第六章:赤い金
エドマンドに一任された最初の取引は、決して大きなものではなかった。アムステルダムへ向かうオランダのフリュート船「海獅子号」の船倉の、隅の一区画を借りるだけのささやかな船出。しかし、それは彼の商人としての全人生を賭けた、重い重い積荷だった。
彼は倉庫の管理者として、自ら荷積みを指揮した。乾燥させたローズヒップを、湿気と虫害から守るために丁寧に油紙で包み、頑丈な木箱に収める。ギリシャ人の船長は、得体の知れない「ただの茶葉」のためにこれほどの手間をかけるエドマンドを、訝しげな目で見ていた。
「イングランド人、そんなものより上等のワインでも積んだ方が、よほど儲かると思うがな」
船長は嘲るように言った。エドマンドは何も答えず、ただ静かに微笑んで仕事を進めた。彼は知っていた。この赤い果実の価値を理解できない者には、何を言っても無駄だということを。信用とは、結果で示すしかないのだ。
「海獅子号」がボスポラス海峡を抜け、西へと消えていくのを、エドマンドは港で見送った。そこからの数ヶ月は、彼にとって新たな戦いの日々だった。
彼は倉庫管理責任者として、自ら考案した管理システムを徹底させた。最初は反発していた古参の書記や荷役たちも、商品の損失が劇的に減り、仕事の効率が上がっていくのを目の当たりにして、次第に彼の指示に従うようになった。彼はもはや「よそ者」ではなく、数字という万国共通の言葉を操る、尊敬と少しの畏怖を込めて「会計士」と呼ばれるようになっていた。
しかし、彼の改革を快く思わない者もいた。特に、以前の杜撰な管理の中で私腹を肥やしていたギリシャ商人のヨルゴは、エドマンドを敵視し、事あるごとに彼のやり方にケチをつけた。
「イングランド人の小僧が、帝都の商いを何年も見てきた我々より賢いつもりか。見ていろ、いつか大きな失敗をやらかす」
エドマンドは、そんな雑音を意に介さなかった。彼は黙々と働き、トルコ語とギリシャ語の初歩を学び、この巨大な商業都市の血流を、肌で感じ取ろうと努めていた。
そして三ヶ月後、風向きが変わったことを知らせる船が、アムステルダムから帰港した。
その船は、エズラの元へ一通の手紙を運んでいた。エズラは、エドマンドを自らの書斎に呼び出すと、彼の目の前で封蝋を解いた。エドマンドは、固唾を飲んでそれを見守った。
手紙を読んでいたエズラの眉が、わずかに上がる。彼は一度、信じられないというように内容を読み返し、やがて顔を上げて、目の前のエドマンドをじっと見つめた。その表情には、驚きと、そして初めて見せる純粋な感嘆の色が浮かんでいた。
「……信じられん」エズラは呟いた。「アムステルダムの代理人からの報告だ。最初、この『ローズヒップ』という積荷の意味が分からず、倉庫の肥やしになるかと諦めかけていたらしい」
彼は手紙の一節を指し示した。「だが、オランダ東インド会社(VOC)の幹部が、この積荷の噂を聞きつけた。『長期航海の壊血病を防ぐ奇跡の薬』。噂は尾ひれをつけて広まり、結果、奴らは我々の提示した価格の、さらに十倍の値で、全ての在庫を買い占めていったそうだ。そして、こうも書いてある。『今後、確保できるだけのローズヒップを、全てアムステルダムへ送られたし。価格は、言い値で買う』と」
エズラは手紙を机に置いた。
「お前は、倉庫の片隅で埃をかぶっていたガラクタを、金に変えた。それも、ただの金ではない。『赤い金』だ」
その日のうちに、エドマンドの成功の噂は、ナフマン商会の隅々にまで知れ渡った。彼を見る人々の目が変わった。嘲りは消え、嫉妬と畏敬がその場所を埋めていた。かつて彼を罵ったギリシャ商人のヨルゴは、廊下で会うと、気まずそうに目を逸らした。
数日後、エズラは再びエドマンドを呼び出した。
「サロニカのナフマン様へ、事の次第を報告した。今朝、お言葉が届いた」
エズラは、いつもの冷静な口調に戻っていた。だが、その瞳には確かな信頼が宿っていた。
「『そのイングランド人、我が目で見る必要がある』、と。エドマンド・ヘイル、旅の支度をしろ。お前は、サロニカへ向かう。ナフマン様が、直々にお前に会うそうだ」
それは、エドマンドがこの巨大な組織の末端から、その中枢へと招かれたことを意味していた。コンスタンティノープルでの試練は、終わったのだ。彼は今、この商会の主、ダヴィデ・ベン・ナフマンその人と対峙するために、新たな旅へと出発する。




