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第八十章 星を運ぶ航路

セバスティアンは師の前に立ち、次なる課題を待っていた。

 エドムンドは机上の原石を手に取り、窓から射す陽光にかざした。光を反射しない曇った石――それが、まだ価値の定まらぬダイヤモンドだった。


 「次の課題を与えよう」

 声は穏やかでありながら、試すような響きを含んでいた。

 「ダイヤモンドの新しい交易先を探せ。オランダでも、イギリスでも、フランスでもない。既に富を持つ国々ではなく、未知の市場をだ」


 セバスティアンは一瞬、口を開きかけて言葉を飲み込んだ。常識的な答えは誰でも出せる。だが、師はそれを望まぬ。

 深く息を吸い、勇気をもって言葉を絞り出した。


 「……エジプトです」


 エドムンドの瞳がかすかに動いた。

 「古代エジプトは宝石加工の伝統があります。ラピスラズリ、ターコイズ、エメラルド……イスラム世界では今も宝飾の需要が盛んです。ダイヤモンドは未知の石。珍奇趣味の王侯や学者に強い印象を与えるでしょう。――古代の神秘に、新しい星を加えるのです」


 沈黙が訪れた。

 やがて、エドムンドは原石を指先で転がしながら微笑んだ。

 「よかろう。古代に星を加えるか……面白い。私も鋳金や浮彫り、金箔、象眼といった現代の金工を学んできた。だがエジプトが、この石をどう扱うのか――見てきて報告せよ」


 そして護衛を告げる。

 「君には三人をつける。源八、ルネ・デュゲ=トルアン、ウッズ・ロジャース。いずれも、この海で最も頼れる者たちだ」


―――


 その夜、応接間に三人が揃った。

 「護衛か」

 デュゲ=トルアンはグラスを掲げ、愉快そうに笑った。

 「小僧の旅路も、少しは退屈を晴らしてくれるといいが」


 「任務は子守ではない」

 ロジャースの声は鋭かった。

 「航海を無事に終えることだ。君は私の指示に従え」


 源八は無言でミニエ銃を撫で、静かに言った。

 「刀と銃は、私が守る」


 三者三様の言葉。

 セバスティアンは圧倒されながらも、自らの答えを証明する決意を胸に抱いた。


―――


 リスボンを発った艦は、大西洋を南下し、ジブラルタルの潮流に足止めを食らった。数日の停泊を経て、紺碧の地中海へ。


 マルタ島。

 セバスティアンが初めて見る地中海の要衝は、石灰岩の城砦と、聖ヨハネ騎士団の旗で満ちていた。乾いた風に、港の匂いと香辛料の薫りが混じる。


 彼は、積み荷の目録を抱えながら、背後に控える三人を振り返った。源八は黙して銃を抱え、デュゲ=トルアンは退屈そうにあくびをし、ロジャースは真面目な眼差しで港湾の規律を観察している。


 「エドムンド閣下は……こういう光景を、幾度も見てきたのでしょうか」

 若者の呟きに、ロジャースが短く応じた。

 「彼は記録しない。ただ見て、必要なときに正確に思い出す。それが我らの主だ」


 対してデュゲ=トルアンは肩をすくめ、笑みを浮かべた。

 「考えるよりも、飲んで抱いて斬ることさ。小僧、お前の目が覚めるのは戦場でだ」


 源八は何も言わなかった。ただ、腕に抱える黒光りする銃を撫でる。その無言の所作が、セバスティアンには奇妙に頼もしく見えた。


―――


 出港から数日後。ジブラルタルを越えた艦隊は、陽光きらめく地中海を東へ進んでいた。

 だが、マルタを離れて三日目の朝、水平線に不審な影が現れた。


 「船影三! 進路を塞ぐように広がってきます!」

 見張りの声に、ロジャースが即座に命じる。

 「隊形を乱すな! 舷側砲を準備!」


 やがて、バルバリア海賊のガレー船が帆を張り、太鼓の音に合わせて漕ぎ寄せてきた。数の上では互角。しかし、こちらには一つの切り札があった。


 「源八、撃て」

 ロジャースの命令に、源八は旗艦の甲板へ歩み出る。そこには、固定式・長射程精密狙撃銃が据え付けられていた。艦砲よりも細身で長大な銃身を、歯車仕掛けの架台が支えている。


 セバスティアンは固唾を呑んだ。源八が静かに狙いを定め、引き金を絞る。


 甲高い轟音。

 数百メートル先、敵の指揮官らしき男が、胸を貫かれて甲板に崩れ落ちた。周囲の水夫が騒然とし、ガレー船の漕ぎ手の列が乱れる。


 「……一撃で、あの距離を……」

 セバスティアンは言葉を失った。砲声ではなく、一本の銃弾が戦いの均衡を揺るがす光景。


 「驚いたか、小僧」

 デュゲ=トルアンが笑う。

 「これが源八の“牙”だ。千歩先の獲物も逃さぬ」


 ロジャースは冷静に指示を続けた。

 「今だ、砲撃開始!」


 側舷から一斉に火を噴いた砲弾が、混乱したガレー船を叩き砕く。帆柱が折れ、火が走り、海面へと傾いていく。


―――


 戦いが終わったあと。

 セバスティアンは甲板に立ち尽くし、硝煙の向こうに霞む水平線を見つめていた。


 エドムンドの声が胸に響く。

 ――「学べ。富よりも、目に見えぬ力を」


 三人の護衛の背を追いながら、彼は心に刻んだ。

 この航路は、ただの交易ではない。

 星を運ぶ航路――その意味を、彼は少しずつ理解し始めていた。


―――


 夜。

 甲板に立つセバスティアンの掌には、ひとつの原石があった。

 闇を照らす無数の星の下で、その曇った石はかすかな光を返す。


 「古代の神々に……新しい星を」


 呟きを聞いたのは、隣に立つ源八だけだった。

 彼は何も言わず、ただ空を見上げていた。

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