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残影の中の手がかり (6)

 エンはゆっくりと目を開けた。

  ぼんやりとした意識の中、彼は暗闇に浮かぶ白い猫の影を見た気がした。


 ──深紅の瞳が静かにこちらを見つめている。

  言葉はなかった。

  ただ、何かを伝えるように、穏やかに彼を見守っていた。


 そして、次の瞬間──現実へと引き戻された。


 視界がぼやけながらも焦点を結び、エンは自分が見知らぬ部屋のベッドに横たわっていることに気づいた。


 ひんやりとした空気が肌を撫で、周囲は静寂に包まれている。


 ──そして、ふと目をやると。


 カルマが、ベッドの傍で静かに眠っていた。


 長い髪がさらりと肩にかかり、規則正しい寝息が微かに聞こえる。

  普段の強気な表情は影を潜め、どこか儚げで穏やかな寝顔だった。


「……。」


 エンはゆっくりと体を動かそうとしたが、四肢に鈍い痛みが走り、思わず顔をしかめた。

  だが、それでも先ほどまでの激痛に比べれば、随分と和らいでいる。

  誰かが傷の手当てをしてくれたのだろう。


 ──カルマ、なのか?


 そう思うと、エンは再びカルマの顔を見つめた。


 どれほどの時間、自分のそばにいてくれたのだろうか。


 しかし、感謝の気持ちとは裏腹に、心の奥に押し寄せてきたのは別の感情だった。


 夜行者ナイトウォーカー──。

  あの圧倒的な力が、まだ鮮明に記憶に焼き付いている。

  あの瞬間、自分はまるで抵抗すらできないまま、ただ弄ばれるだけだった。


 もし、アイツが本気で殺すつもりだったら?


 その問いが頭をよぎり、エンの指が無意識にシーツを握り締める。


 ──結局、俺は「生かされた」に過ぎない。


 それが、エンの胸を締め付ける。


 カルマは何も知らずに、無防備に眠っている。

  彼女はずっと俺を支えてくれていた。

  それなのに、自分は?


 守れていない。

  何一つ、守る力がない。


 エンは目を閉じ、静かに息を吐いた。


(俺は……まだ、弱すぎる。)


 夜行者の狂気じみた笑顔が、頭から離れない。

  彼の言葉、彼の視線──どれもが、自分の無力さを突きつけてくる。


 このままでいいのか?


 再び戦う時が来たら、次は守れるのか?

  次こそは、カルマを──いや、大切なものを守れるのか?


 ……分からない。


 だが、「できるか分からない」ことと、「諦める」ことは違う。

  たとえ今は届かなくとも、俺には「進む」ことしかできない。


 もう二度と、あの時のような無力感に囚われるわけにはいかないのだから。


「……!」


 エンの小さな動きに気づいたのか、カルマはふと顔を上げた。

  驚いたように目を瞬かせ、次の瞬間──彼女の表情に安堵の色が浮かんだ。


「……よかった。」


 声には出さなかった。

  それでも、その柔らかく微笑む顔は何よりも雄弁だった。


「言葉なんていらない。あなたが目を覚ましてくれた。それだけでいい──」

  まるで、そう伝えてくれるように。


 エンは彼女の視線を正面から受け止めた。

  ほんの一瞬前まで、心の中に渦巻いていた敗北感や無力感が、少しだけ和らいでいくのを感じた。


 ──だが、次の瞬間。


 バタンッ──!


 唐突に扉が開かれ、室内に静寂を破る音が響いた。

  カルマが反射的に顔を上げると、そこにはアイデンとマイルズの姿があった。


 マイルズはいつものように冷静な表情だったが、その眼差しにはかすかな安堵が滲んでいた。

  一方のアイデンは、落ち着いた態度のままエンを見つめ、わずかに微笑を浮かべた。


 カルマはエンへと視線を戻し、小さな声で囁いた。


「……重傷だったのよ。マイルズが連れ帰ってくれたの。」


 マイルズも頷き、淡々とした口調で続ける。


「公会の車を使っていたからな。

  それがなければ、お前を見つけるのにもっと時間がかかっていたかもしれん。」


 カルマは慎重にエンを支え、ゆっくりと上半身を起こさせた。

  肩に鈍い痛みが走り、エンは眉を寄せる。

  まだ回復には時間がかかりそうだ。


 彼は深く息を吸い、意識をはっきりさせると、目の前の三人を見つめた。


 ──訊きたいことが山ほどある。


 夜行者の出現。

  マイルズの介入。

  あの遺跡に隠された秘密……


 だが、それらが混ざり合い、どこから問いかければいいのか分からない。


「……俺は……」


 そう呟いたものの、言葉がまとまらなかった。

  思考が絡み合い、明確な疑問として口に出せない。


 アイデンは、そんなエンの様子を察したのか、静かに頷きながら口を開いた。


「焦らなくていい、エン。

  訊きたいことがあるのは分かっている。だが、順番に説明する。」


 マイルズも淡々と続ける。


「そうだな。今日起きたことについて、お前に話すべきことは多い。」

  「だが、まずは休め。お前の体が優先だ。」


 エンは僅かに頷き、素直に二人の言葉を受け入れた。

  まだ全ての疑問が解けたわけではない。

  だが、今は回復を優先すべきだと理解していた。


 ゆっくりと目を閉じ、ひとまず彼らの話に耳を傾けることにする。


 そんなエンを見て、アイデンは小さく息を吐き、静かに言葉を紡いだ。


「……リアも、お前の治療を手伝ってくれた。」

  「彼女がいなかったら、まだ意識すら戻っていなかったかもしれない。」


 彼の声音はどこか優しく、しかし慎重だった。


「だが、お前の傷はあまりにも深かった。」

  「俺たちがどれだけ手を尽くしても、せいぜい痛みを和らげる程度だ。」

  「完全に回復するには、しばらく時間がかかる。」


 エンは眉をひそめ、言葉にできない違和感を覚えた。

  だが、彼が口を開く前に、マイルズが冷ややかな声で言った。


「本来なら、もっと早く介入することもできた。……だが──」


 彼の言葉には、わずかなためらいが混じっていた。

  視線を横に逸らし、まるでエンの目を避けるように微かに首を振る。


「あの機会を逃したくなかったんだ。

  エリヴィアの『贈り物』を、この目で確かめるためにな。」


 マイルズの低い声が静かに響く。

  その表情には、どこか複雑な感情が滲んでいた。


 アイデンが言葉を引き継ぐ。


「彼女の力が本当にお前の中に宿っているのか、

  あるいは、どのような条件下で顕現するのか……それを知る必要があった。」


 彼は慎重に言葉を選びながら続けた。


「だが、確認できたのは……ほんの一瞬だった。」


 エンの中で疑念が膨らんでいく。

  彼らの言葉には、まだ多くの"隠された情報"がある──そんな気がしてならなかった。


 彼は低く問いかける。


「エリヴィアの『贈り物』……お前たちは、何を確かめようとしている?」


 アイデンとマイルズは、一瞬だけ視線を交わす。

  そして、マイルズが短く答えた。


「お前が気にすることじゃない。少なくとも、今はな。」


 その曖昧な返答に、エンの苛立ちは増すばかりだった。

  まるで、自分が大きな渦の中心にいるのに、何一つ真実を知らされていないような感覚──

  その閉塞感が、じわりと心を侵食していく。


 ──何かが隠されている。

  だが、彼らはそれを明かすつもりはない。


 横でじっと話を聞いていたカルマが、とうとう堪えきれずに声を荒げた。


「……まだ何を隠してるの?」


 彼女の眉が鋭く寄せられる。


「言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいでしょう!

  何をそんなに回りくどくするの?」


 アイデンは苦笑し、軽く肩をすくめた。


「……そこまで言うなら、ストレートに話そうか。」


 彼は少し息をつき、静かに続ける。


「俺たちは、ずっと黒燈会こくとうかいの動きを追っていた。」

「そして早い段階で、ある事実にたどり着いたんだ。」


 マイルズが補足する。


「夜行者は、"三界の扉"を開こうとしている。」

  「人間界・魔界・神界……それらを完全に繋げるために、な。」


 その言葉に、エンとカルマの表情が固まる。


 カルマが慎重に問いかける。


「それがエンとどう関係あるの?

  まさか……エリヴィアの力が、その鍵になると?」

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