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第四十八章 波紋

 翌日の昼下がり、リスボンの港は、異様な光景に騒然となった。


 エドムンド・ヘイルのフリゲート船団4隻が、まるで王の凱旋のように、ポルトガル商人ソウザの「黄金の鹿号」を従えて、堂々と入港してきたのだ。


「黄金の鹿号」に、目立った損傷はない。だが、そのマストには、ポルトガル国旗ではなく、ハーグリーヴス商会の旗が、誇らしげにはためいていた。


 港の商人たちは、何が起きたのかを正確には知らなかった。だが、誰もが理解した。


 新参者のイングランド人、エドムンド・ヘイルが、たった一度の航海で、この港の最も裕福な商人の一人を、完全に屈服させたのだと。それは、血生臭い海賊の襲撃よりも、遥かに恐ろしい力の見せつけ方だった。


 数日後、「ハーグリーヴス商会」は、ソウザの金塊の独占販売代理人として、リスボンの金市場に正式に参入した。


 エドムンドは、ソウザから預かった金塊を、性急に売りさばくようなことはしなかった。彼は、巧みな情報操作で金の希少性を煽り、ヨーロッパ中の銀行家たちを競わせ、暴落前よりも高い価格で、少しずつ市場に放出した。


 その手腕は、あまりにも見事だった。ソウザは、屈辱的な契約を結ばされたにも関わらず、結果的には以前よりも大きな利益を手にすることになった。だが、その利益の源泉は、完全にエドムンドに握られていた。


 商人ソウザは、牙を抜かれた獅子となった。彼は、ポルトガル当局に訴え出ることもできた。だが、彼の手元には、自らが署名した契約書しか残っていない。そして何より、港の外には、あの4隻の黒いフリゲート船が、いつでも牙を剥ける状態で、静かに浮かんでいるのだ。彼に、選択肢はなかった。


 エドムンドの、このあまりにも鮮やかなやり方は、当然、既存の勢力からの強い反発を招いた。


 特に、メシュエン条約(イギリスがポルトガルからワインを低関税で輸入し、毛織物を輸出することを取り決めた通商条約)を盾に、ポルトガルの貿易を牛耳ってきた、イングランド商人たちは、この新参者の存在を、自らの帝国に対する、許しがたい挑戦と受け取った。


 その夜、リスボンにあるイングランド商館の一室に、十数人の商人たちが集まっていた。


 その中心に座るのは、サー・リチャード・スターリング。イングランド東インド会社とも太いパイプを持つ、リスボンにおけるイギリス商人の長だった。


「……諸君も、聞いているだろう。ハーグリーヴスの名を名乗る、あの若造のことだ」


 スターリングの声は、静かだったが、冷たい怒りに満ちていた。


「彼のやり方は、海賊ではない。もっと悪質だ。彼は、我々が築き上げてきた、この港の『秩序』そのものを、破壊しようとしている」


 一人の商人が、不安げに言った。


「しかし、彼の背後には、あのデュゲ=トルアンがいる。我々の船団も、決して安全ではない……」


「だからこそ、我々も『秩序』を守るための、新しい手札を用意する」


 スターリングは、一枚の羊皮紙をテーブルに置いた。そこには、ポルトガル国王ドン・ペドロ2世の印章が押されていた。


「国王陛下に、ブラジルからの金輸送船団の、護衛強化を正式に要請した。数隻のポルトガル海軍の戦列艦が、我々の船団と共に行動することになる。」


 その数日後、エドムンドの元に、ナフマンのネットワークから、緊急の警告が届いた。


 イングランド商人たちが、ポルトガル海軍と連携し、自分を社会的に抹殺しようとしている、と。


 エドムンドは、その報告書を読み終えると、表情を変えずに、隣の部屋で海図を眺めていたデュゲ=トルアンに、それを手渡した。


「……面倒なことになったな」エドムンドは、静かに言った。


 報告書に目を通したデュゲ=トルアンは、しかし、顔をしかめるどころか、その口元に、獰猛な笑みを浮かべた。


「面倒なこと? 違うな、ヘイル。これは、面白いことになった、と言うんだ」


 彼は、立ち上がると、エドムンドの肩を強く叩いた。


「面白い。ようやく、対等に戦える相手が現れたか。戦列艦だと? 上等じゃないか。俺の戦術と、源八の牙が、どこまで通用するか、試してみようじゃないか!」


 その目は、まるで獲物を見つけた狼のように、爛々と輝いていた。


 エドムンドは、その戦いを渇望するような盟友の姿に、小さく息をついた。


「油断はするなよ、提督。我々の目的は、勝利ではない。支配だ」


「分かっているさ」デュゲ=トルアンは、笑った。「だからこそ、面白いんだろうが」


 彼の本当の戦いは、今、始まったばかりだった。


 それは、海の上での武力戦であると同時に、リスボンの宮廷と市場を舞台にした、より複雑で、より危険な、知略の戦いだった。

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