第十一章 二隻の船
約束の日までの三日間、コンスタンティノープルの港は、二人の商人の奇妙な賭けの噂で持ちきりだった。誰もが、尊大で愚かなジェノヴァ商人が、"鉄腕"ガスパールの前に財産もろとも海の藻屑と消えるだろうと噂した。
その間、エドムンドは言葉少なに行動していた。彼が選んだ船は、誰もが予想した通り、港の隅で埃をかぶっていた旧式のキャラック船だった。船名は「希望号」。ずんぐりとした船体は、見るからに鈍重で、快速を誇るガスパールのガレオン船と並べば、亀と猟犬ほどの差があった。
だが、夜の帳が下りると、「希望号」は別の顔を見せた。ナフマンのネットワークが手配した代理人たちが、闇に紛れて次々と船へと物資を運び込む。大量の真水の樽、良質な小麦粉、そしてエドムンドがサロニカの市場で買い付けさせた、大量の乾燥ローズヒップ、砂糖漬けの柑橘皮、そして蜂蜜の壺。昼間、人目を欺くために積まれた腐りかけの野菜や少量の堅パンは、海に投棄された。
そして、「積荷」となる乗組員たちも集められた。彼らは皆、ナフマンに絶対の忠誠を誓う、百戦錬磨の海の男たちだった。ギリシャ人の船長をはじめ、アルメニア人の操舵手、ユダヤ人の船医までいる。彼らはボロをまとい、奴隷を演じるための打ち合わせを繰り返していたが、その目に宿る光は、奴隷のそれとは全く違っていた。
出港前夜、エドムンドは甲板に彼らを集めた。
「聞け。明日から我々は、鎖に繋がれぬ奴隷となる。インドに着くまで、我々は無力な積荷を演じ続ける。だが、忘れるな。我々のこの船旅は、あの暗い船倉に囚われている同胞たちを解放するための、唯一の希望だ。諸君の忍耐と勇気に、全ての同胞の未来がかかっている」
男たちの顔が、静かな決意に引き締まった。
一方、港の反対側では、ガスパールのガレオン船「奈落号」が、その黒く巨大な船体を誇示していた。滑らかな流線形の船体は速力を追求して設計され、甲板には磨き上げられたカノン砲が並び、力と恐怖を体現していた。
ガスパールは、出港準備を自ら監督していた。彼の命令は、エドムンドとは対照的だった。
「奴隷どもに食わせる水と食料は、最低限にしろ。死なない程度でいい。生きていれば、痩せこけていてもインドの買い手は文句を言わん。それよりも、砲弾と火薬を積めるだけ積んでおけ。邪魔する海賊がいたら、海の底に沈めてやる」
彼の監督の下、セファルディムの民が、荷物のように船倉へと投げ込まれていく。鎖の擦れる音、看守の怒声、そして微かな祈りの声が、船内から漏れ聞こえていた。ガスパールは、その光景を満足げに眺めていた。彼にとって、これは単なる賭けではない。自らの哲学――すなわち、力が全てであるという世界の真理を、あの生意気なジェノヴァ人に証明するための儀式だった。
夜が更け、港が静寂に包まれた。
エドムンドは、「希望号」の船尾に立ち、対岸で黒い影となって浮かぶ「奈落号」をじっと見つめていた。あの船倉には、かつての自分と同じように、未来を奪われた人々がいる。彼自身のトラウマが、冷たい海風と共に蘇り、肌を粟立たせた。
だが、もはや恐怖に足はすくまなかった。隣に立ったギリシャ人の船長が、静かに言った。
「旦那様。本当に、あんなガレオン船に、この『樽』で勝てると?」
エドムンドは、闇に浮かぶ敵船から目を離さずに答えた。
「船長。猟犬は、獲物がいなければ走れない。嵐が来れば、岩陰で震えるだけだ」
彼は、自らが選んだ、ずんぐりとしたキャラック船の甲板を、靴の裏で確かめるように踏みしめた。
「だが、亀は違う。どんな嵐の中でも、自分の甲羅を信じ、一歩ずつ、確実に前に進む。この長い旅では、最後に笑うのは亀の方さ」
夜明けは、もうすぐだった。二隻の船の、そして多くの魂の運命を乗せた、非常のレースが始まろうとしていた。




