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第二十八章 王の御前

 ヴェルサイユ宮殿の一室は、フランスという国家の権威と栄光を体現したような、絢爛豪華な空間だった。その中心、豪奢な椅子に座る太陽王ルイ14世は、神のごとき威厳を放ちながらも、その表情には近づきがたいほどの退屈の色が浮かんでいた。


 フィリップが、恭しくエドムンドを王の前に紹介する。エドムンドは、心臓の鼓動を落ち着かせながら、完璧な作法で深々と一礼した。これが、長い旅路の終着点であり、新しい戦いの始まりの場所だった。


 謁見の第一幕は、「心を掴むための見世物」だった。


 エドムンドの合図で、従者たちが二つの大きなクリスタルのゴブレットを運んでくる。一つには燃えるような真紅の闘魚。もう一つには深海のような瑠璃色の闘魚。その完璧な美しさに、廷臣たちからため息が漏れた。


 エドムンドは、二匹を一つの大きなガラス水槽へと同時に放つ。優雅な舞踏は、瞬く間に激しい決闘へと変わった。静寂に満ちた謁見の間で、ガラス越しに、二つの小さな命が激しく火花を散らす。


 それは、ただの魚の喧嘩ではなかった。洗練された、命を賭した、優雅で、そして残酷な芸術だった。


 やがて勝敗が決し、勝利した瑠璃色の魚が誇らしげに鰭を広げた時、それまで無表情だったルイ14世が、初めて口を開いた。


「……見事だ」


 王は、満足げに頷いた。「その美しさ、そしてその勇猛さ、まことに王の宮廷にふさわしい。気に入ったぞ。商人よ、名は?」


「エドアルド・ヘリと申します」


「ジェノヴァのヘリか。その忠誠と、我らを愉しませた功績に、褒美を与えよう。望みは何か?」


 謁見の第二幕が、始まった。これは、「頭脳を掴むための実利」の提示だ。


 エドムンドは、もう一度、深々と頭を下げた。


「陛下の御心の慰めとなりましたこと、望外の光栄にございます。私が望みますのは、この偉大なるフランス王国において、自由に交易を行う許可でございます。そして……」


 彼は、懐からもう一つの「東洋の秘宝」を取り出した。それは、美しいカッティングが施された小瓶に入った、ルビーのように輝く赤色のシロップだった。


「陛下。私は長い船旅の間、兵士たちの命を静かに蝕む、恐ろしい病を見てまいりました。壊血病でございます」


 その言葉に、財務卿コルベールが、初めてピクリと眉を動かした。


「このシロップは、私が東洋の賢者から授かった秘法。ローズヒップと柑橘の皮、蜂蜜から作られたもので、この病に対する驚くべき効果がございます」


 廷臣たちの間に、半信半疑のささやきが広がる。エドムンドは、動じなかった。


「そして、その薬効もさることながら……」


 彼は、近くにいた侍従に合図し、一杯の紅茶を運ばせた。そして、王の許可を得て、その紅茶にシロップを数滴、静かに垂らした。紅茶は、美しい薔薇色に染まり、甘く爽やかな香りが辺りに立ち上った。


「美味である上に、兵士の命を救い、ひいては陛下の艦隊を世界の果てまで届ける力となります」


 それまで見世物としてしか見ていなかったコルベールの目が、初めて本物の驚きと、鋭い興味の光に輝いた。壊血病。それは、フランス海軍の力を大きく削いでいる、国家的な問題だった。もしこの話が真実ならば、目の前のこの男が持つ価値は、宝石の魚などとは比べ物にならない。


 ルイ14世は、目の前の男が、単なる珍品商人ではないことを悟った。彼は、娯楽と実利、その両方を完璧な形で提示してみせたのだ。


 王は、高らかに笑った。


「素晴らしい! まことに、素晴らしい贈り物だ!」


 彼は、コルベールへと向き直った。


「コルベール。この男に、我が王国が発行する、特別な交易許可証を与えよ。そして、その『秘薬』の件、ヘリ氏と協力し、我が海軍への供給の道を、早急に探るように」


「はっ」コルベールは、もはやエドムンドを侮りの目では見ていなかった。値踏みするような、鋭い目で見ていた。


 その瞬間、エドムンドの運命は決まった。


 彼は、ただ王に謁見を許されただけではない。フランスという国家の戦略に、深く食い込むための、完璧な足がかりを手に入れたのだ。


 彼の最大の山場は、見事な成功のうちに幕を閉じた。しかし、それは同時に、彼が宮廷という、より深く、より危険な迷宮へと足を踏み入れた瞬間でもあった。

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