る僕を、ヒカリちゃんは生ゴミでも見るような目で見返しながら言った。


「ヒカリの胸は成長なんてしない。それより、落とし物は回収済み。心配は不要」


 そう言って、ヒカリちゃんが懐から『アスクレピオスの杖』を取り出した。どうやらヒカリちゃんたちが回収してくれていたらしい。

 でも正直、僕は杖の無事なんかよりも、ヒカリちゃんの前半部分の発言について詳しく問い質したい気持ちでいっぱいだった。


「遠目にだが、お前が屋上から飛び降りるのは見ていたからな。念の為に捨てられていた白衣を調べて正解だった」


 ヒカリちゃんの慎ましいお胸をガン見していると、そんなことを呟いたマコトが「よし」と僕を見上げて言ってくる。


「これで条件はクリアした。今から魔獣どもの殲滅に移るぞ」


「魔獣を殲滅って……そんなことが出来るの?」


 目を丸くする僕に、マコトが「今から説明する」とメガネを押し上げて、


「まず、後ろの魔獣どもを『祭壇』まで誘導し、まとめて生贄に捧げることで一網打尽にする」


「誘導地点は例の噴水広場。そこには既に『祭壇』を構築してある」


 僕が『祭壇』について尋ねる前に、ヒカリちゃんが親切に捕捉してくれた。

 そのヒカリちゃんの捕捉に間髪入れず、マコトが説明の続きを繋げる。


「見ての通り、俺は『代償』を支払い過ぎた。強大な『カース』を使うには、もはや取り返しのつかん類いのモノを支払うしかない。そこで、魔獣どもを生贄に捧げることで『代償』の代わりにする。殲滅も同時に出来て一石二鳥だ」


「大量の魔獣を『代償』に行使するのは、強力な『呪縛』の『カース』。それで黒龍の動きを封じる。ただ、マコト様以外が支払う『代償』は変換効率が悪い」


「そこで、余計なオプションを極力省いて出力に全振りする。具体的には、あの黒龍の逃亡防止用にこの王都に展開した結界を流用する。言ってみれば、この結界はヤツ専用の檻だ。そのプログラムを少し書き換える。要はリサイクルだな」


 そう言って、マコトが空を見上げた。

 その視線を追ってみれば、たしかに透明な膜のようなモノが空を覆っている。たぶん、この透明な膜が二人の言う『結界』なんだろう。


「メガネの少年よ! つまり、後ろの魔獣たちをその『祭壇』とやらがある噴水広場まで誘導すればいいのだね!」


「そういうことだ」


 パプリカさんの確認を、マコトが静かに頷いて肯定した。

 なるほど。つまり、僕たちはこのまま――、


「例の噴水広場に向かって逃げればイイわけか!」


「いや、違う」


「――――」


 パプリカさんの発言とほぼ意味は同じはずなのに、なぜか僕の発言だけが速攻で否定された。そのあまりの理不尽さには、さすがの僕も絶句する始末だ。


「ミノル。お前には別にやってもらうことがある」


「ふっ。そういう話だろうと思ったよ」


 パチンと指を鳴らし、片目を閉じた僕が不敵な微笑を浮かべた直後だった。

 不意に大きく振りかぶったヒカリちゃんが僕に向けて何かを投擲してきた。風切り音を響かせて飛来するそれを、僕は顔面にぶつかる寸前でキャッチする。

 見てみると、それは先端が鋭く尖った長さ二十センチくらいの黒い棒だった。


「うん。ヒカリちゃん? 先が尖った物を至近距離から相手の顔面めがけて割と強く投げ付ける行為は、下手をすれば相手が死ぬ恐れがあるから危ないよ?」


「……ちッ」


 僕の注意に機嫌を損ねたらしく、ヒカリちゃんがふいっとそっぽを向く。

 その気持ちはよく分かるよ。ヒカリちゃんくらいの年頃だと、年長者からの注意ほど煩わしく感じるものはないからね。


「ミノル。その『座標』をあの黒龍に突き刺してこい」


 …………。


「あはは。おかしいな。よく聞こえなかったんだけど、もう一度いい?」


「その『座標』をあの黒龍に突き刺してこい」


「…………」


 僕は無言で首をひねり、空中でレオナルドを迎え撃つレイトさんを見た。

 そして改めて正面、マコトに視線を戻して言う。


「えっと……お空、飛んでるんですけど?」


「気合いでどうにかしろ」


「人類はまだ生身での飛行は成し遂げてないんだよ!?」


 あまりの無茶ぶりに、僕はたまらず人類の限界をシャウトする。

 だけど、マコトの無茶ぶりはそれで終わりじゃなかった。


「『カース』で黒龍の動きを止めたら、ミノル。――お前がヤツにトドメを刺せ」


「僕が!? レイトさん、不死身なんだけど!?」


「再生できないレベルの攻撃をぶつけろ。肉片すら残さず粉々にすればイケるはずだ。やり方はお前に任せる。ギフトの残弾はあるな?」


「あ、あるにはあるけど……」


「ミノル、俺はこう言ってるんだ。――あの黒龍討伐の華々しい栄誉を、お前にくれてやるとな」


 ……栄誉?


「ヤツを倒せば、お前はこの国の英雄だ」


 ……英雄。


「無論、英雄はモテr」

「引き受けた」


 ――食い気味に、僕は二つの無理難題を受諾したのだった。


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