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第四十七章 最初の獲物

 その日から数日間、「ル・ヴァン」号をはじめとする4隻のフリゲート船は、リスボン沖の、人の寄り付かない小さな入り江に、その身を隠していた。


 源八は、もはや牢獄にいた、粗末な服の男ではなかった。彼は、船の鍛冶場と甲板を、自らの工房へと変貌させた、厳格な工房主マエストロだった。


 彼は、まず船大工たちと共に、旗艦「ル・ヴァン」号の船首楼フォクスルに、特別な補強を施した。そして、そこに、巨大な狙撃銃のための、新しい固定台の土台を築き始めた。


「違う! そこの角度が一度ずれるだけで、弾は水平線の彼方で百メートルは逸れるぞ!」


 源八の、滅多に聞けない怒声が、甲板に響き渡る。彼は、西洋の船大工たちの「頑丈であれば良い」という大雑把な作り方を、一切許さなかった。彼は、日本の城郭建築で使われるような、精密な木組みの技術を、身振り手振りを交えて、彼らに叩き込んでいった。


 そして、彼は自ら鍛冶場に籠り、銃と固定台を繋ぐ、新しい鉄製の部品を鍛え始めた。カン、カン、というリズミカルな槌の音が、昼夜を問わず、入り江に響き渡った。


 デュゲ=トルアンは、その様子を、興味深そうに眺めていた。


「……面白い男だ。あいつにとって、戦は、もう銃を作る段階から始まっているのだな」


 一週間後。


「ル・ヴァン」号の船首には、船体と完全に一体化した、黒く、巨大な固定台が鎮座していた。その上に据え付けられた長射程狙撃銃は、もはや後付けの兵器ではなく、この船の「角」か「牙」のように、有機的な一体感を持っていた。


 源八は、完成した固定台の上で、静かに銃身を撫でた。


「……これでいい」


 彼は、エドムンドに向き直ると、ただ一言だけ、告げた。


「いつでも、撃てる」


---


「ハーグリーヴス商会」がリスボンに設立されてから一ヶ月後。エドムンドの元に、最初の「仕事」の機会が訪れた。


 彼が港の裏社会に張り巡らせた情報網が、一隻の船の情報を掴んだのだ。


「……ポルトガル商人、ソウザの船だ」エドムンドは、作戦司令室に集まったデュゲ=トルアンと源八に告げた。「ブラジルの私有鉱山から、大量の金塊を積んで、三日後にリスボンへ入港する。護衛はいない。そして何より……」


 彼は、報告書の最後の一文を指さした。


「船主である、商人ソウザ本人が、同乗している」


 デュゲ=トルアンは、その情報を聞くと、まるで獲物を見つけた狼のように、目を細めた。


「……船だけでなく、羊飼いごといただく、というわけか。仕事が早くて、結構なことだ」


 三日後。アゾレス諸島沖。


 ソウザの快速ガレオン船「黄金の鹿号」が、順風満帆にリスボンを目指していた。船主であるソウザは、船長室で、ブラジルで手に入れた金塊の純度を確かめながら、上機嫌でワインを口にしていた。


 だが、その平穏は、突如として破られた。


 水平線の四方から、黒い鮫のような船影が現れたのだ。エドムンドのフリゲート船団だった。


「な、何だ、奴らは!」


「海賊か! 戦闘準備!」


「黄金の鹿号」の船長は、勇敢に戦おうとした。だが、デュゲ=トルアンが指揮する艦隊の動きは、彼がこれまで戦ってきた、どの海賊とも、どの海軍とも違っていた。4隻のフリゲート船は、まるで生き物のように連携し、決して「黄金の鹿号」の射線に入ることなく、追い詰めていく。


 追い詰められた「黄金の鹿号」が、最後の反撃を試みようと、回頭を始めた、その時だった。


 旗艦「ル・ヴァン」号の船首楼フォクスルで待機していた源八の「固定式・長射程精密狙撃銃」が、火を噴いた。


 空気を引き裂くような甲高い発射音と共に、船の舵を制御していた太い鉄製の舵鎖ラダーチェーンが、その一撃で、いとも簡単に断ち切られた。舵を失った「黄金の鹿号」は、もはやただ波間を漂うだけの、巨大な木箱と化した。


 呆然とする敵船の甲板。その混乱を断ち切るように、「ル・ヴァン」の船首砲が一門だけ、火を噴いた。警告射撃だった。砲弾は、「黄金の鹿号」の船首のすぐ前、数メートル先の海面に突き刺さり、巨大な水柱を上げた。「次は外さない」という、無言の最終通告だった。


 船長室の扉が蹴破られ、ルネ・デュゲ=トルアンが、血塗られたカトラスを肩に担いで入ってきた。その背後から、エドムンドが静かに姿を現す。


 豪華な服をまとった、肥えた中年の男――商人ソウザは、椅子から転げ落ちそうになりながら、震える声で言った。


「か、金塊なら、全てやる! だから、命だけは……!」


「命も、金塊も、もはや我々のものだ、ソウザ殿」エドムンドは、静かに言った。「私は、海賊ではない。ハーグリーヴス商会の、エドムンド・ヘイルだ。あなたに、ビジネスを提案しに来た」


 彼は、二枚の契約書を、ソウザの目の前のテーブルに置いた。


「一枚は、あなたの船と、あなたの命の値段だ。積荷の二割を、『海難救助料』として、我々がいただく。これにサインすれば、あなたとあなたの船員は、全員、無傷でリスボンへ帰してやろう」


 ソウザは、必死に頷いた。


「そして、もう一枚が、我々の『未来』についての契約だ」


 エドムンドは、二枚目の契約書を、ソウザの方へと滑らせた。


「今後、おたくの商会がブラジルから運ぶ全ての金は、我々『ハーグリーヴス商会』だけが、ヨーロッパ市場で独占的に販売する権利を持つ。我々を経由しなければ、おたくの金は、ただの輝く石ころのままだ」


 ソウザの顔が、絶望に歪んだ。それは、命を奪われるよりも、もっと残酷な宣告だった。


「……そんな、無茶な……」


「無茶かどうかは、あなたが決めることではない」


 デュゲ=トルアンが、ソウザの首筋に、カトラスの冷たい刃を当てた。


「サインをするか、しないか。ただ、それだけだ」


 ソウザは、震える手で、ペンを握った。


 エドムンドは、窓の外を見た。彼の艦隊が、拿捕した「黄金の鹿号」を、まるで忠実な番犬のように取り囲んでいた。


 彼の、金市場を支配するための、最初の戦いは、完璧な勝利のうちに幕を閉じた。


 それは、血と暴力ではなく、恐怖と契約によって、敵を支配するという、新しい時代の海戦の始まりだった。

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