10. 婚約者
寒い冬が訪れた。
王都に初雪が降った朝、リセリアは窓の外を見ながら、前世の冬を思い出した。
石畳が白く覆われて、いつもとは違う静けさが王都を包んでいた。
ヴィーナが窓のそばに来て、雪を見ながら言った。
「雪って冷たいですけど、綺麗ですよね」
「そうですね」
「レクセニ領では、もっと雪が降るんです。子供の頃は、雪が降るたびに外に飛び出していました」
「どんな子供だったのですか?」
「おとなしい子とよく言われました。普段は外に出るのが苦手で本ばかり読んでいました。でも雪の日だけは、なぜか外に出たくなって遊んでいました。リセリア様はどうでしたか?」
「私は、庭に出て景色を眺める事が好きでした。そういえば、よく走り回って侍女にしかられていましたね」
しばらく二人は、雪を眺めながら思い出を語り合っていた。
冬の学園は、行事が増えた。
年末の礼典、新年の祝宴、冬の魔術発表会など、それぞれに準備があった。
授業の合間に様々なことが重なった。
ある昼食の時間のことだった。
リセリアとジェシカが食堂で向かい合って食べていると、ソルネスが食事を持って近づいてきた。
「ここ、いいか?」
ジェシカが驚いた顔をした。
リセリアも少し驚いたが、表情には出さなかった。
「……どうぞ」
ソルネスはジェシカの隣の席を空け、リセリアの向かいに座った。
三人での食事が始まったが、最初は誰も話さなかった。
ジェシカが視線でリセリアに「どういうこと?」と訴えていたが、リセリアも分からなかった。
「最近、魔術の実技で上位に入っているそうだな」
ソルネスがリセリアに言った。
リセリアはすぐに答えた。
「そうですね」
ソルネスは少し考えた顔をした。
「俺は魔術があまり得意ではない」
「そうなのですか」
「ルトラルト家は魔術よりも政治と外交に重きを置く家柄だ。だから気にしていなかったのだが、いざ実技となると周囲との差を目の当たりにして落胆した」
ソルネスが自分の弱点を話すのは珍しい告白だった。
「ですが……政治と外交に長けているのは、それはそれで重要なことだと思いますわ」
「お世辞か」
「事実です。魔術は一つの力ですが、それだけが力ではありません。国を動かす力も人を動かす言葉も力です」
ソルネスはしばらくリセリアを見ていた。
「……そうか」
ジェシカが横で「うんうん」と頷いていた。
あれからソルネスは時々、リセリアの近くに来るようになった。
廊下で会った時に少し話したり、食堂で同じテーブルになったりした。
その変化を周りの生徒達は様々に受け取った。
婚約者同士が仲良くなったと解釈する者もいた。
逆に、リセリアがソルネスに取り入ろうとしていると見る者もいた。
クルシア・ビルドナはその変化に敏感に反応した。
ある日の授業後、クルシアがリセリアに声をかけた。
「シャステリーゼ様、少しよろしいですか」
クルシアは表向きは丁寧だったが、目の奥は警戒をしているようだった。
「何でしょうか」
「ソルネス様のことなのですが……」
「別の所へ移動しましょう」
クルシアとリセリアは裏手の庭に移動した。
「最近、ソルネス様がシャステリーゼ様と会う機会が増えているようで……お二人は婚約者同士ですから、当然といえば当然なのですが……」
クルシアは言葉を選んでいた。
直接的に言えないことを回りくどく言おうとしているのが分かった。
「ビルドナ様が、何を心配されているのか分かります」
リセリアは静かに言った。
「ソルネス様が私に近づいているように見えるから不安なのですね」
クルシアの表情が少し変わった。
「……そういうつもりで申し上げたのではなくて……」
「いいえ、はっきり言って頂いた方が楽です。私はソルネス様に、特別な感情を持っておりません。ソルネス様も同じだと思います。ただ、婚約者として最低限の関係を維持しているだけにすぎません」
「……本当に?」
「ええ」
クルシアはしばらくリセリアを見ていた。
その目から、警戒の色が少し薄れた。
「……そうですか」
クルシアはどこかほっとしたのか、小さく笑った。
その笑い方は人前で見せるような作られた笑いではなく、自然な笑いだった。
リセリアはその時、クルシアが嫌いではないと思った。
ソルネスへの感情は複雑だったが、クルシア自身はあまり悪い人とは思えなかった。
本来なら、婚約者のいる男性に近づく女性は嫌悪の対象だ。
だけど自分に関しては、彼女を責める資格はないと思っていた。
ソルネスとの関係が少し変化した頃、ジェシカがリセリアに言った。
「ルトラルト様、最近リセリアのことを見る目が変わってきましたよね。前までは形式上の婚約者として見てただけで、最近は友好的に接している感じがします」
それを聞いたリセリアは少し困った顔をした。
クルシア・ビルドナのことを、リセリアは最初から悪く思っていなかった。
彼女の存在がリセリアとソルネスの間に影を落としているのは事実だったが、それはクルシアのせいだけではなかった。
ソルネスがクルシアに興味を抱き、リセリアはそうではなかっただけのことだ。
それにクルシアが複雑な立場にいることは、リセリアにも分かっていた。
ルトラルト侯爵家より格下のビルドナ男爵家の娘として、侯爵家の息子に想いを寄せている。
それは、社会的には難しい位置にある。
婚約者のいる男性に近づいているという視線も、周りからはあった。
クルシアは強い人だとリセリアは思った。
そういう視線の中でも、それでも自分の気持ちを貫いているのだから。
ある日の午後、図書館でリセリアがクルシアと二人きりになった。
それは偶然だったがお互い、人がいないはずの時間帯に図書館を使おうとして鉢合わせた。
クルシアは少し気まずそうな顔をした。
「邪魔をしましたか?」
「いいえ」
二人はそれぞれの棚から本を取り、別々のテーブルで読み始めた。
しばらくは沈黙があった。
最初に口を開いたのはクルシアだった。
「シャステリーゼ様は、何を読んでいらっしゃるのですか?」
「古代の封印術についての文献です」
「また珍しいものをお読みになるのですね」
「ええ、魔術を学ぶことが好きなもので」
「素晴らしい向上意欲をお持ちなのですね」
リセリアは顔を上げた。
「ありがとうございます」
クルシアはしばらく本を見ていた。
それから、少し低い声で言った。
「リセリア様、一つ聞いてもいいですか?」
「はい」
「以前、ソルネス様のことは特別な感情を持っていないとおっしゃっていましたが、ソルネス様を好きになることはないのですか?」
「……ソルネス様を恋愛でいう好きと言う感情は抱くことはありません」
「……本当に?」
「はい、ソルネス様を悪く思っているからではありません。政略として結ばれた婚約なので、その婚約者としか見ておりません」
「そうですか……」
クルシアは悲しそうな顔をした。
「私は……ソルネス様には婚約者がいると知りながら、好きになってしまいました。……その……申し訳なく思っているんですが、この思いはどうしようもなくて……」
二人はしばらく沈黙した。
どうしようもない気持ちを抱えているという点ではリセリアも同じだった。
「ビルドナ様」
「はい」
「婚約のことは、爵位が上の相手から申し出て頂けない限り、こちらは動けません。ただ、もし状況が変わることがあれば、その時は正直に向き合いたいと思っています」
クルシアはその言葉の意味を考えているようだった。
それから「分かりました」と言った。
その後二人はしばらく図書室で、それぞれの本を読んだ。
会話はなかったが、先ほどまでとは違う空気が二人の間に流れていた。




