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数年ぶりでございます。
諸事情諸々ありますが、詳細は活動報告にて
「ヒロインの……」
「没になった初期案のキャラ……です」
改めて繰り返すのは恥ずかしいのか、苺ちゃんは頬を染めながらもじもじと視線を泳がせている。
「公式のビジュアルファンブックには桃香のデザインラフも何パターンか載ってたけど……」
苺ちゃんらしき見た目のイラストはなかったはずだ。どのキャラデザもかわいいけど、最終稿の桃香、つまり今の桃香が一番かわいいと思ったから、しっかりと覚えている。
「あ、デザインとかは一般には全然出てなくて、こういう設定のヒロインでいこうかって企画段階で話があったっていうのがそのトークイベントでプロデューサーの人が言ってたんですけど……」
苺ちゃんの話によると、企画段階ではヒロインは桜花学園に初等部から通っているそこそこのお嬢様で、高等部進学をきっかけに、攻略キャラたちと交流を深めていく、という話だったらしい。
「でも結局、企画を進めるうちに早い段階でヒロインは高等部から入学してくる一般の庶民家庭の方が面白いってなったらしくて、初期案のお嬢様ヒロインは没に……」
「その没になったヒロインが、あなただと」
「はい、そのトークイベントでプロデューサーの人が、『デザインも企画変更後に描いてもらったから初期案の子は無いけど、もし続編とかで出すなら髪はふわふわのお人形系で、名前は苺とかいいかもね』と言っていたんです」
「それで見た目と名前が一致した訳ね」
「はい、……といってもあたしが前世を思い出したの、極々最近なんですけど。高等部入学式でなんか色々見覚えがあるなってあちこち歩いてたら、校舎裏に迷い込んじゃって……」
ああ、本来なら桃香が檎宇と出会うはずだった迷子イベント。
私が事前にフラグを折ったから桃香は迷子にはならなかったんだけれど。
「なんか怖い先輩に絡まれたと思ったら、そこに現れたのが前世の最推しで一気に記憶の扉がパーン!! って!」
「つまり檎宇を見て全てを思い出した、ってこと?」
「え? あたしの最推しは檎宇くんじゃないですよ?」
「ん?」
あの場にほかの攻略キャラはいなかったはずだけど。
そんなことを思っていたら、ガシッと苺ちゃんに両手を握られていた。
「んん?!」
頬をバラ色に染めながら見上げてくる瞳がキラキラと輝いている。
「あたしの最推し、真梨香先輩なんです!!! 初対面が新規描き下ろしビジュアルで気絶するかと思いましたぁ!!!」
「へ……??!」
こう言っては何だが、今の私は原作の真梨香とは見た目も喋り方もかけ離れている。私自身が意識的にゲームの真梨香とは正反対のキャラになろうとしていたからだ。
まったくの別の人格、とまでは言い難いかもしれないし、津南見との一件で自分の中であの真梨香も自分なのだと少しずつ受け入れられるようにはなったものの、今更見た目や喋り方を変えられるほど器用でもない。
それを新規ビジュアルの一言で片付けていいものなのだろうか。
普通原作からこんなにかけ離れたキャラ改変されたら解釈違いだキャラ崩壊だと怒り出しそうなものだけれど。
困惑する私をよそに、苺ちゃんは原作の真梨香への愛を滔々と語り始めた。
「原作の真梨香サマはボクっ子で、見た目も美青年って感じで、かっこいいんですけど、津南見先輩への恋心がにじみ出ちゃうところは乙女で、一途で、健気で、ギャップ萌えで、桃香ちゃんのハピエンが真梨香サマにとってはバッドエンディングなのがしんどくて、バドエンルートの狂気に囚われた真梨香サマのシーンはもう泣いちゃって泣いちゃって……」
狂気に囚われた真梨香って、私もたまに夢に見る、真梨香がハサミ片手に桃香に襲いかかるあの場面のことだろうか。
あれって泣くシーンか? 真梨香の顔のサムネの作画も含めてどっちかっていうとホラーシーンだと思ってたんだけど。
疑問は浮かんだものの、解釈は人それぞれだしな、と思って黙って聞いていると、苺ちゃんのボルテージはどんどん上がって、早口になっていく。
「最後のモノローグとナレーションがしんどくて、どうにか真梨香サマ幸せルートは開けないのかってずっと思ってて、公式アンケートに感謝と感想に添えて次回作およびファンディスクでライバルキャラっていうか、真梨香サマの幸せ分岐ルートを作ってほしい旨の要望長文を書き連ねて何度も送ったり、つなまりハピエンif妄想二次創作をかたったーやぴくしてんで吐き出しては同志と感想を送り合ったり、イベントで頒布したり……」
「え、今二次創作って言った?! 頒布って……?!」
「あ、やば。ナマモノ妄想をご本人にバラすのはアウトですよね。……前世の頃の真梨香サマは二次元だったんで、セーフってことにしておいてください!! とにかく、あの日真梨香サマを見てあたしは前世と自分のキャラ設定を思い出したんです!!!」
どうやら苺ちゃんの前世はだいぶアクティブなオタクであったらしい。
二次創作云々はほんのり気になるが、確かに前世の真梨香は二次元だったし、今世では深くつっこまないことにしよう。
前世で言えば私も桃香の幸せ系同人誌は買い漁ってたことがあるし。
「そんなわけで、最推しに会えてあたしは全てを思い出し、前世では見られなかった真梨香サマのハピエントゥルーエンドルートをこの目に焼き付けるために追っかけ学園生活をスタートさせたんです!!!」
「……それであの盗撮サイト……」
「あぁ!! えっとぉ……その件は本当に申し訳なく……、ほんとにもう写真は全削除しましたし、追っかけるにしても迷惑をかけないように合法の範囲内で見守るだけに留めておりましてぇ……」
眉尻を下げる苺ちゃんは見た目だけは桃香に匹敵するレベルで愛らしいのだが、ストーカー行為を改める気はあんまりなさそうな気配を感じる。彼女の言う合法の範囲ってどこまでだろうか……。
「遠目にこっそり拝んだり、桃香ちゃんや檎宇くんにルート進捗……じゃない、現状報告などをやんわり伺うだけで我慢してるんですよぅ」
「それは我慢してると言えるのかしら?」
苺ちゃんはてへぺろと効果音が付きそうな様子で舌を出している。可愛らしい表情だが、追っかけられている身としては対応に困ってしまう。
ふと、苺ちゃんの個人サイトの話を聞いて気になったことを思い出した。
「苺ちゃん、あのサイトなんだけど、イベントスチル風の画像を並べて貼り付けてあったけど、私を推していたという割には私の顔にピントが合った写真が殆どなかったわよね?」
「あ……そ、それはですね……あのサイトはゲームスチル再現して楽しむ用で……真梨香サマのスチル集、じゃなかった、先輩のお写真はまた別に保管をしてまして……あっでもでも! もう消してます!! ほんとです!! 吉嶺先輩に確認してもらっても構いません!! ついでにあたしの携帯も今見てもらって大丈夫なんで!!」
差し出された携帯のロック画面と待ち受けが海や新入生歓迎パーティーで一緒に撮った合法的な私の写真だったことには触れず、写真フォルダを見せてもらうと、確かにざっと見た限り隠し撮りらしき写真はなかった。
その代わり、『合法真梨香サマ』という名のフォルダがあったのはちょっと怖かったが、あえてスルーした。
私の携帯にも桃香フォルダはあるしな。
「……とりあえずは苺ちゃんが私を追いかけていた事情は分かったわ。そして多分私よりも原作ゲームの設定に詳しいことも。その知識を見込んで聞きたいことがあるのだけど」
「はい! あたしでお答えできることでしたら!!」
勢いよく頷く苺ちゃんに、昨日の一之宮先輩とのことを話した。
「それで……もし私の勘違いだったらそれが一番いいのだけれど、苺ちゃんの目から見て、私の行動は……先輩や檎宇を、その……『攻略』しているように見えたのかしら?」
「ほわぁ……あたしの見てないところでそんなドキドキ展開が……一之宮先輩の壁ドンと代議会勧誘に見せかけた熱烈口説き文句……見たかったぁ」
「苺ちゃん、うっとりしながら魂飛ばさないで、帰ってきて」
目を潤ませてうっとり妄想モードに入ってしまった苺ちゃんの肩を揺さぶって正気に戻ってきてもらう。
「あ、すみません、つい。……えっと、でも、真梨香先輩は一之宮先輩を攻略しているつもりはなかったんですよね?」
「ええ、それどころか、桃香と違って反抗的な態度ばかり取ってきた自覚はあるし、檎宇のことだって、まあまあ邪険に扱ってきた方だと思うのよ。ゲームの桃香はどちらに対しても優しく健気に対応していたから、私の態度や行動で好感度が上がるとは思えないんだけど」
「……シナリオとは違う展開だけど、真梨香先輩にフラグが立ってしまって、一之宮先輩や檎宇くんたちが真梨香先輩を好きになるルートが開いちゃったってことですよね。……もしかしたら……」
「もしかしたら……?」
何かを思いついたような苺ちゃんの表情がやたらと活き活きとして瞳が輝いているので、少し嫌な予感がしつつ尋ね返す。
「あたしの要望アンケートに運営が応えてくださって真梨香先輩ヒロインの番外編シナリオが作られたのかもしれません!!」
「…………」
「すみませぇん、今のはあたしの願望ですぅ……」
思わず半眼で睨みつけてしまったけれど、苺ちゃんの願望はともかくとしても、あのゲームに続編や番外編と言ったものが出た記憶は少なくとも私にはない。苺ちゃんも無いと言っていたが、彼女も言っていたように、私たちの死後、製作、発売されていた場合は知りようがない。
「もし仮に、あのゲームに続編や番外編が作られていたとして、私はその気もないのに檎宇や一之宮先輩を攻略してしまっていたということなのかしら……」
「先輩が意図的に檎宇くんや一之宮先輩を落とそうとしたわけじゃないんですよね? ……それでこのフラグ建築っぷりはまあ、すごいっていうか、無自覚って怖いなって思いますけど、真梨香先輩は幸せになろうと頑張っただけなんですから、堂々としていていいと思いますよ」
「いいこと風に言ってるけど、私がフラグ立ててしまっていることは否定しないのね」
「えっと、それは、そのぉ……」
苺ちゃんの忌憚なき意見で改めて自分の立場を自覚する。もしかして、私ってものすごく酷い女なのでは……?
「それにしたって、あのゲームにはこんな風に複数の相手から好意を寄せられるようなルートは無かった筈だけど……ってそれも番外編とか続編があったらって話なのか……」
「…………あ! 逆ハー展開で思い出しました!」
「逆ハーまではいかないわよ! ……で、何を思い出したの?」
「あの、あたしの存在が語られてたトークイベントでちらっと出てた没シナリオ案で、逆ハールートの案があったって話があったんです。もちろんヒロインは桃香ちゃんになってからの話らしいんですけど」
そこまで言って苺ちゃんはさらに何かを思い出したようにスッと顔色を青ざめさせた。
「どうしたの? その逆ハールートに何が……」
「あの、今、本当に今、思い出したんですけど、逆ハールートについて、シナリオライターの人が、『逆ハールートの展開も最初は考えていて、そのシナリオではヒロインが隠れキャラ含めた攻略キャラ全員の好感度を一定以上にあげて後半戦に突入したところでメインヒーローの篠谷侑李がラスボスとして敵対してくるっていう展開になるんです。そこでハッピーエンドを獲得したら全員との逆ハーエンド、失敗したら全員との絆を失う孤独なバッドエンドか、初恋だった篠谷とは結ばれず、傷心のヒロインがそれ以外の攻略キャラに慰められるビターエンドっていう案だったんですけど、逆ハー自体フローチャートやボリューム、そのほかなんやかんやの大人の事情で没になったんですよね~』って言ってたんです」
「篠谷君が……敵対……」
それはまさに今の状況に類似していて、背筋がひやりとなる。
「逆ハーとは言えないけど、私が攻略キャラ全員と何かしらのかかわりがあって、一部の、それも複数の人物からは好意を寄せられていて」
「先輩を中心にみんなで悪役理事長打倒で団結しようとしたら篠谷先輩だけが反対して、対立構造の展開になった……」
「苺ちゃん、その没案のシナリオはもっと詳しい話は出なかったの? どういう流れで篠谷君が敵対して、どうやってハッピーエンドになるのかとか……」
「いえ、没案なので細かい内容は全然……ただそういう展開のアイデアがあったってことだけしか……」
眉尻を下げてすみませんと謝る苺ちゃんをそれ以上追及することはできず、昼休みの終了を告げる予鈴が鳴ってしまったこともあって、その場はいったん解散となった。
けれどその没シナリオルートの話が頭から離れることはなく、午後の講習は全く集中できずに時間だけが過ぎていった。