第四十一章 金貨と蜘蛛の糸
アルコス公爵の「友人」となったことは、エドムンドの計画に、金銭以上の価値をもたらした。公爵が、マドリードの宮廷で、ぽつりと「フランスとの連携も、スペインの未来のためには、一つの道かもしれんな」と漏らすだけで、それは千鈞の重みを持って他の貴族たちの心に響いた。日和見だった者たちが、少しずつ、しかし確実に、親フランス派へと傾き始めていた。
最初の成功で、エドムンドは確信を得た。この戦は、力押しでは勝てない。それぞれの標的が持つ、欲望の形を正確に見極め、それに合わせた「鍵」を差し込む必要があるのだと。
パリの作戦司令室は、ヨーロッパで最も精密な、人間の欲望の分析所となった。フィリップが宮廷から仕入れる情報、ナフマンのネットワークが掴む経済的な内情、そしてトマスが持つ、コンベルソとして長年蓄積してきたスペイン貴族への深い洞察。それら全てが、エドムンドの元へと集約されていく。
二人目の標的は、カスティージャ提督だった。
彼は、無敵艦隊の残党を率いる、武骨な軍人だった。そして、誰もが知る、強欲な男でもあった。彼に、名誉や大義は通用しない。
エドムンドは、提督が懇意にしている武具商人を通じて、一枚の為替手形を届けさせた。表向きは「ヘリ&ヴァレリー商会が、カディス港の使用権を得るための、前金」という名目だったが、その額面は、提督の生涯賃金に匹敵した。
手紙には、ただ一言だけ、こう記されていた。
「来るべき日に、貴殿の艦隊が、港で『整備』に時間をかけてくれることを期待している」
数日後、カスティージャ艦隊の主要な軍艦が、一斉に長期のドック入りを発表した。
三人目の標的は、駐ローマ教皇庁スペイン大使。
彼は、敬虔なカトリック教徒であり、金では動かせない。だが、その胸の内には、枢機卿へと昇進したいという、熱烈な野心が渦巻いていた。
この仕事は、ナフマンのネットワークが担当した。
ローマにいるナフマンの代理人が、教皇庁の有力者と接触。「もし、アンジュー公殿下がスペイン王に即位された暁には、フランスとスペイン、二つのブルボン朝は、かの大使を、新しい枢機卿として、全力で推挙するでしょう」と、神の代理人を通して、悪魔の約束を囁かせたのだ。
数日後、教皇が、「スペインの王位継承については、ブルボン家の主張にも、正当性が見られる」という、極めて異例の声明を発表した。
金貨と、蜘蛛の糸。
エドムンドは、硬軟織り交ぜた策略で、スペインの権力構造を、内側から静かに、しかし確実に、腐らせていった。
親オーストリア派の貴族たちは、ある日突然、ジェノヴァやアムステルダムの銀行から、全ての融資を打ち切られた。彼らの背後で、エドムンドが銀行家たちに、より有利な取引を持ちかけていたからだ。
パリの司令室の壁にかけられたスペインの地図は、今や、親フランス派を示す青い駒で、ほとんどが埋め尽くされていた。
「……もはや、時間の問題だな」
トマスが、その地図を見ながら、静かに言った。
フィリップが、一通の緊急書簡を手に、部屋へ駆け込んできた。
「エドムンド! マドリードからの知らせだ! カルロス2世陛下が……ご危篤だ!」
ついに、その時が来た。
エドムンドたちが、何か月もかけて準備してきた、この壮大な盤上のゲームの、最後の審判が、下されようとしていた。




