第七十九章 学びの試練
リスボンの執務室。
積み上げられた帳簿と外交文書の山を前に、エドムンドは椅子の背に身を預けていた。窓の外には春の光が海を照らし、帆船のマストが林立している。
「セバスティアン」
呼ばれた若者は即座に立ち上がった。
「はい、閣下」
エドムンドは机の上の地図を指先でなぞった。オーストリア、ボヘミア、ティロル、そして帝国の複雑な国境線。
「君はまだ若い。だが国を動かすのは軍や商会だけではない。小国の領主であっても、帝国議会で票を持てば、大国を揺さぶることができる。課題を与えよう。――オーストリアで、今後勢力を伸ばすであろう家を探せ」
セバスティアンは一瞬戸惑った。
「……ハプスブルク家でしょうか」
「それは誰でも答えられる」エドムンドの声は冷ややかだった。
「私が欲しているのは、駆け引きの駒となる小国だ」
若者は唇を噛み、深く一礼した。
―――
数日間、セバスティアンは街の文庫に通い、外交官たちの会話に耳を傾け、商人の噂を拾った。
夜には蝋燭の明かりの下で羊皮紙を広げ、山岳の地図と領主の系譜を照らし合わせていった。
大貴族の名はすぐに浮かぶ。だがそれは答えにはならない。
エドムンドの言葉が、常に胸に響いていた。
――「見かけの富ではなく、潜む力を見ろ」。
そしてある夕暮れ。
セバスティアンは分厚い系譜書の中に、その名を見つけた。
リヒテンシュタイン家。
山岳の僻地に根を張りながら、オーストリアの土地を買い集めている。
彼らは領地そのものよりも「地位」を求めていた。
―――
数日後、再びエドムンドの前に立ったセバスティアンは、確信を込めて答えた。
「リヒテンシュタイン家です」
若者の瞳がまっすぐに光った。
「彼らは山の辺境に拠っていますが、オーストリアの土地を買い集めています。やがて公国の地位を得るかもしれません。小さな家に見えても、帝国議会で発言権を持てば、大国と対等に渡り合えるでしょう」
一瞬の沈黙のあと、エドムンドは笑みを浮かべた。
「それでいい」
彼は机上の地図を閉じ、若者に向き直った。
「大国に正面から挑むのは愚か者のすることだ。だが、小国を駆け引きの駒とすれば、大国さえも出し抜ける。君はよく見抜いたな」
セバスティアンの胸に、熱いものが込み上げた。
「ありがとうございます」
―――
その夜、執務室に一人残ったエドムンドは、ふと地図を開き直した。
アルプスの小国、リヒテンシュタインの名の上に指を置く。
――資産や秘密を隠すなら、こうした小国こそ最適だ。
若者に与えた課題が、自らの未来への布石ともなり得ることを、彼は悟っていた。




