禁忌の符紋(4)
ギルド支部の前に着くと、アイデンがすでに待っていた。
彼はいつもの軽薄な態度を見せず、珍しく険しい表情を浮かべていた。
「来たか。」
彼は二人を確認すると、すぐに歩み寄り、低い声で告げる。
「情報を手に入れた。」
「“暗流” の報告によると、闇紋会が密かに “新型符紋武器” の開発を進めているらしい。」
「そして、それらはブラックマーケットへと流れ込む予定だ。」
炎は短く息を吐き、冷静に尋ねた。
「……どこまで具体的な情報がある?」
アイデンはスマホを取り出し、地図を開く。
指先である一点を示しながら答えた。
「ここだ。」
そこは、市街地から少し離れた裏取引の拠点の一つだった。
「この場所で、最近 “暗流” の仲間が闇紋会の人間を頻繁に目撃している。」
「そして昨日、やつらが “大量の新型符紋武器” を持ち込んだという報告があった。」
「取引の時間は?」
炎が淡々と尋ねる。
「今夜の真夜中だ。」
アイデンの声には、わずかに緊張の色が滲んでいた。
「できるだけ早く動く必要がある。」
「可能なら事前に配置について、やつらに気取られないようにするべきだ。」
炎は静かに頷く。
隣のカルマと視線を交わすと、互いに無言のまま、同じ結論に至っていた。
◆ ◆ ◆
夜の帳が、街を覆い始める。
いつもと変わらぬ闇の中に、妙な静寂が広がっていた。
まるで、何かが孕まれているような、異様な気配。
三人はすぐに出発した。
アイデンがギルドから借りた黒のSUVを足に使うことにする。
アイデンが運転席に乗り込むと、エンジンを滑らかに始動させた。
車内には、ほのかにレザーシートの香りが漂っている。
手入れが行き届いているのか、長年使われているにもかかわらず、新車のような清潔感があった。
「ふふっ、今日は歩かなくて済むのね。たまには楽ができて嬉しいわ。」
カルマがシートベルトを締めながら、皮肉めいた口調で言う。
アイデンはルームミラー越しに彼女を一瞥し、軽く笑った。
「あまり贅沢に慣れるなよ。」
「これはギルドの備品だからな。そう何度も使わせてもらえるわけじゃない。」
「……それで? なんで今回はこんな特別待遇なんだ?」
副座に座る炎が、疑問を口にする。
アイデンは「へへっ」と笑い、軽く肩をすくめた。
「まさか知らないのか?」
「今回の車両調達の申請理由、『特別任務遂行のため』ってなってるんだぜ?」
「普通のハンターなら、こんな優遇は受けられない。」
炎は軽く鼻を鳴らす。
「……くだらん。」
興味なさそうに顔を背け、窓の外へ視線を向けた。
車は静かに夜の街を進み、目的地——黒市の取引現場へと向かう。
車内に静かなエンジン音が響く中、アイデンが大げさにため息をついた。
そして、ちらりと炎を横目で見やる。
「……なあ、本当に一回くらい電話に出られないのか?」
「途中で何かあったのかと、ちょっとは心配したんだぞ。」
炎は無造作に肩をすくめ、表情を変えずに答える。
「出ても出なくても、結果は同じだろ。どうせ、最後にはここに来るんだから。」
アイデンは呆れたように首を振るが、それ以上は突っ込まなかった。
「はあ……まあ、いいさ。」
片手でハンドルを握ったまま、もう一方の手を鞄に突っ込み、小さな箱を取り出す。
そして、それを炎へと差し出した。
「ほら、これが本題だ。」
「新型の符紋弾。入手するのに、かなり苦労したぜ。」
炎は無言で箱を受け取る。
蓋を開けると、中には漆黒の符紋弾が整然と並んでいた。
僅かに光を反射しながら、不気味なほど滑らかな表面を持つそれらの弾丸は、
微かに異質な魔力の波動を放っている。
彼は軽く目を細めた後、静かに箱を閉じ、装備袋の中に収めた。
軽く顎を引き、アイデンに小さく頷く。
その様子を見ていたカルマが、興味を惹かれたように身を乗り出す。
「……魔物の血肉を混ぜた弾丸?」
目を細め、じっとアイデンを見つめる。
「魔物の肉片を使えば、そんなに威力が上がるものなの?」
驚きと半信半疑が混じった声。
普段は冷静な彼女の口調に、珍しく明確な疑問の色が滲んでいた。
アイデンは軽く頷き、ハンドルをしっかりと握りながら説明を続けた。
「符紋弾の仕組みは結構複雑なんだ。」
「魔物の血肉には膨大な魔力が蓄えられている。」
「それを弾丸に組み込むことで、破壊力を飛躍的に向上させることができる。」
「こんな代物、そこらで簡単に手に入るもんじゃない。」
「今回は特に苦労して、ようやく手に入れたんだぜ。」
炎はちらりと装備袋を見やり、短く息をつく。
そして、静かな声で問いかけた。
「……その新型弾、信用できるものなのか?」
アイデンはニヤリと笑う。
「もちろん、信用できるさ。」
──だって、それはギルドが用意したものだからな。
そう言いかけたが、口には出さなかった。
代わりに、さらりと話を続ける。
「まあ、それはさておき。」
「こういう武器が黒市に流れたら、どうなると思う?」
「間違ったやつの手に渡ったら、大変なことになる。」
「だからこそ、今回の調査が重要なんだ。」
「この違法な符紋武器、いったいどこから出てきたのか——」
「それを突き止める必要がある。」
カルマは静かに眉をひそめ、シートに身を預けた。
「符紋武器が出回りすぎれば……」
「それは、私たちハンターにとっても脅威になりかねない。」
彼女の声は低く、冷静ながらも鋭さを帯びていた。
アイデンは軽く頷くと、ふっと表情を引き締めた。
「この手の符紋武器は、もはやハンターの間では珍しくもない。」
「専門で開発してる組織だってあるしな。」
彼はそこで一瞬言葉を切り、
わずかに眉を寄せると、低い声で続けた。
「……だが、闇紋会のやってることに比べれば、こんなのは児戯に等しい。」
「どういう意味?」
カルマの眉がわずかに動き、目には疑問の色が浮かぶ。
アイデンは、しばし無言のままハンドルを握り締めた。
しばらくして、ようやく口を開く。
「やつらは、ただ魔物の血肉を使うだけじゃない。」
「魔物を捕獲して、改造し、実験台にする。」
「それどころか、人間と魔物を融合させようとしているんだ。」
彼の声は重く、沈んでいた。
カルマの表情が険しくなる。
「……融合?」
思わず聞き返すが、アイデンは答えず、短く息をつく。
そして、ちらりと炎に視線を送る。
「……俺も、かつて危うく巻き込まれかけたことがある。」
彼の声は、どこか遠い記憶を手繰るような響きを持っていた。
「運良く逃げ出せたが……実験場で見た光景は、今でも忘れられない。」
言葉の端々に、微かに滲む苦悶の色。
目の奥に、一瞬だけ暗い影が走る。
炎は黙って彼の言葉を聞いていたが、
その瞳には、一瞬だけ冷たい光が宿る。
「……黒燈会よりも狂ってるな。」
低く、淡々とした口調だったが、
その一言には冷徹な怒りが滲んでいた。
「まったくだ。」
アイデンは苦笑混じりに言い、再び前を向く。
「闇紋会の研究に倫理なんてない。」
「奴らは、ただ力を追い求めるだけだ。結果がどうなろうが、お構いなしに。」
「そして、その“成果”がブラックマーケットに流れたら……。」
「――この世は、もっと歪んでいくだろうな。」
カルマは驚いたように眉を上げ、アイデンを見た。
「……まさか、人間まで実験の対象に?」
彼女の声には、明らかな動揺が滲んでいた。
闇紋会が魔物を利用していることは知っていた。
だが——
まさか、人間すらも実験材料にしているとは。
その事実は、彼女にとって想像の範疇を超えていた。
アイデンは苦笑しながら頷く。
「それだけじゃない。」
視線は前方の道路に向けたままだったが、
その目の奥には、明らかな嫌悪の色が浮かんでいた。
「やつらは、生命そのものに対する敬意がない。」
「魔物だろうが、人間だろうが、生きているもの全てを “素材” としか見ていない。」
「そこが、一番厄介なんだ。」
沈黙が落ちる。
空気が重くなり、車内に微妙な緊張が満ちる。
やがて、前方の道が徐々に狭まり始めた。
街灯の少ない旧市街の建物が、薄暗い光の中に浮かび上がる。
壁の隙間から漏れる、くすんだネオンの灯り。
ひび割れた舗道。
そこに漂うのは、明らかに黒市の空気だった。
三人は無言のまま、それぞれの思考を巡らせる。
どんな事態が待ち受けているかは分からない。
ただ、一つだけ確かなことがあった——
ここから先、一瞬の油断も許されない。