第2話 最初の被験者
「どうしてそんなに嫌がるんだ?これは純粋なバフ行為であり、技術の結晶だよ。僕はただ、君たちにより確実な生存手段を提供したいだけなのに」
純粋な技術的視点しか持たないロアの言葉に、エリスはぶんぶんと首を横に振った。
「絶対に嫌!少しくらい強くなれるからって、それは変態行為すぎるわ!私はいつもの、手の甲へのバフで十分だから!」
「うーん、残念だ。君の神聖魔力と僕のインクなら、最高の相性になるはずなんだけどな……」
ロアが肩を落としたその時、二人のやり取りを黙って聞いていたノーラが一歩前に出た。
「その『体内刻印(舌バフ)』……私にやってちょうだい」
「えっ?」
エリスが驚いてノーラを見る。
「リーダー!?本気!?」
「ええ。上位ダンジョンに挑むなら、少しでも生存率は高い方がいい。それに、男尊女卑の激しい既存の枠組みを見返すための圧倒的な力が手に入るなら、手段は選ばないわ」
ノーラの銀色の瞳には、強い覚悟が宿っていた。
「素晴らしい!さすがはノーラさんだ。第一号の臨床データを提供していただけるなんて、研究者冥利に尽きます!」
ロアは歓喜の声を上げ、手帳を取り出して何やら嬉々として書き込み始めた。
「ちょっと待ってよ!本当にやるの!?相手はロアよ!?」
エリスが慌ててノーラの腕を掴む。
「分かっているわ。だからこそ、エリス。あなたに確認しておきたいのだけれど」
ノーラは真剣な表情でエリスに向き直った。
「私、ロアとキスしてもいいかしら?」
「はぁっ!?」
エリスの心臓が大きく跳ねた。
(なんで私に許可を求めるのよ!まるで私がロアの事を好きみたいじゃない!……そう、なんだけど)
ノーラは、エリスがずっと前からロアに特別な片思いの感情を抱いていることを知っている。
だからこその仁義なのだろうが、エリスにとっては不意打ちすぎた。
「い、いいわよ別に!私とロアはただの幼馴染ってだけで、付き合ってるわけじゃないんだから!許可なんて必要ないわよ!」
激しく動揺したエリスは、真っ赤な顔で精一杯の強がりを叫んでしまった。
(ああああっ!何言ってんの私!バカバカバカ!)
「そう。それなら遠慮なく受けさせてもらうわ」
ノーラはふっと微笑むと、ロアの方を向いた。
「ロア。よろしく頼むわね」
「はい!任せてください、最高のバフ体験をお約束します。さあ、こちらの診察台へどうぞ」
純粋な研究者の顔をしたロアに案内され、ノーラは店の奥へと足を踏み入れる。
エリスはその背中を見送りながら、自分の強がりを深く後悔し始めていた。
+++
「さあ、こちらへどうぞ、ノーラさん。楽に腰掛けてください」
「え、ええ……。なんだか、いざとなると少し緊張するわね」
「大丈夫ですよ。背もたれは四十五度に倒します。完全に寝かせると唾液が気道に流れ込んでむせてしまいますし、直立だと頭がブレてしまいますから。この角度が最適なんです」
ノーラが座ったのは、革張りの施術専用チェア『傾斜式刻印診察台』だ。
エリスは二人のすぐ横に立ち、心配そうに、そしてひどく落ち着かない様子でその光景を見守っている。
「失礼します。体を固定しますね」
「ひゃっ……ちょっと、ロア!?」
「動くと筆先が狂うので、少しの間だけ我慢してください」
ロアはノーラの正面に腰掛けると、彼女の両太ももを自分の膝で軽く挟み込むように密着させた。
(ち、近っ!?なんでそんなに顔と体を近づけてるのよ!)
エリスは内心で激しく叫んだ。
「素手で失礼しますね。布のガーゼなどは極細繊維の筆先を狂わせますし、素肌越しでないと舌の感度や体温が正確に読み取れませんから」
「んっ……あ……」
ロアは清潔に手入れされた素手の指でノーラの顎を下から支え、親指と人差し指でぬめりのある舌先をそっと挟み込んで手前へ引き出した。
(ああっ……ノーラの舌が、ロアの指に……っ!だ、ダメ、見ていられない……でも目が離せないっ!)
エリスは目の前の背徳的な光景に激しく動揺した。
「……ん、ふ……っ」
「ちゅぷ……」
静まり返ったカーテン付きの個室ブース内に、ノーラの鼻に抜ける微かな耐え声と、唾液が泡立つような水音だけが響き渡る。
舌を引き出されている間、ノーラは唾液を飲み込むことができず、口角からツーツーとよだれが垂れ落ちていく。
「唾液分泌量は正常です。集中できていますよ」
ロアは極めて事務的な声で告げると、左手の指先に挟んだ極柔シルクの吸水クロスで、ノーラの顎や首筋に垂れたよだれを無駄のない手つきでトントンと優しく拭い取った。
(よだれを垂らして、それを大好きなロアに拭われてる……っ。恥ずかしくて、私なら絶対に無理……!)
エリスは己の強烈な羞恥心と、ロアを独占されている嫉妬心でぐちゃぐちゃになりながら、ただ横で悶絶し続けることしかできなかった。




