残影の中の手がかり (5)
──紅蓮の閃光が炸裂した。
突如として、炎の身体から膨大な魔力の衝撃波が解き放たれる。
ズガァァァァンッ!!
その一撃は嵐のごとく吹き荒れ、夜行者を大きく弾き飛ばした。
「っ──!!?」
彼は反射的に腕を交差させて防御するも、完全に防ぎきれるものではない。
猛烈な力が全身を貫き、そのまま地面を抉るように後方へと吹き飛ばされる。
ゴゴゴゴ……!!
土埃が舞い、遺跡の大地に深々とした爪痕が刻まれる。
その余波により、周囲の空気さえも震え上がるほどだった。
しかし、その代償は炎自身にも襲いかかる。
「……ッぐ……!」
爆発的な反動によって、炎の身体も無慈悲に弾き飛ばされた。
勢いのままに遺跡の石壁へと叩きつけられ、鈍い衝撃音と共に地面へと転がる。
ドサッ……!!
──全身に、激痛が走った。
肩と背中が燃えるように痛み、まるで骨が砕けそうなほどの衝撃。
吐き出す息が乱れ、体力が根こそぎ奪われていくのを感じた。
だが、それ以上に。
彼の肩口からは止めどなく血が滴っていた。
夜行者の指が深々と食い込んだ痕跡が、未だに赤黒く口を開いている。
炎は呻きながら、必死に身体を起こそうとした。
しかし、指をわずかに動かしただけでも激痛が走る。
腕を支えにしようとするたび、傷口が悲鳴を上げるように血を滴らせた。
頬を伝う赤い筋は、先ほどの衝撃で額が裂けたせいだろう。
その血痕が石壁へと擦れ、闇の中に生々しい痕跡を残していく。
「……ッ、く……!」
それでも、倒れるわけにはいかない。
炎は歯を食いしばり、震える腕で地面を押す。
だが、赤く染まった指先は何度も力なく滑る。
彼の身体は、確実に限界へと近づいていた。
そして、そんな彼を見下ろす夜行者は──
その場で、不気味な笑みを浮かべていた。
「……クク……ハハハ……!」
まるで心底楽しんでいるかのように。
夜行者は、一歩ずつ炎へと歩み寄る。
その瞳は、狂気に満ち、狂喜に震えていた。
「これだ……これこそが……
……女神の力……!!」
まるで崇拝する聖遺物を目にしたかのように、
彼の顔には異様な陶酔感が広がっていた。
「美しい……この力こそ、俺が求めていたものだ……」
呟きは、まるで信徒の祈りのようだった。
だが──
その恍惚とした眼差しが、ある瞬間から怒りに染まる。
陶酔が、嫉妬へと変わる。
賛美が、憎悪へと変わる。
「……それなのに、お前が持っているのか……」
夜行者は、拳を固く握りしめた。
瞳に宿るのは、燃え盛るような怒り。
「貴様のような凡庸な器が、この力を……?」
彼の歯が軋み、憤怒が抑えきれず全身に溢れ出した。
「ふざけるなァァァ!!!」
夜行者の怒声が、遺跡全体に響き渡った。
彼の拳が、黒き炎を纏いながら振り上げられる──。
「なぜだ……?」
夜行者の声は、低く沈み込みながらも、明らかな殺気を孕んでいた。
その声には怒りの震えが混じり、次第に狂気へと変わりつつあった。
「なぜ貴様なんだ……!?
なぜ、彼女の力が……このような凡俗な人間を守るというのだ!!」
彼の瞳には、燃え盛る嫉妬と憎悪が渦巻いていた。
その顔は怒りに歪み、まるで自分の存在そのものを否定されたかのように苦悶している。
「俺こそが、彼女の真の信徒だ!
俺こそが、唯一彼女を理解している存在だ!!」
だが、彼女が選んだのは炎だった。
それが夜行者にとって、何よりも許せぬ事実だった。
「なのに……どうして貴様なんだ……!?」
黒い魔力が渦を巻き、夜行者の身体から荒れ狂うように放出される。
それはもはや理性を超え、嫉妬と憎悪に飲み込まれた狂気そのものだった。
「彼女は貴様を守った……?
……貴様が彼女の庇護を受けるだと?
──貴様なんかに、そんな資格はない!!」
黒き闇がうねり、夜行者は怒りのままに炎へと歩を進める。
まるで獲物を食らおうとする獣のように、一歩ずつ、確実に。
──しかし。
炎は、怯まなかった。
「……お前が何を追い求めようと、
お前に彼女の真意が分かるはずがない。」
低く、冷たい声音が遺跡に響く。
炎は血の滴る腕を押さえながらも、夜行者の狂気に屈することなく、まっすぐに睨み返した。
彼は分かっていた。
この男の信仰は、もはやただの崇拝ではない。
歪んだ愛と執着が、狂気へと変わり果てたものなのだと。
「──貴様……!!」
夜行者の怒りが、爆ぜた。
彼の魔力は火山の如く噴き出し、闇の奔流が炎を飲み込もうと襲いかかる。
このままでは、完全に押し潰される。
──しかし。
その瞬間、遺跡の空間が、異様に波打った。
「……ッ?」
炎が顔を上げると、視界の端で空気が微かに歪み始める。
四方の大気が震え、見えない力があたりを包み込むように広がっていく。
まるで何かに干渉されるように、空間そのものが揺らいでいた。
次の瞬間──
「結界……?」
夜行者の足元に、見えざる光の壁が立ちはだかる。
透明な障壁が静かに形成され、彼を中心にゆっくりと広がっていく。
それは、まるで彼を閉じ込めるかのように。
夜行者は一瞬驚いたように目を見開くも──
すぐに、不敵な笑みを浮かべた。
「ククッ……ハハ……面白いじゃないか。」
まるで何も恐れていないかのように、彼は薄ら笑いを浮かべながら障壁を見回した。
だが、その余裕は長くは続かなかった。
「──調子に乗るなよ、夜行者。」
低く響く声と共に、一人の男が闇の中から姿を現す。
「……ッ!?」
その声の主は──マイルズだった。
そして、彼の背後には数名の公会のハンターたちが続き、素早く夜行者を包囲する。
夜行者の笑みが、僅かに歪んだ。
マイルズは冷徹な眼差しで夜行者を見据え、無駄のない動きで狩人たちに指示を下した。
その表情には迷いはなく、まるでこの奇襲を予見していたかのように、隙のない態度を保っている。
「──連れて行け。俺が足止めする。」
短く、しかし明確な命令が下されるや否や、数人の狩人が素早く炎の元へ駆け寄った。
炎の身体は傷つき、力が入らない。
無理やり両腕を抱え込まれ、引きずられるように結界の端へと連れて行かれる。
──意識が遠のいていく。
だが、それでも炎はかろうじて首を動かし、マイルズと夜行者の対峙を目に焼き付けようとした。
「夜行者。お前が彼を殺すことはない。」
マイルズの声は、低く、しかし確固たる決意を帯びていた。
「エンは俺たちの計画にとって、必要不可欠な存在だ。
ここで死なせるわけにはいかない。」
──計画?
炎の意識の奥底で、疑問がわずかに膨らむ。
それに対し、夜行者はフッと鼻で笑った。
その目には、狂気じみた嗜虐の色と、何よりも嘲弄の光が宿っている。
「計画……?」
皮肉げに繰り返し、彼はくすくすと笑い出した。
「なるほどなぁ、狩人共は本当に退屈な連中だ……そんな取るに足らない凡人に、希望を託すとはな。」
夜行者の嗤いに、マイルズは何の感情も見せなかった。
ただ、一歩前に進むと同時に、手を軽く振るった。
──瞬間、魔刻符紋が光を放ち、夜行者を中心に鎖のような結界が展開される。
圧倒的な力が空間を締め付け、夜行者の黒き魔力を封じ込める。
「お前の評価などどうでもいい。」
マイルズは冷ややかに言い放つ。
「今日、エンはここから生還する。
そして──お前は、自らの罪に見合う代償を払うことになる。」
夜行者の笑みが深まる。
「ククッ……おもしろい。」
ゆっくりと口角を吊り上げ、目を細めると、彼は炎の背中をじっと見つめた。
「計画の重要な駒か……
これは、期待しないとな。」
「──果たして、どんな"奇跡"を見せてくれるのか?」
低く囁かれた言葉が、炎の意識の奥深くにこだまする。
何か、途方もなく不吉なものを暗示するような響きだった。
しかし、それを思考する間もなく、炎の視界は徐々に暗闇に包まれていく。
──そして、意識は完全に途切れた。




