08. 神官長との出会い(ルイside)
琉生は神殿の祈祷の間で倒れこんでいた。
少しずつ意識を取り戻し、ゆっくりと顔を上げた。
混乱した様子で周囲を見回していた。
黒い髪に黒い目は、この国では珍しい色合いで着ている服も見たことのないようなものだった。
「あの方が……使徒」
ロスセスがそう呟いた。
「そうなのでしょう」
ガストロンはゆっくりと、若者の方へ歩み寄った。
琉生はガストロンに気づいて緊張した様子を見せ、警戒した目でガストロンを見ていた。
ガストロンは琉生の前で立ち止まった。
「大丈夫でしょうか」
ガストロンは、できるだけ穏やかな声で聞いた。
琉生は、ゆっくりと口を開いた。
「……ここは、どこですか?」
言葉は通じた。
ガストロンは、その事実に少し安堵した。
神が言っていた通り、言葉の壁はなかった。
「ここは、フロネファスト王国のオオルト大神殿です」
「フロネファスト……?」
琉生は混乱した様子で周囲を見回した。
「俺は……どうして、ここに」
ガストロンは若者と同じ目の高さになるように、ゆっくりと跪いた。
「あなたは、神に呼ばれた使徒ですね?」
「使徒……あぁ、そうだ……使徒にされて……それから……あなた達は、俺が使徒だと知っているんですね……」
「ええ、神託がありましたので……まずは休んでください。怪我はありませんか?」
琉生は自分の体を見下ろした。
「……ないと思います」
「では、立てますか?」
琉生は、ゆっくりと立ち上がった。
「ところで、あなたは……」
「私はガストロン・クロデリヌスと申します。この神殿の神官長をしています」
「……ガストロンさんが名ですか?」
「はい」
「……俺は、明瀬琉生といいます。いや、こっちではルイ・アキセになるのか……」
「ルイ・アキセ様……」
「ルイと呼んでくれていいです」
「……ルイ様ですね。それでは、私のことはガストロンとお呼び下さい。それから詳しいことは、中でお話ししましょう」
ガストロン達は、ルイを神殿の中に案内した。
途中、ミレイがルイの体調を確認した。
「外傷はないようです。ただ、かなり疲労されているように見えます」
ガストロンは頷いた。
「休める部屋と食事を用意してください」
「分かりました」
ルイは神殿の食堂の方に案内され、パンやスープと果物が用意された。
最初、ルイは食べることをためらっていた。
「どうぞ、お召し上がりください」
ガストロンが言うと、ルイは少し躊躇いながらもスープを口にした。
しばらく無言で食べていたが、やがてルイが口を開いた。
「……おいしいです。ありがとうございます」
「いいえ」
「あの……」
「何でしょうか?」
「俺は神に呼ばれました。この世界に現れる邪神を倒すことを目的として、俺の使命にされました」
「ええ、私も神託からそう聞き及んでいます」
ルイは、食事の手を止めた。その目には深い苦悩があった。
「本当は、自分の世界に戻りたかった……」
ルイの目からは涙が溢れた。
ガストロンは、静かに聞いた。
「神は、そのことには何と……」
「元の世界には戻せないと言われました……」
「……それは……なんと申し上げたら……」
「……いえ、あなた方のせいではないのは、分かっているんですが……」
「大切な人達が、いたんです……」
「ええ……」
「突然いなくなったら、その人がどれだけ心配するか……」
その言葉に、ガストロンは胸が痛んだ。
大切な人達から引き離され、別の世界から連れ出されることの重さは痛いほど分かった。
「お辛いでしょう」
「……はい」
「ですが」
ガストロンは、慎重に言葉を選んだ。
「もしあなたが、この世界での使命を果たすことを選ぶなら、私たちは全力であなたを支えます。それだけは、お約束します」
ルイは涙を抑え、ガストロンを見た。
「ありがとうございます」
「いいえ。当然のことです」
その後、ルイは与えられた部屋で休んだ。
ガストロンは、ロスセスと共に廊下で話した。
「神官長、使徒は大丈夫でしょうか」
「精神的には、まだ混乱されているでしょう。我々にできることをするしかありません」
あれから数日が経った。
ルイは、少しずつ神殿の生活に慣れていった。
最初は、ほとんど部屋から出てこなかった。
それから徐々に神殿の中を歩くようになり、神官達と言葉を交わすようになった。
ガストロンは、毎日のようにルイと話す時間を作った。
この世界のこと、神殿の歴史などを少しずつルイに伝えていった。
ルイも自分のいた世界のことを少しずつ話すようになった。
高校生だったこと、恋人がいたこと、二人で作った特別な文字のこと。
「双字というのですね」
「はい。俺と理世とで二人で作りました」
「素晴らしいものですね」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
ある日、ルイがガストロンに言った。
「ガストロンさん」
「はい」
「この世界での使命を必ず果たします」
ガストロンはルイの目を見た。
その目には、迷いがなかった。
「本当に、よろしいのですね?」
「はい、元の世界には戻れないのは辛いです。だけど邪神を放置すると、この世界も自分がいた世界も滅びてしまう。だからやり遂げてみせます」
「あなたの決意に、心から敬意を表します」
ガストロンは、深く頭を下げた。
それからまた時が経つと、ルイの身分をこの世界でどう扱うかという問題があった。
突然現れた出自不明の若者。
それをそのまま放置することはできなかった。
ガストロンは、考えた末に一つの決断をした。
「ルイ様」
「はい」
「あなたを、私の養子として迎えたいと思っています」
ルイは、驚いた顔をした。
「養子……ですか?」
「そうです。あなたが、この世界で正式な身分を持つためにです。そして私自身も、あなたを支える立場を明確にするために必要なことです」
「それは……ガストロンさんにとって、負担になりませんか?」
「負担とは思いません。むしろ、光栄に思いますよ」
「……本当にいいんですか?」
「あなただから、いいのですよ」
ガストロンは笑顔で答えた。
それから養子縁組の手続きが、正式に行われた。
神殿の関係者だけが立ち会う、静かな儀式だった。
ガストロンは、ルイの前に立って言った。
「今日から、あなたは私の息子です。どんなことがあっても、あなたを守ります」
「ありがとうございます」
ルイは深く頭を下げた。
その夜、ガストロンは一人で祈祷殿に向かった。
神託を受けた場所だった。
祭壇の前に跪いた。
「神よ」
返事はなかったが、ガストロンは構わず話し続けた。
「使徒は、無事に到着しました。私の養子として迎えました。これから、彼を支えていきます」
しばらく沈黙が続いた。
それから、かすかな反応があった。
声ではなく、何かがガストロンの祈りを受け取ったという感覚があった。
「ありがとうございます」
ガストロンは深く頭を下げた。
神殿での生活が始まってからガストロンはルイに、この世界の基本的なことを教えてくれた。
歴史、地理、礼儀、宗教など、それらを学び吸収していった。
同時に魔術の訓練も始めていた。
神から受け取った力と知識で、双字を使った独自の術式が徐々に形になり始めていった。
神殿に来てから半年が経った頃、ガストロンが言った。
「東の森に、魔女がいます。この国の魔術師達とは別の系統の力を持っています。一度、彼女のもとへ行ってみることをおすすめします。彼女なら、別の角度から何かを教えてもらえるでしょう」
「分かりました。行ってみます」
後日、ルイは案内人に森の入口まで送ってもらった。
森に入ると、空気は変わった。
どれくらい歩いたか分からない頃、小さな家があった。
扉の前で立ち、扉を叩いた。
「誰だ」
扉が開かれて、出てきたのは女性だった。
「あの、ルイ・クロデリヌスと言います。ガストロンさんから紹介があって、ここに来ました」
「ああ、お前さんがルイか」
女性はウェルディと名乗った。
「お前がここに来た理由は、分かっている。ガストロンからの文にあった。さっそくだが、お前さんの力を見せてもらおうか」
ウェルディはルイの力を確認した後、魔術訓練を始めた。
一人でするより、教えてもらった方が進歩が早かった。
月の半分はウェルディの家に泊まり込んで訓練を続けた。
大人の女性と一緒の家は……と一度、拒んだが「私は、小僧には興味がない。私に手を出そうとしても返り討ちにするだけだ」細い目をして威圧してきた。
訓練中のウェルディの教え方は厳しかった。
「ウェルディさん、お願いがあるのですが……」
「何だ」
「俺が邪神を封印した後は、俺は百年位は長い眠りにつくことになる。邪神が封印から解放される時、今度は邪神を倒すために対となる使徒がその前に現れます」
「ふむ、それで?」
「対の使徒に向けて書物を作ろうと思っています。でもそれ以外にも……誰かに、使徒が来たときの協力を頼んでおきたいんです」
「……それを私にということか?」
「はい、魔女は二百年以上は生きられると聞いています。ウェルディさん、お願いできませんか? もう一人の使徒が来た時、魔術を教えてあげてほしいんです。俺が編み出した双字を術式として使う方法を伝えてほしいんです」
「はぁ……まぁ、いいだろう。使徒がいなければ邪神は倒せんしな。引き受けよう」
「ウェルディさん、ありがとうございます!」




