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「は?」
「でもその答えはちょっと待って。俺、まだ悩んでるから」
そう告げると空気を察したリンは、押し黙って俺の気持ちを受け入れてくれた。互いに言葉を発することなくぼんやりと窓の外を眺める。窓の外を見ながら、呟くように俺は漏らした。
「本音は、ただ汚したくないだけかも」
「何?」
「初めては一回だけだから」
「……神楽」
「何?」
「お前、そのセリフ。鬼畜くさい」
「うっさい、あほ」
言いながら羽交い絞めにしようとすると、逆にやり返されてラグに転がってあほみたいにプロレスごっこを始めた。あまりにもそれは馬鹿げていて、だけどそうやって距離を図って、俺とリンは成り立っている気がした。
そんな俺の元に、その日の夜一通のメールが届いた。それが俺とことちゃんが喧嘩する原因となったものだ。それはあまりにも馬鹿げた原因ではあったけれど、どっちもが悪くて……いや、どちらかと言えば俺が悪くて。しかも収集をつけられなくなって、ぶつりと終わってしまった。
完全に自爆から始まった喧嘩のようにも思うけれど、喧嘩は悪いことではなかったと思い始めてはいる。でも、やはり諸悪の権化への怒りの気持ちが無いわけではない。俺は、ベッドに寝そべりながらメールの送り主へと電話をかけた。
『こんばんわー先輩』
「語尾にハートを付けたような呼び方ヤメロ大崎」
『えー、琴莉ちゃんなら大喜びの癖にぃ』
「黙れ、呼ぶな琴莉の名前を。穢れる」
『ひどっ! それ、後輩に言うセリフっすか!?』
「お前限定でな」
電話の向こうから横暴だなんだとわめく声が聞こえているけれど、俺はそれを見事にスルーしながら、ことちゃんお気に入りの丸いクッションをグッと抱き込んだ。少し前まではことちゃんの匂いがしたのに、今は全くしないそれに少し寂しさを感じる。
もう何か月来てないんだっけ……ふと、喧嘩してしまった後の寂しさが込み上げてきて、暑いはずなのに寒い気がした。
『で、どうなりました?』
やや思考を遠くに飛ばしかけていた俺は、大崎の問いかけで現実に戻る。尋ねられた意味を解釈し、そしてまた小さな苛立ちが沸き起こった。
「ハッ、それお前が聞くの」
『いやーだってねぇ? 俺、琴莉ちゃんの味方なんでぇ』
「味方なんかお前がすんじゃねーよ」
ろくでもない後輩の大崎は、言葉が本心か嘘かが分かり難いところがある。少なくとも俺に分かるのは、ことちゃんのことも遊び半分にちょっかいをかけているってことだ。隙あらばと思っている節がある気がする――と思っているのは、俺の思い過ごしかもしれないけれど。とにかく琴莉に手を出させるつもりは絶対にない。
『相変わらずっすね。ことちゃん命?』
「大崎、俺を怒らせたいの?」
『まぁそれも面白そうですけど。今回は純粋に琴莉ちゃんのため、ですかね』
「はぁ……つーかさ、大崎。勝手なことするの止めろよ」
一つだけ、どうしても許しがたいことがあって、それだけは言ってやろうと思っていた。というのも、それは俺だけの問題でもないからだ。
俺と彼女、それは所謂元カノとの間の話であって、他人に軽々しく言ってもらいたくはなかった。いずれはことちゃんにも言うつもりはある。けれど、そのタイミングを俺はずっと計りかねていた。
昨日、生徒会で楓花に遭遇したことは大誤算で、彼女が来ると分かっていれば俺だって行かなかったかもしれない。
それもこれも、大崎は知っていて言わなかったのかと思うと昨日はそのことにも苛立ちはした。けれど……『先輩方が付き合っていた云々以前に、元生徒会の人間として集まることは悪いことじゃないでしょう』と言われて、それ以上の言葉が出なかった。
確かに、個人の問題にまで配慮しろと言うのは間違っているかもしれない。それに、ことちゃんが来ると思っていなかったことも原因で、つまり元を正せば……俺が悪いってことは分かっている。
『勝手……ではあるでしょーけど? 悪いことしたとは思ってませんよ。楓花先輩のことも、写メも』
「その根拠は?」
『だって、琴莉ちゃんと喧嘩したでしょ』
ヒヒヒとでも笑っていそうな声でそう言われ、顔を顰めた。喧嘩したことは悪いことではないと思っているけど、それと大崎に発破をかけられたこととは別だ。
「別に大崎に頼んでないけど」
『ですよねー。俺もお節介とは思ってるんですけどね。琴莉ちゃんも工藤君も可愛い後輩なんでー。やっぱり応援してあげたいじゃないっすか』
「は? 工藤君?」
それはことちゃんからも、大崎からも以前聞いた1年の会計担当の名前だった。話を聞いていれば、妙にいつもことちゃんに突っかかっている。まるでガキが好きな子をイジメるみたいな、そんな絡み方は前々から気になっていた。
なんと言うか……ことちゃんはべらぼうにモテるタイプではないだろうけど、手の届く可愛い系なんだ――って、それは彼氏としての欲目を抜いて、冷静に考えての意見。特にいつも一緒にいる麻生さんが、手の届かない美人系だからこそ、余計にことちゃんの穏やかで温かな可愛さが際立つというか……ダメだ、完全に琴莉しか見えてない。
ふわりと浮かんだことちゃんの柔らかな笑顔と身体を抱きしめたい衝動が起きて、頭をガシガシ掻きながら追い払う。俺、大分病んでるな、と思いながら大崎の話を脳内で繰り返して、気がついた。
「待て大崎。さっきの写真の奴、あれか?」
『ピンポーン、正解! さぁっすが神楽先輩』
「褒められても嬉しくない」
『冷たっ、琴莉ちゃんと態度違うことないっすか!?』
「当たり前だろ、一緒にするな」
全く減らない口を縫い付けてやりたい気持ちで脳内が埋め尽くされてきて、だんだんと苛立ちが募り過ぎてきたこともあり、俺は電話を切ることに決めた。
「とにかく。大崎のお陰で絶賛『喧嘩中』だから。言っとくけど、手ぇ出すなよ?」
一段低い声でドスを効かせて電話口に告げると、明るい声で努力しまーす、と返って来た。腹立たしすぎる。そのままブツリと切ってやろうかと思ったら、最後の最後に真面目な声で話す大崎の声が聞こえてきた。
『先輩。琴莉ちゃんも女ですよ。いつまでも、女の子じゃない』
その意味深な言葉に何かが引っかかったけれど、何も言えずにじゃあなと言って電話を切った。
携帯電話を枕元に置いて、体を起こしてベッドの上にあぐらをかいた。壁を背もたれに体を倒すと、珍しく言い合いをした疲れが出てくる。
――楓花って呼ばないで、か
あの言葉は衝撃で、だからこそ俺を瞬時に冷静にさせた。
昔一度、他の男を名前で読んでほしくないと言ったことがある。それは、相手が大崎だったから反応した部分ではあるけれど、今でもちょっと感じているある本音だ。
あれ以後そんな話は出なくなり、ことちゃんも気を遣って『会長』と大崎のことを呼び出したから気にしなくなっていた。気にしない、というのは俺が勝手にそう思っていただけで、彼女はずっと気にかけたくれていたのかもしれない。そう考え始めれば、いくつも彼女に我慢させていたのかも、と反省した。




