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時紡ぎ~再び君と出会うまで~  作者: 紫乃月 聖巴


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02. 貴族令嬢としての日常

 リセリアが九歳になった頃、婚約者のソルネス・ルトラルトと初めて会った。


 場所は王都で開かれた貴族の集まりの場だった。

 ソルネスはとても整った顔立ちをしていた。

 黄檗色の髪に浅黄色の目をしていて背が高かった。

 初対面の挨拶は完璧だった。

 礼儀正しく、言葉遣いも丁寧だった。


 ふとリセリアは、挨拶の中で気づいた。


 挨拶をしながら、ソルネスの視線はリセリアの向こうを見ていた。

 形式上は正しい挨拶をしていたが、興味や関心さえも期待もしていなかった目だった。


 リセリアは、内心静かに溜息をついた。

 何となくこれは難しいかもしれないと思ってしまった。






 その後、ソルネスとは何度か会う機会があった。


 その度にリセリアは歩み寄ろうとした。

 相手の興味を探り、共通の話題を出したり少しずつ距離を縮めようとした。

 前世でも人間関係を築くことは得意ではなかったが、努力することはした。


 しかしソルネスは、いつもどこか壁を作っていた。


 リセリアが話しかければ答えるが、自分から話題を広げることはなかった。

 リセリアが何かを提案すれば検討するが、乗り気になることはなかった。


 歩み寄ろうとしても努力が報われないことへの虚しさを感じた。






 リセリアが十歳になった頃には、貴族の歩き方、座り方、食事の仕方、挨拶の仕方を全て習得した。

 貴族令嬢としての振る舞いはほぼ完成していた。


 この世界にはゲンシェルンという弦楽器があり、それを使って稽古をするようになった。

 合わせて刺繍も習うようになった。


 師匠はザビーナという四十代の女性で、長年にわたり貴族の子女に音楽を教えてきた経験を持っていた。

 とても厳しいが公正な姿勢でリセリアの上達を素直に喜んでくれた。


「リセリア様は、音楽の感覚が良いですね。技術を覚えるのも早いです」


 ザビーナ先生にそう言われた時、リセリアは前世のことを思った。

 音楽への親しみは、前世から続いていた。

 その感覚が今この世界でも引き継いでいるのだろう。


 ゲンシェルンは基本的な曲は弾けるようになっていった。

 刺繍もそこそこできるようになった。

 


 それとは別に、リセリアは読書にも夢中になる。


 シャステリーゼ家の書庫には大量の本があり、リセリアはそれを片っ端から読んだ。

 歴史書、地理書、生物の本、遺跡について、詩集など色々な分野の本を読み込んでいった。


 書庫に通い続けていたある日、最奥に並んでいた古い本の一冊に目が止まった。


 表紙には何も書いていなかった。

 気になって手に取ってみると、中には様々なことが書かれていた。

 この世界の歴史の中でも、あまり知られていない部分だった。

 邪神の封印についての記述で神の使徒、ルイ・クロデリヌスについての記録だった。


 リセリアは食い入るように読んだ。


 ルイ・クロデリヌスは百年ほど前、どこからともなく現れた。

 言葉は話せたが、この国の者ではなかった。

 どこから来たのかは分からなかった。

 神官長に引き取られ、ルイ・クロデリヌスという名前を与えられた。


 そして、誰も見たことのない術式を使って邪神を封印した。


 その術式は見たことのない文字で書かれていたという。


 リセリアは本を閉じた。


 なぜなのか胸がざわついた。






 ある時ゲンシェルンを使い、庭で歌を歌った。

 それを聞き終わった侍女達が「お嬢様は天才です!」と涙を流しながら感激をしていた。



 それを聞きつけた家族にせがまれて、夕食終わりに歌を披露した。


 父は腕を組みながら頷いて感心した。


「見事だった。お前には歌の才能があったのだな」


 母は両手を組みながら目を輝かせて涙ぐんでいた。


「素晴らしかったわ!」


 兄は笑顔で言った。


「綺麗な歌だったよ。もう一回歌ってほしいな」


 家族の希望に応えて、もう一度歌った。


 それからというもの時々、歌を披露することになった。






 リセリアは紫紺の長い髪に菫色の目で、美しい少女となっていった。


 リセリアが十五歳になった年、王立学園への入学が決まった。


 王立学園はフロネファスト王国で最も権威ある学び舎で、貴族の令息と令嬢が主に通う学校だった。

 魔術、歴史、語学、礼儀など、幅広い科目を学ぶ。

 卒業後は王宮に仕える者も多かった。


 入学の準備を進めながら、リセリアは複雑な気持ちでいた。


 新しいことを学べることへの期待はあった。

 だが婚約者のソルネスも同じ学園に通っているという事実が気持ちを複雑にした。


 出発の前日、母ルティアがリセリアの部屋に来た。


「ライルも婚約者がいる隣国に留学してしまったし、あなたも寮生活になるから寂しくなるわね……。リセリア、学園ではあまり根詰めないようにね」

「お母様……」

「あなたは無理に頑張ろうとする節があるから、もう少し気を楽にして学園生活を楽しみなさい」


 リセリアはその言葉を噛み締めた。

 ルティアはいつも、リセリアを見てくれていた。


「はい、お母様」


 リセリアは前世の母も好きだったが、この世界の母も心の底から好きだと思った。

 どちらも自分を大切にしてくれていた。






 王立学園は、王都の中心部に位置する大きな建物だった。


 石造りの校舎で外の通路には花びらが舞う木が植えられており、庭には手入れされた花壇があった。

 入学式は大広間で行われ、初めて顔を合わせる同年代の生徒達も大勢いた。


 隣に座ったのは、ジェシカ・ラディエンという少女だった。


「ジェシカ・ラディエンと申します。お隣、失礼致します」

「ご挨拶ありがとうございます。リセリア・シャステリーゼと申します」


 その挨拶が、学園でのリセリアの最初の友人の始まりになった。


 ジェシカは明るくて裏表がなく、笑いのツボが独特だった。

 ある先生の話し方が面白いと思ったらしく、式の途中で笑いをこらえているのをリセリアは気づいていた。

 そのこらえ方が下手で、顔が引きつり肩がぴくぴくしていた。


 リセリアは自分もつられて少し笑いそうになった。






 学園に入って最初の数週間は、授業と環境に慣れることで精一杯だった。


 この学園は入学と同時に寮にも入ることになる。

 ルームメイトはジェシカではなかったが、同じ棟に部屋があって、朝食は一緒に食べるようになった。

 ジェシカは誰とでも自然に話せる人で、リセリアが少し固くなっている時に、さりげなく話題を振って場を和らげてくれた。


「リセリア様は、不思議な人ですね」

「不思議?」

「はい、どこか……こう、年齢の割に落ちすぎているというか……」


 リセリアは苦笑した。

 それは前世の二十七年分の経験が、振る舞いに滲み出てしまっているのかもしれないと思った。


「そうかしら」


 ジェシカはいつもそうだった。

 思ったことを素直に言ってしまうところがある。

 そういえば、琉生も思ったことを素直に言う人だった。


 そのことを思い出して、リセリアは胸が痛んだ。






 婚約者のソルネスは、学園の中でも目立つ存在だった。


 容姿端麗で、ルトラルト侯爵家の御子息という家柄もあって、常に注目を集めていた。

 男子生徒達からは一目置かれ、女子生徒からは憧れの視線を受けていた。


 そんな彼だが、リセリアへの態度は相変わらずだった。


 廊下で会えば挨拶をするし、必要があれば話をする。

 だけど婚約者として最低限の交流のみで、特別な関心をソルネスがリセリアに向けることはなかった。


 ジェシカは一度、ソルネスを遠目に見ながら少し不快そうな顔でリセリアに囁いた。


「ルトラルト様、婚約者のリセリア様に少し冷たくありませんか?」


 リセリアは何も言えずに苦笑いをした。

 ジェシカは言葉を続けた。


「それに……リセリアは、クルシア・ビルドナ様のことは知っていますか?」

「……ビルドナ男爵家のご令嬢としか知らないのだけど、その方がどうかしましたか?」

「ビルドナ様とルトラルト様が仲良さそうにしてるのを何人も見ているんですよ」

「……そうなんですね」

「怒らないんですか?」

「彼に対しては、そんな感情にはならないのよね」


 ジェシカはしばらくリセリアを見ていた。


「リセリア様は大人なんですね」

「そんなことはないわ」

 

 ただ、私も彼に特別な感情を抱くことがないだけにすぎない。






 学園にも慣れた、ある朝のことだった。


 歴史の授業は、年配の先生が担当していた。

 イルドラという名前の男性で、白髪交じりの髪をしていた。

 少し猫背だったが目は鋭く、知性が滲み出ていた。


 イルドラ先生はその日、授業の最初に一冊の書物を手に持って教壇に立った。


「今日は少しだけ、変わった話をします」


 教室の生徒達が静まりかえった。

 イルドラ先生の声には、聞く者を引き寄せる何かがあった。


「百年ほど前のことです。この国に、邪神が現れました。皆さんも伝承では知っているでしょう。その邪神を封じた英雄、ルイ・クロデリヌス様です」


 生徒達の間でざわめきが起きた。

 ルイ・クロデリヌスの名前は、誰もが知っている。


「今日お見せするのは、ルイ・クロデリヌスが書に残したもので、後世に伝えるように言われている写しになります」


 イルドラ先生は、教壇に置かれていた写しの書を生徒達に渡した。


「この書に記された文字を読める者を探しています。読める者がいれば、名乗り出て下さい」


 生徒達は書を開き、その文字を確認し始めた。


 リセリアは、その文字を見た。


 そして、息を呑んだ。



 リセリアには、その文字が読めた。

 読めるどころではなかった。

 なぜならそれは明瀬琉生と新村理世が、二人で作った双字だったのだから――。

 その文字が、目の前の書物に記されていた。

 リセリアの手が震えて、視界が滲んだ。

 なぜか周りが遠くなったような状態に陥った。

 なぜ……なぜここに……なぜこの世界に双字があるのか。

 ルイ・クロデリヌス。

 どこからともなく来た英雄。

 見たことのない術式と文字を使った。


 明瀬琉生。

 高校二年生の春に、突然消えた。

 行方不明になり、どこへ行ったのかは誰にも分からなかった。


 リセリアは震える手で、その書物に書かれた文字を心の中で読んだ。

 そしてそこに書かれていた言葉を脳裏に焼きつけた。


『この文字が分かるということは、君なのだろう』


 リセリアは声が出そうだったので口を押さえた。


 教室内の生徒が首を横に振る中で、リセリアだけがその文字を読んでいた。


 イルドラ先生が「読める者はいないようですね。今後もしその文字が読める者がいた場合は報告して下さい」と言い、授業は再開された。


 リセリアは名乗り出なかった。


 なぜならその書物には、この文字を読めることを口外してはならないことが書かれていたのだから――。






 その夜、リセリアは一人で書物の内容を改めて読み直した。

 中は双字で丁寧に具体的な指示が書かれていた。

 リセリアは書物を胸に抱えて、声を殺して長い時間泣いた。






 翌日の朝、リセリアは書の指示に従おうと決めた。


 ルイ・クロデリヌスが残した指示を全て実行する。

 それが自分がこの世界に来た理由なのかもしれない。

 そしてその先に、きっと答えがある。


 リセリアは立ち上がって、窓を開けた。

 春の風が入ってきて、外では鳥が鳴いていた。

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