第二十七章 貴婦人たちのささやき
「正面の門番が、学者や政治家なら」フィリップは、書斎の暖炉の前で、不敵な笑みを浮かべて言った。「我々が探すべき通用口は、もっと華やかで、もっと気まぐれな場所にある」
エドムンドは、彼の言葉の真意を測りかねていた。
「どういう意味だ?」
「王が耳を傾けるのは、大臣の退屈な報告書だけではない、ということさ」フィリップは続けた。「王妃様や、寵姫であるモンテスパン侯爵夫人のような、宮廷の貴婦人たちの『ささやき』には、時に大臣の進言を覆すほどの力がある。そして、彼女たちの間で今、最も流行しているのが『サロン』だ」
サロン。それは、有力な貴婦人が主催する、芸術家や学者、そして貴族たちが集う、知性と美の社交場。そして同時に、パリで最も洗練された噂が生まれ、広まる場所でもあった。
彼らの計画は、決まった。財務卿コルベールや王立アカデミーといった「表」の門を攻めるのは後回しだ。まず、宮廷の流行を支配する、有力な貴婦人のサロンという「裏」の通用口をこじ開ける。
フィリップは、彼の母が懇意にしていた、デュ・プレシ侯爵夫人に狙いを定めた。彼女は、宮廷で最も知的好奇心が旺盛で、新しい物好き。そして何より、ライバルである他の貴婦人たちのサロンを、常に一歩リードしたいという、強い虚栄心を持っている女性だった。
フィリップが送った、「亡き母が、あなたの知性をどれほど讃えていたか」という心のこもった手紙と、「東洋の果てから、夫人の知的好奇心を必ずや満たすであろう、ささやかな手土産を持ち帰った」という一文は、侯爵夫人の心を完璧に捉えた。すぐに、彼女のサロンへの招待状が届いた。
数日後、デュ・プレシ侯爵夫人の屋敷は、パリの粋人たちでごった返していた。ヴァレリー家の若様の帰還と、彼が連れてきたという「謎のジェノヴァ商人」の噂は、すでに彼らの間で注目の的だったのだ。
エドムンドは、フィリップと共に、そのきらびやかな輪の中にいた。彼は、東洋での冒険譚を、面白おかしく、しかし核心には触れずに語り、貴族たちの好奇心を巧みに煽った。
そして夜も更け、サロンの熱気が最高潮に達した時、ついに侯爵夫人が合図を送った。
「さて、ヘリ殿。あなたが、東洋の果てから持ち帰ったという『手土産』を、そろそろ我々にも見せてはいただけませんこと?」
待ってましたとばかりに、フィリップが立ち上がった。彼の合図で、従者たちが一つの美しいガラスの水差しを、部屋の中央へと運んでくる。中には、瑠璃色の小さな魚が、優雅に漂っていた。
「まあ、綺麗なこと……」
誰かがため息を漏らす。だが、それだけでは、目の肥えた貴族たちを本当に驚かせることはできない。
エドムンドは、おもむろに小さな手鏡を取り出すと、水差しの横に置いた。
次の瞬間、サロンは息を呑む音に支配された。
鏡に映った自分の姿を敵と認識したのか、それまで優雅に泳いでいた魚は、全身の鰭を炎のように逆立て、鮮烈な闘争の色を漲らせた。瑠璃色は、まるで内側から光を放つかのように輝き、エラを威嚇するように広げたその姿は、もはや魚ではなく、ガラスの中に封じ込められた、獰猛な戦士の魂そのものだった。
「おお……!」
「なんと美しい……そして、なんと猛々しい!」
貴婦人たちは、その小さな生命が放つ、美と暴力のあまりにも鮮烈なコントラストに、完全に心を奪われた。退屈な日常にはない、剥き出しの情熱が、そこにはあった。
その夜、デュ・プレシ侯爵夫人のサロンは、歴史的な大成功を収めた。
翌日から、パリの社交界は、たった一つの噂で持ちきりになった。
「デュ・プレシ様のサロンで、生きた宝石が、決闘をなさったそうよ」
「ジェノヴァから来た商人が、グラスの中で戦争をさせてみせたとか……」
噂は、燎原の火のように、パリ中のサロンを駆け巡った。エドムンドとフィリップの元には、パリ中の有力な貴婦人たちからの、サロンへの招待状が山のように届き始めた。
書斎で、その招待状の山を見ながら、フィリップは満足げに微笑んだ。
「通用口は、開いたようだね。友よ」
エドムンドは、一番上にあった、モンテスパン侯爵夫人の侍女からの、半ば命令のような招待状を手に取った。
迷宮の攻略は、まだ始まったばかりだった。だが、彼らは今、王へと続く、最も華やかで、最も危険な道への、確かな一歩を記したのだ。




