14. 邪神解放ともう一人の使徒の目覚め
東の空から、黒い雲が広がってきた。
それはどんよりとした黒さだった。
封印の石が完全に砕け散った。
黒い光が王都の上空に飛び上がった。
それは次第に形を表していき、巨大な者となった。
人の顔に似ていて、長い首をしている。
大きな翼を羽ばたかせており、目が赤く輝き、黒紅色の長い髪をしていた。
それこそが邪神だった。
その姿を見た瞬間、王都全体が凍りついた。
王都の外に出ていた人々は混乱に陥った。
外を見ていた生徒が悲鳴を上げた。
学園の教師達は動いた。
ハリス先生が真っ先に結界の強化に入った。
「全教師、結界の強化! 各配置に散って下さい! 生徒は中央の大広間へ!」
フルラド先生が東棟の結界位置へ走った。
他の教師達も各位置に散り、結界を張り始めた。
白い光の膜が学園全体を覆っていった。
カッセル隊長の第三連隊が学園の外周を固めた。
カミル副隊長の魔術師部隊が学園の各所に配置についた。
そして、ブレストロ副団長が学園に到着し、指揮を執り始めた。
「エルーダは使徒様の直接護衛なのだ、絶対に離れるな。カミル、魔術師部隊を南と東に重点配置しろ!」
生徒達は混乱しつつも中央の大広間へと誘導された。
邪神が学園側に目を向けた。
結界に向けて、黒炎で攻撃をした。
空から降り注いだ黒炎が結界に当たった瞬間、結界が大きく揺れた。
白い光の膜が、めりめりと音を立てて圧迫された。
学園長であるグルシェハ公爵が現れた。
王弟でもあるグルシェハ公爵は、四十代の風格ある男性だった。
「全教師、私に続け! 結界を保て!」
グルシェハ公爵自身が結界の中心位置へ立った。
その魔力は、他の教師とは比較にならないほど大きかった。
学園長というのは肩書だけではなかった。
この国でも指折りの魔術師だった。
教師達が連携して、結界を維持しようとした。
邪神の二撃目が王都南側に放たれたが、即座に配置された魔術師が結界を張った。
三撃目は王都北側だった。
そこでも魔術師の結界で持ちこたえていた。
リセリアは学園の中庭にいた。
神殿長が傍にいた。
そこへ王宮の使者が向かってきた。
「神殿長! シャステリーゼ嬢! 四神殿に術式が書かれた布と魔石を配置完了しました!!」
神殿長とリセリアは頷いた。
「神殿長、始めます」
「はい、お願いします」
リセリアは書物を開き、目を閉じた。
深く息を吸った。
そして歌い始めた。
四神殿に配置した魔石を用いて、結界の強化から始めた。
指輪が反応する。
歌うと書物から双字が浮き出た。
それが空中に広がっていく。
呼吸を整えて、魔力を流れに乗せて、ゆっくりと声を大きくしていった。
双字の旋律が中庭に広がった。
その光景に結界を維持していた教師達が驚いた。
フルラド先生が振り返った。
歌声が聞こえてきたが、それはただの歌声ではなかった。
旋律に何かが乗っていた。
魔力が形を持って流れていた。
「これは……」
リセリアの歌声は中庭から学園全体に広がっていった。
それから更に範囲が広がり、王都全体に結界の光が展開される。
白い光の中に金色が混じり始めた。
それは柔らかい色だった。
その光が染み込んでいくように広がった。
グルシェハ公爵がその光景に驚きを隠せずにはいられなかった。
「こんな術式は見たことがない……」
リセリアの歌は続いた。
結界は範囲を広げ、強化されていった。
邪神の攻撃が向かってきた。
だが、黒炎が金色の光の壁に当たり四散した。
周囲の間に驚きの声が上がった。
その時、別の方向から叫び声が聞こえた。
「教団だ! 南側から来ている!」
教団がリセリアに向かっていた。
「使徒はどこだ! 引きずり出せ!」
「教団を近づけさせるな!」
騎士達が教団の前に立ちふさがった。
教団の魔術師は術式を放った。
強力な術式が騎士の列に向かって飛んだ。
「散れ!」
カッセル隊長が叫んだ。
教団の戦闘員と騎士団の戦いが始まった。
剣と剣がぶつかり合う音が学園に響いた。
カミル副隊長が魔術師部隊を率いて前に出た。
「魔術師には私達が対応する! 騎士は戦闘員を抑えろ!」
「了解!」
大広間の中で生徒達はその光景を窓越しに見ていた。
空に浮かぶ邪神。
放たれる黒炎。
そして王都全体を包む金色の光。
ソルネスが窓の外を見ていた。
中庭に小さな人影が立っているのが見えた。
歌っているようだった。
その人影がリセリアだと気づいたのは、しばらく見続けた後のことだった。
「……リセリア」
ソルネスは呟いた。
邪神の攻撃は、止まなかった。
リセリアの術式で展開された結界は、強力だったが邪神の力も桁違いだった。
結界が完成したところで、次の段階に移った。
ルイ・クロデリヌスを目覚めさせる。
リセリアは目覚めの術式を歌った。
周囲はリセリアの変化に気づいた。
歌声が変わった。
少し高くなり、より深くなった。
空中に浮かんでいた双字が数を増やし始めた。
そしてまたリセリアの歌声が変わった。
それまでとは全く異なる旋律になった。
透き通った声が学園全体に響き渡った。
大広間にいた生徒達は、その美しい声と旋律をただ聞いていた。
ジェシカが窓の外を見た。
中庭に立つリセリアが見えた。
「リセリア様はなぜ避難せずに、あんなところにいるのですか?!」
「この歌が関係しているのだと思います」
隣にいたヴィーナが、ジェシカの手を握った。
「でも、あそこにいたら危険ではないですか!」
「リセリアの周囲は騎士が守っているようだ。リセリアがあそこにいるのは何か理由があるんだろう」
ソルネスもその様子を見ていた。
リセリアのそれは広い範囲で空中に展開されていた。
双字が弧を描いて舞っていた。
第一連隊のヒリエダ隊長が騎士達を率いて移動していた。
民の退避誘導を終えて、学園へ向かっていた。
「カッセル隊長、状況は!」
「王都の結界が持ちこたえているおかげで邪神の被害はないが、南側で教団と交戦中だ。そちらは、持ち場の守備を続けてくれ!」
「分かった。だが……この歌声は……」
ヒリエダは学園の方向を見た。
金色の光と美しい歌声が漏れ出ていた。
ヒリエダはしばらく学園を見た。
それから「我々は外周の守備を続ける」と言って移動した。
カッセル隊長は騎士達に命令を続けながら、内心では別のことを考えていた。
あの若い令嬢が、この国の命運を背負っている。
騎士にできることは限られている。
邪神と正面から戦う力は騎士にはない。
だが、側面から支える力はある。
「なにが起こるかわからん、持ち場を離れるな! 我々の役目は盾だ!」
「はっ!」
騎士達が応えた。
王都では、オルスティ侯爵が王宮の塔から学園の方向で様子を様子を伺っている。
金色の光が王都を照らしていた。
傍にいた王宮の文官が言った。
「オルスティ侯爵」
ウスルグは腕を組んだ。
「グランドロス殿は?」
「第二連隊と共に東の方角を守備についています」
「追加の支援は?」
「第一連隊が学園周辺へ向かっています。これ以上は……」
「分かった。後は、信じるしかない」
オルスティ侯爵は学園の方向を向いたまま動かなかった。
その目には祈りのような何かがあった。
グランドロス騎士団長は、王都の中心部で騎士達を指揮していた。
市民の退避は概ね完了していたが、一部の地区でまだ残っている者がいると報告があった。
「第二連隊第一小隊、北東の区画の最終確認に行け! 残っている者がいれば全員誘導しろ!」
「はっ!」
「第二小隊は南東の広場の守備を維持! 邪神が方向を変えた場合に備えろ!」
グランドロスは指示を出しながら、空を見ていた。
邪神は学園の方向へ向いていた。
今のところ、邪神の攻撃は防げている。
「……使徒殿、頼む」
長年戦場を潜り抜けてきたグランドロスが心の中で祈った。
リセリアは歌い続けていた。
結界は維持されていたが、邪神の攻撃は続いていた。
リセリアの歌術式は最後の段階が近づいていた。
最後の一節を歌い終えた時、術式は完成する。
リセリアは目を閉じている。
リセリアの周囲に光が満ち、指輪が反応した。
金色の光が空へと昇っていった。
その光が一筋の線を描き、ルイ・クロデリヌスが眠っている場所へと伸びていった。
神殿の地下に光が差し込んだ。
台座の上に横たわっていた人物の顔に、その光が当たった。
長い間、動かなかった指が……かすかに動いた。
まぶたが、ゆっくりと開いた。
空に変化が起きた。
邪神が、その変化に気づいた。
まるで、なにかを感じたかのように邪神は一度攻撃を止めた。
邪神は空で大きく翼を広げた。
低く、地を揺るがすような声を上げた。
リセリアが歌い終えた。
指輪は反応したままだ。
リセリアの数歩先の方向へ新たな光が出現した。
光は徐々に大きくなっていった。
その中心に、眩い光が降り注いだ。
光の中から、人影が現れた。
それを見た周囲は、息を飲んだ。
光の中から現れたのは、一人の男性だった。
長い眠りから目覚めたばかりのはずなのに、その立ち姿は揺るがなかった。
光が引いていくと、その顔が見えた。
リセリアの前に、その人が立っていた。
男は、ゆっくりとリセリアを見た。
目が合った。
男——ルイ・クロデリヌスは微かに笑った。
「理世、だよね」
リセリアは答えた。
声にならなくてただ、頷いた。
何度も、何度も頷いた。
目から、涙が流れた。
ルイは一歩前へ出て、リセリアを抱きしめた。
しかし、その感動の再会を喜んでいる時間はなかった。
邪神が再び動き始めた。
ルイ・クロデリヌスを見た邪神は怒りの顔だった。
邪神は翼を広げた。
ルイは、リセリアの肩から手を離した。
そしてリセリアを見て言った。
「邪神は、俺達が倒さなければならない」
リセリアは涙を堪えながら頷いた。
「一緒に戦おう」
ルイは、そう言って空を見上げた。
その目には恐れなど微塵もなかった。




