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第八章 獣の賭場

 コンスタンティノープルに降り立ったエドムンドの身分は、もはや囚人ではなかった。彼は、ナフマンのネットワークが用意した完璧な経歴を持つ、ジェノヴァから来た中堅商人「エドアルド・ヘリ」を名乗っていた。香辛料と宝石を扱い、東方での新たな商機を探しに来たという、ありふれているが故に疑われにくい設定だ。


 彼がナフマンから与えられた潤沢な資金は、この街で彼が何者であるかを雄弁に物語っていた。上質な衣服をまとい、数人の従者を連れて歩く彼を、奴隷狩りはおろか、街の衛兵さえ丁重に扱った。トラウマの街は、金という仮面をつけた途端、全く違う顔を見せた。


 彼の目的の場所は、グランド・バザールの地下にある、会員制の賭場だった。ここは、帝都の有力者たちが夜な夜な集い、大金を動かす社交場。ナフマンの情報通り、"鉄腕"ガスパールが常連として顔を出す場所だ。


 高額な入場料を払って中へ入ると、その扉の先は、紫煙と上等なワインの香りが渦巻く、人間の欲望の坩堝るつぼだった。部屋のあちこちで、異なるゲームが同時に進行している。あるテーブルでは、男たちがカチカチと小気味よい音を立てて『タブラ』(バックギャモン)の石を打ち、別の隅では、二人の老人が静かにチェスの駒に金貨を賭けていた。


 そして、部屋の中央、ひときわ多くの金貨が積まれたテーブルで行われているのが、ヴェネツィアから伝わったというカードゲームだった。エドムンドはすぐに部屋の主役が誰であるかを悟った。中央でひときわ大きな声で笑い、尊大に振る舞っている男。"鉄腕"ガスパールだ。


 エドムンドは、目立たぬように、しかし卑屈にならぬように、そのカードテーブルについた。彼は金を稼ぎに来たのではない。ガスパールという男の「賭け方」――すなわち、彼の「生き方」そのものを観察するために来たのだ。彼は大勝ちも大負けもしないよう、冷静に手札を読み、淡々とチップを動かした……。


 ……彼は大勝ちも大負けもしないよう、冷静に手札を読み、淡々とチップを動かした。ジェノヴァから来た物静かな商人を完璧に演じながら、その意識のすべてをテーブルの主、ガスパールに集中させていた。


 ガスパールの賭け方は、彼の生き方そのものだった。力強く、攻撃的で、相手をねじ伏せることに無上の喜びを見出している。彼は、金貨が自分の前に積まれていくことよりも、相手の顔から自信が消え、焦りと絶望に変わっていく様を眺めることを楽しんでいた。


 数時間が経過し、賭場の空気も酒と熱気で濃密になってきた頃、その瞬間は訪れた。


 ガスパールの向かいに座っていた、若いトルコ人の小貴族が追い詰められていた。彼は家宝らしき指輪を担保にチップを借り、無謀な勝負を続けていたが、もはやそれも尽きようとしていた。そして、最後の勝負。彼は震える手で全てのチップを中央に押し出した。


 静寂がテーブルを支配する。ガスパールは、まるでいたぶるようにゆっくりと自分のカードを開いた。それは、若い貴族の手札を無慈悲に打ち砕く、圧倒的な札だった。


 貴族の顔から血の気が引いた。「ま、待ってくれ……ガスパール様。必ず、必ずこの借りは……一族の名誉にかけて……」


 ガスパールは喉の奥でくつくつと笑った。「お前の一族の名誉だと? そんなもので、この俺の酒が一杯でも飲めるのか?」


 彼は立ち上がると、若い貴族の指から、担保だった指輪を乱暴に抜き取った。「名誉では腹は膨れん。……だが、この石ころは違う」彼は指輪を光にかざし、蔑むように言った。「覚えておけ、小僧。この街では、家柄や血筋なぞ何の意味も持たん。最後に物を言うのは、力と、金だけだ」


 若い貴族は、屈辱に顔を歪ませながら、その場に崩れ落ちた。周りの者たちは、明日が我が身とばかりに目を伏せるか、あるいは野次馬のような下卑た笑みを浮かべるだけだった。


 エドムンドは、その光景の一部始終を、表情一つ変えずに見つめていた。だが、その心の中では、探し求めていた最後のピースが、カチリと音を立てて嵌まっていた。


 ナフマンの情報は正しかった。だが、本質はもっと深いところにある。ガスパールは、金で動く人間を見下している。彼は、血筋や家柄といった旧来の権威を憎んでいる。彼が渇望しているのは、自らの力で成り上がった自分こそが、この街で最も優れた「商人」であり、「支配者」であると証明することなのだ。


(……あの獣を罠にかける餌は、金貨じゃない)


 エドムンドの頭の中で、壮大な「賭け」の骨子が、今、確かに形を結んだ。それは、金儲けの話ではない。ガスパールの巨大な自尊心を的確に撃ち抜く、一本の毒矢だった。


 エドムンドは、自分の手札を静かにテーブルに伏せた。今夜の観察は、終わりだ。


 彼は残ったチップを換金すると、誰に会釈することもなく、その混沌とした欲望の坩堝を後にした。彼の足取りには、もはや迷いはなかった。サロニカへ送る伝書鳩が、彼の到着を待っている。


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