8
それだけが楽しみで来たのに、蓋を開けてみれば元カノに出会った上に、ちぃくんは私と一緒に居たよりも長い時間、元カノとどこかに行ったまま帰ってこない。
疑ってるわけじゃない。でも、……自分になんの自信もない。
ちぃくんのキスで、少しだけついた自信なんてもうとっくに消えてしまった。触れられた熱が抜けない気がしてたのに、今心の中に取り巻く気持ちが、その感覚も塗りつぶしていく。コチコチと鳴る時計の音を何度も聞いて、ようやく遠くから靴音が聞こえてきた。そして現れたのは……
「たっだいまー! って、アレ? ちぃくんたち、戻ってないの?」
確認のために聞かれたんだってことは分かっていたんだけど、それにしても事実を再確認されて私は声を詰まらせた。真理亜に他意はないとは分かっていても、つい恨んでしまいそうになる。
「うん、まだ」
ついそっけない口調で言ってしまって、でもそれを取り繕うことも出来なくて私はプリーツのスカートを握りしめた。けど、やっぱり真理亜は真理亜だ。ギュっと私を背もたれの後ろから抱きしめてくれて、肩に乗ってきた。
「そか。でも、大丈夫。ちぃくんだよ? 何にもないって」
「……うん」
「すぐ戻ってくるよ」
出て行ってからずっとモヤモヤしていたけれど、真理亜にそう言われたら、なんてことない気がしてきた。そうだ、私が思いこみ過ぎていただけかもしれない。
「うん、そうだね」
ようやく顔を上げることが出来て後ろを振り向くと、真理亜がふわっと笑ってくれた。その後ろでモッカも頷いてるのが見えて、私はたくさんの人に支えてもらえてるんだって嬉しかった。
そう思った瞬間、スッと扉が開いて何でもなかった様子でちぃくんと瀧本さんが戻ってきた。
「まさかあんなとこにあるとは思わなかったね」
「ほんと。勘弁してくれよ」
二人はそう言いながら、二人にだけ分かるネタで笑いながら入ってきた。途端に固まるのは私たちの方で、そんな様子に気が付いてか、ちぃくんは首を傾げた。
「どうしたの?」
「あ……いや、遅かったっすね」
口を開くことの出来ない面々の中、会長が先頭切ってちぃくんの質問に答えてくれた。それで何とか詰めた息を吐き出すことが出来た私は、そろりとちぃくんを見る。そうしたらちょうど視線がぶつかって、ちぃくんは私を見て柔らかく微笑んでくれた。
「ごめん。なんか生徒会室と全然違うところで保管されててさ。職員室まで行って確認してたら、先生らに捕まって」
「あー、なるほど」
相槌をうつ会長に併せて、私も納得できた。校内で元カノと二人で、なんて思っていたけれど、実際は二人じゃなかったんだ、多分。そのことにホッと一息吐ける。そんな私に気づいてか、気付いてはいないのか。ちぃくんは何てことない感じで私の隣に……座ろうとして、会長の隣に座った。
――あ、あれ? 今、私の隣座るつもりだったよね?
まるで私を避けるようにちぃくんが向かいに座って、私はどうして? って気持ちでいっぱいになった。なんでなんだろう、もしかしてほんとに短い時間の間に、瀧本さんに気持ちが靡いちゃったの?
せっかく穏やかになりかけていた心が、またささくれだってくる。ちぃくんを向かいから見つめるけれど、特に変わった様子は感じられない。だけど、ちぃくんは私を見ないようにしている気がした。
「あっちの資料、後どれくらいありましたか?」
会長がちぃくんに尋ねると、横から瀧本さんがその返事をした。
「もうそんなに無いよ。ほら、もう一人の副会長の吉井くんだっけ? その子が来てくれてね。台車が手に入ったからそれに乗せてくるって。しかもエレベーター動かしてもらうことになったから、もう終わるわよ」
「吉井が運んでくれてるなら、明日はもうやることないか」
買ってきたドリンク類の中から一本ペットボトルを取り出すと、モッカがそれを飲みながらそんなことを言った。
「ホント? もうない?」
真理亜が嬉しそうにモッカに尋ねると、一瞬考える素振りを見せてから頷いた。
「池波がここ掃除してくれたみたいだし、足りなかった資料は先輩方が見つけてくれた。あっちの荷物も残ってる分は処分するやつばっかだし、もういいだろ」
思った以上に人手があったことも手伝って、早くに終わったみたい。私が来たことなんて意味がないかもって思っていたけれど、多少は役立って良かったって安堵する。私と同じようにホッとした様子の真理亜は、持っていたコンビニ袋を応接セットのテーブルに置くと、どれでもどうぞーって言いながら、みんなに勧めた。みんな喉も乾いていることもあって、中の商品を見てはサッと取り出してすぐに口を付けていく。
「やーっぱコトはそれか」
「うん。真理亜ありがと」
「どーいたしましてー」
お礼を言いながらプシッと音を立ててプルトップを引くと、私はそのまま口を付けて一口飲んだ。冷たいそれが喉を通ってスッキリする。
「ほんと、琴莉ちゃんってイメージと味覚が違うよね」
けらけら笑いながら会長そう言われ、私は手に持った缶コーヒー(ブラック・無糖)を見つめた。
「そうですか?」
「うん。ことちゃんは甘いカフェオレくらいしか飲まなさそうだよね」
「えー」
会長のツッコミに便乗して、ちぃくんが私を見ながら笑った。その笑った感じはいつも通りで、さっき目が合わなかったのは気のせいかなって思える。
「今なら最初にリンゴジュース勧めたの、間違いだったかなって思うよ」
「そ、そんなことないっ。あれは、すっごく美味しかったですよ?」
「そう? なら良かった」
懐かしい図書館の自習室でのやり取りを二人で振り返りながら笑っていると、ちぃくんの隣の会長がワザとらしい咳ばらいをした。
「オホンッ。ばかっぷるはいちゃつかないでくださいねー」
「い、いちゃ……!」
会長のツッコみにあわわわって落ち着かなくて舌を噛む。その様子を隣に座った真理亜に笑われた。何とも言えない空気に落ち着かないものを感じていたら、横から驚きの声が上がった。
「え? カップルって……」
私とちぃくんのことを知らない瀧本さんが、ちぃくんを見つめながら目を見開いていた。見つめられたちぃくんは、照れているのとは違う、複雑な表情を浮かべてその視線から目を逸らす。それを見て、私は胃がキリリと痛くなった気がした。
「この二人、付き合ってるんですよ」
「大崎」
会長が瀧本さんに挑戦的なキツイ言い方をした感じがして私が小さくぴくっと震えていたら、ちぃくんがそれを諌めた。ちぃくんの一言で会長は首を竦めてから、ペットボトルに入っているコーラを飲み干す。しゅわしゅわって音が会長の口から聞こえてきて、なんだか落ち着かない気持ちになった。
――会長、ワザと言ってくれたんでしょう?
私が気にしてるのを知って、そんな風に言ってくれた。それなのにちぃくんが止めたから妙な空気が室内に流れ始めている。隣の真理亜も、モッカも多分知らない。瀧本さんがちぃくんの元カノだってことは。でも、今微妙な空気が流れていることは明らかだし、勘のいい二人ならもう過去の2人の関係に憶測が及んでいるかもしれない。
そんな風に思いだしたら、自分が今日学校に来たせいでこんな険悪な空気を生んでしまったことに、いたたまれなくなった。会長が言ったみたいに、予定通り私が来なければ妙なことにはならなかったんだ。思えば思うほど自分の存在がダメな気がしてきて、先ほど作ったプリーツスカートの皺の部分をまた掴んでいた。




