15. 邪神討伐
ルイは、一歩前へ出て邪神を見上げた。
長い年月眠っていたが体は、衰えていなかった。
眠りの術式が体を完全に保持していた。
リセリアは傍に立ちながら、ルイ・クロデリヌスの横顔を見た。
「ルイ」
リセリアはその名を呼び、ルイが横を向いた。
「俺が目覚めた時に最初に見えたのが、お前の顔で良かったよ」
リセリアは少し笑った。
「また後で、ゆっくり話そう」
「うん。話すことが、たくさんあるんだからね」
「俺もだ」
二人は少しだけ目を合わせた。
それからルイ・クロデリヌスは再び邪神を見た。
「始めよう」
ルイが動き出した。
その動きは、見ていた全員が驚くほどだった。
まず空中に向けて、双字を書きながら詠唱した。
双字が空中に浮かんだ。
ルイはそれを見て、「少し鈍ってるな」と呟いた。
リセリアが「それが鈍ってるとは思えないのだけど……」と言った。
その会話が、傍で聞いていた神殿長を少しだけ微笑ませた。
ルイとリセリアは、並んで立っていた。
邪神は空で翼を広げ、二人を交互に見ていた。
その赤い目に、明らかな警戒色があった。
ルイが先に動いた。
地面を蹴って、空へと跳んだ。
双字の術式が足場を作った。
その足場を使って空中でも移動が出来るようだ。
すぐに邪神の高さまで移動した。
邪神が向かってきた。
ルイは避けずに、真正面から向かっていった。
邪神の爪が振り下ろされた瞬間、双字の盾を展開し、押し返した。
邪神が後退した。
騎士団と教団の戦いは、極限まで激化していた。
ブレストロ副団長は、自ら前線に立ち続けている。
「全員、聞け!」
ブレストロ副団長の声が、戦場に響いた。
「使徒様が邪神と戦っている! 使徒様には一人たりとも近づけるな!」
「了解!」
騎士達が答えた。
使徒と邪神との戦いが続いている最中、王都では一部の市民の退避が続けられていた。
第二連隊の騎士達が、住宅地から市民を安全な場所へ誘導した。
老人や子供を優先して、素早く動いていた。
グランドロス騎士団長が中心部に立ちながら、逐次状況を把握していた。
部下の騎士が駆け寄った。
「北東の区画、もう少しかかります。一部の方が動けずにいて」
「動けない者は担架を出すか、騎士が運べ!」
「はっ!」
ある住宅地の一角で、老婆が動けずにいた。
足が悪く、騎士に声をかけられても立ち上がれなかった。
「申し訳ない、わしは……足が悪くてあるけんのじゃ」
「大丈夫です。私が運びます」
若い騎士が老婆を背負った。
老婆は空を見上げた。
遠くに、いくつもの金色の光が見えた。
「あの光は……何ですか」
「使徒様でしょう。邪神と戦って下さっています」
「使徒様……」
老婆は目を細めた。
「あの光は、綺麗じゃなあ」
「そうですね」
若い騎士は老婆を運びながら、学園の方向を見た。
商人街では、店を閉めた商人たちが路地に集まっていた。
そこへ騎士が馬で来た。
「皆さん、避難してください! この先の神殿に誘導します!」
「騎士様、あの光は何ですか!」
「使徒様が邪神と戦っています」
「使徒様? 使徒様というと……英雄のルイ・クロデリヌス様ことですか?!」
「ええ、彼は長い眠りから目覚め現在、もう一人の使徒とともに戦っています」
商人達の間に、驚きの声が上がった。
「なんと!!」「えっ! あの英雄のことか?!」「まさか、嘘だろ……」「使徒様って二人いたのか?!」
地上では、リセリアは歌術式を展開し続けていた。
結界維持の補助とルイの支援をするためだ。
ルイの書物に書いてあった。
使徒二人が術式を使う時、一方が戦いに集中し、もう一方が術式で根幹を支えることができる。
ルイが攻撃に集中できるのは、リセリアが術式の基盤を維持しているからだった。
邪神との戦いは、激しかった。
ルイは空中で邪神の攻撃を双字の盾と迎撃の術式を組み合わせて、邪神の攻撃を次々と躱した。
邪神は手強かった。
黒炎だけでなく、衝撃波も使ってきた。
空気そのものを震わせる攻撃だった。
だが、封印前と比べて格段に威力は落ちていた。
それでも威力は大きく、ルイは衝撃波を受けて後退した。
「ルイ!」
リセリアが叫んだ。
お互いがつけている指輪が声を繋ぐ。
ルイは空中で体勢を立て直した。
「大丈夫だ、問題ない。それより」
ルイは地上のリセリアを見た。
「歌い続けてくれ」
「分かったわ」
リセリアは改めて歌に集中した。
ルイの言葉の意味を理解していた。
リセリアが展開している術式が、ルイに強化と守りを与えていた。
そんな中、リセリアがはめていた癒しの腕輪は限界を超えたのかひび割れた。
教団と騎士団の戦闘は騎士団が押し始めた。
ブレストロ副団長が指揮をしていた。
「一気に叩き潰せ!」
騎士団が総攻撃に転じた。
消耗した教団員達に、組織的に対応する力は残っていなかった。
次々と教団員を制圧していった。
逃げようとした者も外周を固めていた騎士達に捕捉された。
王宮では、オルスティ侯爵が逐次報告を受けていた。
「邪神との戦闘、使徒二名が対応中。教団と騎士団で抗争中。また各部隊、各地支援態勢を維持しています。市民への被害はありません」
オルスティ侯爵は少し息を吐いた。
「そうか。では引き続き厳戒態勢を維持するように」
「了解しました」
空での戦いは、続いていた。
ルイと邪神の攻防が繰り返された。
「弱体化に成功していても厄介すぎだな」
ルイが呟いた。
リセリアは歌い続けた。
双字の旋律が二人の間に広がった。
大広間では、その様子を見ていた全員が固唾を飲んでいた。
邪神が迫っているのに、二人は落ち着いていた。
ジェシカが不安そうにヴィーナを見た。
「怖くないんですかね」
「怖くても、やるしかないのかもしれません」
ヴィーナがリセリアを心配そうに見ていた。
ジェシカは窓の外を見ながら、祈りを捧げるように手を握った。
「頑張って下さい、リセリア様」
ソルネスは大広間の柱に背を預けながら、あの光の中に立つリセリアの姿を見続けていた。
婚約していた頃、リセリアのことを見ていなかった。
自分がつまらない女だと思っていたのは、自分の目が曇っていたからだ。
ソルネスはそのことを今更ながらに理解していた。
一方、邪神がルイに迫ってきていた。
ルイは立ち向かう。
リセリアが歌う。
二つの術式が展開された。
リセリアの歌術式が基盤を作った。
金色の光が地面から上へと広がり、空間そのものを安定させた。
その基盤の上に、ルイの術式が乗った。
深い青紫の光が鋭い線を描いて空へと伸びた。
二つの光が重なって、虹色になった。
邪神は本能的に退こうとしたが、すでに遅かった。
ルイは術式を放ち、虹色の光が一点に収束した。
その光が邪神の体に向かっていった。
邪神が咆哮する。
その声は地を揺るがすほどで、建物の窓が震え、石の壁がきしんだ。
外にいる人も建物の中にいる人までもが耳を塞いだ。
「まだだ!」
ルイが緊迫した声で言った。
邪神は激しい消耗をしているが、再び動き始めようとしていた。
翼を広げ、何かを準備している。
ルイが前へ出た。
「理世、最大まで自分の魔力を溜めてくれ。溜まったと同時に二人合わせた術式を展開する!」
「分かったわ!」
ルイが空へ跳んだ。
邪神の攻撃を引きつけながら、回避し続けた。
体の消耗を最小限に抑えながら、邪神の注意を自分に向け続けた。
リセリアは目を閉じた。
首飾りに貯めていた魔力も使い自分が持っている魔力を一点に集め、最大まで溜め始めた。
少しずつ、核になっていった。
全部が一点に集まった。
リセリアの周囲に光が満ち始めた。
ルイが地上に降りてきた。
リセリアの傍に立った。
双字で基盤の術式を展開し始めた。
リセリアは術式の最後の一層を重ねた。
双字が空に舞う、術式は完成した。
「できたわ」
ルイ・クロデリヌスが基盤の術式を最大まで展開した。
「歌ってくれ、全力で二人の力を邪神に放つ」
そしてリセリアは歌い始めた。
ルイはリセリアの手を握り、もう片方の手で邪神に向けて力を放出した。
双字の旋律を乗せて、空へと向かっていった。
邪神の心臓に虹色の光が向かう。
ルイが最大の魔力を注ぎ込んでいった。
空間を固定し、邪神の逃げ道を全て塞いだ。
光は真っ直ぐに邪神の急所を貫いていた。
地に響く大きな爆発音がした。
邪神が空中で止まった。
そして——ゆっくりと光に溶けていった。
その輪郭が、崩れていく。
少しずつ黒いの粒へと変わっていった。
空が明るくなっていく。
王都全体が静まり返った。
それから、誰かが声を上げた。
「終わった……」
その声が引き金になった。
周囲の間に安堵の声が上がった。
大広間の生徒達が窓の外を見て、声を上げた。
泣いている者もいた。
笑っている者もいた。
カッセル隊長が騎士達に向かって叫んだ。
「邪神が倒された! 使徒様の勝利だ!」
騎士達の間にも歓声が上がった。
ヒリエダ隊長が馬上で空を見ながら、小さく「終わった」と言った。
カミル副隊長が部下の騎士に「撤収の準備をしろ」と命じた。
王宮では、オルスティ侯爵が報告を受けた。
「邪神討伐完了。使徒二名の勝利が確認されました」
オルスティ侯爵は目を閉じた。
それから、ゆっくりと目を開けた。
「全部隊に通達。撤退の準備に入るよう」
「了解しました」
「それと」
オルスティ侯爵は窓の外を見た。
「リセリア・シャステリーゼ嬢とルイ・クロデリヌス様に、王宮からの感謝を伝えるよう。後で正式な形でも行うが、今すぐ伝えてほしい」
「はっ!」
グランドロス騎士団長は、部下たちを見回した。
「諸君、使徒殿のおかげで邪神討伐が完了した」
騎士たちが「はっ」と答えた。
「彼らはまさに英雄だな」
邪神が完全に消えて、朝の光が差し込んできた。
その光の中に二人はいた。
リセリアは魔力を使い果たして、立っているのが精一杯だった。
ルイも消耗していた。
二人は並んで立って、空を見ていた。
「終わったね」
リセリアがルイに笑いかけた。
「ああ、これでやっと使命を終えることができた」
神殿長が近づいてきた。
二人の傍まで来て、深く頭を下げた。
「よくぞ、邪神討伐をやり遂げてくれました。ありがとうございます」
その声が震えていた。
神殿長の目からは涙が流れていた。
「神殿長も泣くんですね」
「当然です。長年の脅威が消えたのですから……こんなに嬉しいことはありません」
学園の扉が開いて、生徒達が外に出てきた。
最初に飛び出してきたのは、ジェシカだった。
「リセリア様!」
ジェシカはまっすぐに走ってきて、リセリアに抱きついた。
「無事で良かったです! ずっと怖かったんですよ!」
「ジェシカ様、心配かけてすみません」
「本当ですよ!」
ジェシカはしばらくリセリアにくっついて泣いていた。
ヴィーナが静かに近づいてきた。
「無事でよかったです」
涙を浮かべて微笑んで、二人に抱きしめられた。
ルイは、学園の外を眺めていた。
騎士達が撤収を始めている様子が見えた。
教師達が生徒の誘導をしていた。
そこに、神殿長が近づいてきた。
「ルイ・クロデリヌス様、お目覚めのご挨拶が遅れました」
「いえ、あなたが今の神殿長なのですね、書を守ってくれて、ありがとうございます」
「代々の受け継ぎがあってこそです。私一人の力ではありません」
「それでも、引き継いでくれて今があります。彼女に渡してくれたことに感謝します」
神殿長は少し面食らった顔をした。
それから微笑んだ。
「ルイ・クロデリヌス様は……思っていたよりずっと柔らかい方なのですね」
「どんな人間を想像していたんです?」
「英雄という肩書がある方なので、もっと威厳のある……」
「俺は英雄という性分ではなんですけどね……」
ルイは笑った。
ソルネスは学園の扉の前に立っていた。
中庭に出る一歩が踏み出せなかった。
自分にはあっちへ行く資格がないと思っていた。
リセリアに対して、自分は正しい関係を築けていなかった。
今更何かを言う権利はない。
二人をしばらく見た後、静かにその場を去った。
ウェルディの使い魔の鳥が飛んできた。
足には手紙が括り付けられていた。
手書きの短い文章が書かれていた。
「終わったようだな、よくやった。二人とも後でこちらに来てほしい。待っている」
リセリアはその手紙を読んで、少し笑った。
ルイに見せるとルイも笑った。
夕方になった頃、学園の中は少し落ち着いてきた。
生徒達は各自の部屋へ戻り、教師達は後片付けと記録に取り掛かった。
騎士団は撤収を完了していた。
王宮からは正式な感謝の使者が来た。
オルスティ侯爵の名前で書かれた書状と、国王からの感謝状が届いた。
夜になって、リセリアとルイはリンフェリス大神殿のベンチに並んで座っていた。
「話すって言ってたな」
「言ったね」
リセリアは過去を振り返った。
「前世であなたが消えた後、私は十年間待ち続けた。だけど、事故で死んだ。そしたら次は赤子で目が覚めた。最初は訳が分からなかった。でも少しずつ、ここが別の世界だと分かってきた。双字を目にした時いつか、あなたに会えるかもしれないと思った……」
「理世、俺は……お前に謝らなければならない。消えた日のこと。何も言えずに消えて、申し訳なかった。神に呼ばれた時、一瞬だった。何も言う時間がなかった。メモを残したかったが、それも叶わなかった」
「うん……」
「俺は……理世が来ることを信じて、書に言葉を残した。直接言えないから、文字に残した」
「……ルイが残した言葉を全部読んだよ」
それから二人は並んで、しばらく思い出を語り合っていた。




