2.吉備団子
鬼ヶ島の中枢である鬼ノ城の城壁までたどり着くと、そびえ立つ漆黒の鬼門の前で桃太郎は叫んだ。
「我が名は桃太郎! 三獣を引き連れ、鬼を退治に来た者だ!」
桃太郎は巨大な鬼瓦を見上げながら叫んだ。
「鬼ヶ島首領、悪鬼・温羅! いるのはわかっている! 早々に姿を現すべし!」
告げられた言葉に対して反応はなく、桃太郎は鼻で息を吸いながら背後にいる三獣に目配せした。
「……構わないさ。これだけ広大なら、どこかに抜け道があるはず──しかし、ひどい臭いだな。肺が腐り落ちそうだ……大丈夫か、みんな」
桃太郎の問いかけに対して、茶猿が小さく鳴いて応じると、白犬も疲弊の色を隠せずに弱々しく鳴いた。
桃太郎は軽鎧の下に着ている着物の懐に手を入れると、村から出立するさいにお婆さんからもらった巾着袋を取り出した。
お婆さん手作りの吉備団子を三つ摘み上げると、巾着袋を赤土の上に敷いてその上に並べる。
三獣が桃太郎の顔を窺うと、桃太郎は頷いて三獣は吉備団子を食べ始めた。
「…………」
桃太郎はそんな三獣の様子を見ながらほほ笑みを浮かべる。
食べ終えた三獣が空の巾着袋を見つめると、桃太郎の分の吉備団子がないことにようやく気づいて困惑の面持ちを浮かべた。しかし、それを察した桃太郎は首を横に振る。
「いいんだ。みんながうまそうに食べている姿を見るだけで、私はお腹がふくれるんだ」
朗らかな笑みを浮かべながら話す桃太郎の言葉は、三獣には理解できない。しかし、その仏のような慈悲深いほほ笑みがすべてを物語っていた。
まだ20歳になったばかりの若武者のその笑顔を見ただけで、三獣は心の底から忠誠の気持ちがあふれ出て、誰からともなく自然と桃太郎に我が身を寄せた。
「ははは。みんな……」
桃太郎は小さく笑いながら両手を広げて三獣を胸に抱き入れると、地獄にも似た鬼ヶ島の中心地にあって、ひとりと三獣の心休まる安らかな空間をその場に作り出した。
「今日、この日……すべては、この"鬼退治"の日のために修行を重ねてきたんだ……やるぞ、みんな」
桃太郎は抱き寄せた三獣にそう語りかけ、自らの心にも言い聞かせると、決意の眼差しを浮かべた瞬間──砂袋を激しく叩いたような、ひどく低いしゃがれ声が辺りに響いた。
「──よくぞ鬼ノ城までたどり着いたな。ヒトの身でありながら、驚いたぞ」
全身に緊張が走った桃太郎は三獣から体を離して立ち上がると、三獣も桃太郎のまわりに展開し、臨戦態勢を取った。
そしてその声は紛れもなく、悪鬼温羅──鬼ヶ島の首領の声に他ならないと桃太郎は理解した。
「…………」
桃太郎が鬼門に向かって振り返ると、グググググと赤土をこする鈍い音とともにゆっくりと巨大な門が開いていく。
桃太郎は左腰に差した〈桃源郷〉の白鞘に右手をそえ、いつ鬼が飛びかかってきても即座に抜刀ができるように構えを取った。
しかし桃太郎の予想に反して、開け放たれた鬼門の奥に現れたのは、何千もの燭台が城壁を取りかこんで照らし出す闘技場のような開けた空間であった。
桃太郎はそんな広場の最奥を注視した。そこには、黒岩によって築かれた天高くそびえる漆黒の鬼ノ城とその城内に通じているであろう大扉の姿があった。
「──俺に会いに来たのだろう、桃太郎。入るがよい」
温羅の低い声が響くと、桃太郎は鬼ノ城の大扉、ただその一点を睨むように見ながら足を踏み出した。
明らかに罠であると感じながらも、しかし足を止めることなく鬼門の下をくぐり抜け、城壁の内部へと三獣を引き連れて入場する。
燭台が照らす広場に桃太郎が入り、その後に続いた三獣も入りきると、開かれていた鬼門が閉じられていく。
「……ふぅ」
ガコォンと重い音を立てながら鬼門が完全に閉じられると、桃太郎は深く息を吐きながら再び鬼ノ城を見やった。
鬼の広場に閉じ込められた。中に入ればこうなるとわかっていた。覚悟はとうに出来ている、むしろこの状況を望んでいた。
しかしやはり、これから悪鬼温羅との決戦が始まるのだと思えば、桃太郎の心臓の鼓動は否応なしに激しくなった。
「──しかして、桃太郎よ。貴様、どのようにしてこの鬼ヶ島までたどり着いた」
温羅の低い声が広場に響き渡る。先程よりもはっきりと声が聞こえるということは距離が近づいている証拠だろう。
しかし、いまだにその姿は現さず、桃太郎は前方にそびえ立つ巨城を静かに睨みつけた。
「──この鬼ヶ島は、"鬼の血"を持つ者しか見つけることのできぬ"鬼の領域"……人間どもは近寄れぬはずだが」
温羅の投げかけた言葉に対して桃太郎は沈黙を貫いて答えとした。その対応に温羅は不満気に低く喉を鳴らす。
「──ふむ……答えられぬか」
温羅が言うと、桃太郎は鬼ノ城を睨み、毅然と告げた。
「姿を現せ、悪鬼温羅……でなければ、こちらから行く」
そう告げた桃太郎は、鬼ノ城に向けてゆっくりと歩き出した。それに呼応して三獣も前進を開始する。
真紅の太陽が浮かぶ不気味な赤い空の下、大量の燭台に刺されたいびつな形状のロウソクの灯りに照らされた広場を桃太郎一行が慎重に進んでいく。
「──桃太郎、若き侍よ。貴様の武勇は認めよう……されど、これまで」
桃太郎が広場の中央まで歩みを進めると、温羅は低い声で告げた。
「──貴様が鬼ノ城に足を踏み入れることは、城主であるこの俺が許容せぬ」
「……悪鬼の許しなど、私は必要としない」
温羅の言葉に対して桃太郎は端的に返した。だが次の瞬間、広場の雰囲気が一変するのであった。