12. 眠れる使徒
婚約解消が正式に成立した翌週、リセリアは神殿の使者から手紙を受け取った。
それは白い封筒で差出人の名はなく、表には名前だけが書いてあった。
封を開けると、中の便箋にはリンフェリス大神殿の紋章があった。
「次の休日に迎えの使者を向かわせます。その時に神殿にて、お話したいことがあります」
内容はそれだけだったが、リセリアはその手紙をしばらく手の中で持っていた。
窓の外では春の風が木の葉を揺らしていた。
その夜、リセリアは歌術式の練習をした。
ウェルディから受け取った書物を開き、双字で書かれた歌術式の理論を読み返した。
書物には歌術式の段階が記されていた。
第一段階は「共鳴」。術者の魔力と双字の持つ意味が共鳴を起こす段階。
第二段階は「構築」。共鳴した力が術式の構造を形成する段階。
第三段階は「放出」。構築した術式が目的に向かって放出される段階。
そして書物には、特別な注釈があった。
『この術式を使う時、大切なことがある。何のために使うかを常に意識してほしい。この術式は、術者の核にある感情にも反応する。守りたいもの、伝えたいものから発動させてほしい』
琉生は研究をして努力し、この術式を作った。
それなら自分もその術式を使いこなそうと懸命に取り組んだ。
消灯前の時間、ヴィーナはリセリアの歌を聞いていた。
リセリアが書物を読みながら小さい声を出して練習していたからだ。
歌が止みヴィーナがベッドの上で起き上がり、リセリアに声をかけた。
リセリアは少し困った顔をした。
「うるさかったかしら、ごめんなさい」
ヴィーナは顔を横に振った。
「いいえ、もっと聞きたいくらいです」
「聴いていていいですか?」
リセリアは微笑んで答えた。
「どうぞ」
リセリアは双字の歌詞を小声で歌った。
旋律は形になっていった。
歌い終わるとヴィーナが言った。
「……すごく……綺麗な歌声でした……」
「ありがとう」
「またよかったら聞かせて下さいね」
ヴィーナはそれだけ言って、再びベッドに横になった。
それから時々、夜に声を出して練習をするようになった。
週末、リセリアはシャハリス神殿長と共に再びあの場所を訪れた。
地下への階段を降りる間、リセリアは深く息を吸った。
石造りの廊下を歩く間、自分達の足音だけが聞こえた。
そして扉の前に立った。
リセリアは静かに手を触れて、扉を開けた。
台座に近づいて琉生の顔をもう一度、近くから見た。
リセリアは台座の縁に手をついて、しばらくそのまま琉生の顔を見た。
その間、神殿長は入口のところで静かに待っていた。
しばらくして、シャハリス神殿長がゆっくりと近づいてきた。
「リセリア様、今日お連れしたのには理由があります」
「はい」
「今日は、お渡しすべきものがあります」
神殿長は手にしていた布包みをリセリアに差し出した。
「これを」
リセリアは受け取った。
布包みは少し重かった。
ゆっくりと布を解くと中からは、革表紙に金色の装飾が施されている書物が現れた。
「それはルイ・クロデリヌス様が作られたとされる書物です。代々、神殿長だけが保管してまいりました。開いてみてください」
リセリアは書物を開いて、頁をめくった。
双字でびっしりと魔術について書かれた内容が続いていた。
理論的な説明もあったが、琉生自身の言葉も多かった。
どこで何を考えたか、どうやって術式を開発したか、失敗したこと、試行錯誤したことが書かれていた。
まるで日記のようでもあった。
リセリアは書物を胸に抱えた。
その日、神殿長はルイ・クロデリヌスのことが書かれている複数ある資料の記録を基に話を始めた。
ある資料は当時、神官長だったガストロンという人物が書き残したものだった。
『ある日、神託により神殿に使徒が現れた。最初は倒れ込んでいて、意識はあったが混乱した様子だった。言葉は通じたが、この世界の者ではなかった』
リセリアはそれを聞いて、琉生が初めてこの世界に降り立った時のことを想像した。
突然、見知らぬ場所に放り出された。
言葉は通じるが、何も知らない世界で一人だった。
『彼は礼儀正しかった。混乱しながらも私が声をかけると、きちんと礼をした。その礼の仕方が珍しかった。この国のものではなかったが、それが失礼には見えなかった』
琉生の誠実さが形に現れたのだろう。
『彼は、神殿に滞在することになった。こちらの世界の事を色々と学んだ。彼は飲み込みが早く、多くの物を習得していった』
琉生はその時、どんな気持ちで過ごしていたのだろうか。
『ある夜、私は彼が庭で空を見上げているのを見た。声をかけると、彼は「大切な人達が今頃、何をしているかを考えていました」と。彼の顔は、とても寂しそうだった』
リセリアは目を閉じた。
別の資料には、ルイ・クロデリヌスが邪神を封印するまでの過程が記録されていた。
それは、当時の王宮の記録係が書き残したものだった。
『ルイ・クロデリヌス様が邪神と対峙したのは、彼がこの世界に現れてから七年後のことだった。その七年間、彼は魔女の下で修行を続けた。そして魔術を習得し、自らの術式を開発した。その速度は異常とも言えるほどで、七年でこの国の最高位の魔術師に匹敵する力を持つに至った』
七年――。
それは琉生の才能でもあり……それ以上に、やるしかないという状況の中で追い詰められながら成長したのだとも思えた。
『邪神との戦いは、邪神を崇める教団も介入した。教団は王国の騎士団と魔術師団で対抗した。ルイ・クロデリヌス様は一人で邪神と戦い続けた』
それはどれほど過酷なものだったのだろうか。
『封印について、ルイ・クロデリヌス様は伝えていた。この封印は邪神を弱体化するためもの。封印が解かれる時、邪神は使徒二人で倒すことになると』
さらに別の資料にルイ・クロデリヌスが眠りにつく前の記録があった。
『邪神が封印されている間、ルイ・クロデリヌス様は長い眠りにつく。封印が解ける前に対となる使徒が現れ、自分を眠りから覚ますことになると』
琉生は、この世界を守ろうとしていた。
一人でここに来て、それでもこの世界の人々のために戦うことを選んだ。
今まで知らなかったことを、少しずつ知っていく。
その一つ一つが、琉生への理解を深めた。
そして自分がなぜここに転生したのかを理解した。
リセリアは自分の使命を全うしようと決意を新たにする。
その日の夜、リセリアは受け取った書物の中で琉生がこの世界に来た直後のことを記したところを読んだ。
『この世界に来た日のことを忘れないように書き留めておく。
突然、光に包まれ次に目を開けた時、見知らぬ場所にいた。
足元には地球とは違う世界が広がっていた。
その時、上空から声がした。
神と名乗っていた。
そして俺を使徒として選んだと言われた。
どうやら、邪神というのを倒すために俺は別の世界を救うために飛ばされたらしい。
邪神が降り立つ世界の者では邪神は倒せない。
別世界の者であり神の力を授かった者しか倒せないと言っていた。
俺は元の世界に戻れるのかを聞いた。
その答えは否だった。
俺は初めて、俺は絶望した。
理世に会えない。家族や友人にも会えない。元の世界には戻れない。
それから神は言った。
邪神は、この世界が滅びると次は地球だという。
邪神は百年程は弱体化する封印を施し封印が解かれた時、倒すことが使命だった。
俺には、選択が残されていなかった』
リセリアは書物を手に持ったまま目を閉じた。
前世の理世が琉生を失って十年間待ち続けたように、琉生もこの世界で一人で戦うしかなかった。
そのことが胸に刺さった。
書物には続きがあった。
リセリアは再び読み進めた。
『神はもう一つ言った。
邪神を倒す時、もう一人の使徒が必要だと言った。
俺とその使徒の二人の力が必要だと。
そしてその使徒を選ぶのは俺だと神は言った。
対となる使徒は、お前と同じ世界の者でなければならないと。
俺の答えは出ていた。
理世以外に、考えられなかった。
理世が寿命を全うした後、記憶を持ったままこの世界へ転生させてほしいと伝えた。
神は承諾した。
それから俺の人生はがらりと変わった。
理世が来るまでに、今できる使命を果たす。
理世が来たとき、一緒に残りの使命を果たす。
それが、俺の目的となった』
リセリアは書物を見つめた。
琉生は絶望の中から自分で立ち上がり、自分の意志で選んだ。
前世の理世は、そのことを知らなかった。
琉生がいなくなって、どこに行ったのかも分からなくて、ただ待ち続けただけだった。
リセリアはルイの書物を毎晩読んだ。
琉生がどんな風に過ごしていたのか、それを読みながら涙を堪えながら読んでいった。
中にはルイを目覚めさせる方法もあったが、それはまだ出来ない状況だった。
書物を読むと同時に歌術式の練習も続けていた。
双字の歌詞が、旋律に乗って部屋の中に広がった。
前世で歌い続けてきた声がこの世界で魔術と結びついた瞬間だった。
光がリセリアの周りに溢れた。
柔らかく、温かい光だった。
それは幻想的な光景だった。
部屋にいたヴィーナが小さく息を飲んだ。
リセリアは静かにヴィーナに言った。
「このことは、誰にも言わないでほしいのです」
ヴィーナはいきよいよく頭を縦に頷いた。
リセリアは歌い続けた。
双字の旋律が術式の構造を形成していった。
初夏の頃、王宮の使いから新しい情報が届いた。
王宮の調査によって、邪神教団の拠点の一つが特定されたという。
だが直接的な摘発はまだできていなかった。
証拠を掴む前に動けば、尻尾を切って逃げるだけだからだ。
邪神に関連する痕跡があり教団が何かをやろうとしていることは確かで、彼らに私の存在を嗅ぎ付けられないように気を付けるようにとあった。
日々を過ごしていると、学園では変化があった。
ハリス先生が、特別訓練の参加者にリセリアを指名した。
「この学園では、選抜した生徒を対象にした高度な魔術訓練があります。是非、参加しませんか?」
「はい、参加してみたいです」
その訓練には、リセリアの他に九名の生徒が選ばれた。
その中に、三年生の男子生徒がいた。
タルディ・グルナールという名で、少し寡黙な生徒だった。
魔力の量はこの学園でも上位で、術式の精度は高かった。
「シャステリーゼ家のご令嬢ですか」
「はい。グルナール先輩、よろしくお願いします」
最初の訓練でリセリアと組んだ時、双方の魔力の相性が良いことが分かった。
タルディ・グルナールは、共同訓練においては的確な判断をした。
リセリアはタルディを頼りになる人だと思った。
特別訓練の中で、リセリアは新しいことを学んだ。
複数の術者が魔力を合わせる共同術式というものがあった。
個人の術式より複雑だったが、威力は個人の何倍にもなった。
リセリアはその訓練をしながら、一つのことに気づいた。
歌術式は、共同で使うことができる。
そして二人の術者が同じ術式を使う時、それぞれの感情も重なって更に強力になる。
リセリアは自分の能力を上げるため、訓練に精を出した。
夏の終わり頃にウェルディのもとを訪ねた時、老婆は珍しく厳しい顔をしていた。
「ウェルディ様、何かありましたか?」
「昨夜、東の荒野の方向から嫌な気配がした」
リセリアは表情が引き締まった。
「最近、教団側が活発化していると聞いておる。彼らは封印の地で何かをしようとしているという話もある。急いで術式を極めた方がいいだろう」
「分かりました。今まで以上に、ご指導お願いします」
それから、訓練は更に厳しいものとなっていった。
秋が深まった頃、リセリアは最後の確認をした。
書物を最初から最後まで、もう一度通して読んだ。
全ての理論を理解し、全ての術式の構造を把握をした。
そしてルイが書き残した言葉を胸に刻んだ。
書物の中にはルイ・クロデリヌスを目覚めさせる方法が書かれていた。
それを神殿長と王宮とで共有した。
準備は整ってきていた。




