3
家に帰ってから服を着替えて、ドサリとベッドに倒れ込んだ。ゴロリと横を向くと、何だかちぃくんっぽい犬のヌイグルミ。目があって引き寄せるとギュッと抱きしめた。
「会いたい、なぁ……」
私の期末テストと、ちぃくんのレポート提出が重なって会えない日が続いている。今までだったら、一緒に勉強したりしていたはずなのに。それすらも、最近避けられていた。
――私と一緒にいるの、嫌?
そんな言葉が喉まで出かかって、ぐっと飲み込んだことも一回だけじゃない。
分かってる。真理亜が言うみたいに、ちぃくんが私を大事にしてくれてることは。だけど、私には分からないことがいっぱいありすぎて、それが私を不安にさせる。こんなこと思う私はダメなのかな――
そんなことを思っていたら、携帯電話が着信音を鳴り響かせた。突然耳元で響くメロディにアワアワしながら液晶画面を見ると、相手はずっと頭の中に居たちぃくん。
「も、もしもしっ!」
勢い良く受話ボタンを押して声を上げると、相手からは笑い声が聞こえてきた。
『クックッ。こんにちわ、ことちゃん』
「はいっ、こん、にちわ。です」
『どうしたの、ことちゃん。相変わらず可愛いね』
衒い(てらい)もなく可愛いなんて言われて、瞬時に赤面する。ちぃくんは、私の顔を赤くさせるのが得意だから困る。
「可愛くなんか、ないもん」
『ふはっ。じゃあ、そういうことにしとこうか』
「もー、ちぃくん!?」
電話に出ただけで笑われる私。そんな自分が嫌になるのに、ちぃくんは気にもとめずにクツクツ笑っている。ついには苛立った私は、だんまりを決め込んだ。すると、ひと仕切り笑い終えたらしいちぃくんが、伺うように私の名を呼ぶ声がする。でも……そんなにすぐに、折れてあげないんだからね!
『こーとり。何、不機嫌なの?』
「……」
『ごめんって。許してよ』
しおらしい態度へと軟化していくちぃくんに、すぐに負けそうになる。でも、今日の私はそう易易と折れなかった。だって、モヤモヤしまくってばかりで、自分に嫌悪しそうなくらい、ちぃくんに不満いっぱいだったから。
『ことちゃん、何でもいうこと聞くから、ね?』
それなのに、こんな一言ですぐにグラグラきちゃう。ちぃくんは、私のことなんて手のひらで転がすように簡単に操れるんだ、きっと……それを分かっているのに、私は抵抗するすべもなくて、呆気なく自分の決心も崩れた。
「絶対に、何でも?」
『うん、俺にできることなら』
「じゃあ――」
そう言いながら頭に浮かんだ言葉は、私の初めてをもらって、なんて恥ずかしい言葉だった。
ずっと頭の中にあって、それが私をグズグズにダメにしている。誕生日を過ぎたら、そんな言葉で私を縛ったのに、ちぃくんは未だにその縛りを解いてはくれない。だけど恥ずかしくて本音を言えるはずもなかった。
キスだって、して欲しいってずっと思いながら待ち続けて。その上、エッチまで望んで待ち続けてるなんて……まるで自分が痴女にでもなってしまったんじゃないかって思う。
――こんな気持ちをもつ私って、おかしいの?
誰かに聞きたいのに、そんなこと聞けるはずもない。自分の中で渦巻いていく何か分からないモヤモヤにまた蓋をしたくて、私はギュッと目を瞑ってからゆっくり瞼を開いた。それから、なるべく不自然じゃないように軽い口調でお願いを口にした。
「ちぃくんのお家、行ってもいい?」
あんなに何度も行っていたのに、誕生日にお邪魔して以降ちぃくんのお家には行っていなかった。今さら行っちゃいけない理由なんてない、と思いたい。けれど、私から会う場所をちぃくんの家に指定することも憚られて、ずっと行くことなんてなかった。だからのお願い……ちぃくんの部屋で二人になれたら、何か変わるかもしれない。
『え……』
「駄目、かな?」
『あ、いや……ダメじゃ、ないよ?』
ダメじゃないと言いながら、どこか歯切れが悪いちぃくん。それが分かっていながらも、私も引くことが出来ない。これは、私の賭けだから。
「あの、あのねっ。宿題! その。宿題を、一緒に……やりたくて」
『……あぁ、宿題か』
「うん、そう」
『分かった。でも数学は止めてね』
「えー、数学が困ってるのに」
『あはは。ことちゃん、変わらないね』
なんとか怪しくなった雲行きを軌道修正して、ホッと息を吐く。落ち着かない空気が緩和されたせいか、ちぃくんの口も軽くなった。
『でも、7月はまだ大学の用事があってさ。8月になってからでもいい?』
「大丈夫です」
『ほら、生徒会室の移動するだろ? アレに俺も行くことになってさ。あれの後くらい』
「え、ちぃくんも来てくれるの?」
『うん、昨日決まったんだけど。大崎か木下くんから聞いてない?』
「ううん、全然」
全くしょうがないな、なんて言葉が耳元から聞こえて来たけれど、私はそれよりもショックを受けていた。
校舎の老朽化に伴って新校舎が建つことに決定したけれど、それに当たって部室棟や生徒会のある建物の方から取り壊しが決定した。移転作業をするにあたって、夏休みを利用してやれという指示があって、私たち現生徒会は8月1週目にやろうってことで決まったのだ。でも、先輩たちには驚かせたいから内緒にしようってモッカが言いだして、私はちぃくんに移転話を黙っていた。
それというのも、移動先は現在の校長室だからだ。先にプレハブ側に校長室が出来上がったらしくて、空き部屋になる現校長室は広さ的にも丁度いいんだとか。だから実はすごく楽しみだったりする。まぁ束の間の校長室だけど。だから、なんでちぃくんが移動話を知っているのか不思議で仕方ない。
それに移転作業日の内、最初の2日間私は参加することが出来ない。家族旅行に行くから……なんだけど。もうこれが最後の家族旅行になるかもしれないからって両親に言われて、確かにそうかもしれないと思ったから、私は4月のころから夏休みに家族旅行に行くってみんなに言ってある。だから、今さらそれを蹴ることも出来ない。
でも――ちぃくんが来るならと思うと、ちょっと残念かも、なんて。
いろんな想いが胸の内でごちゃ混ぜになりながら、私は一先ず落ち込む気持ちを抑えて、ちぃくんが学校に来てくれることを素直に喜ぶことにした。
「最初の2日は行けないんだけど、3日目は参加できると思うの。ちぃくんにも、学校で会える?」
『そっか。ことちゃん旅行だもんね』
「うん……」
『じゃあ3日目楽しみにしとく』
「うん!」
学校でちぃくんと会える。それは私の中では起こりえないことだと思っていただけに、素直に嬉しい。私はその気持ちを隠すことなく、楽しみって言うとちぃくんはやっぱりクスクスと電話の向こうで笑っていた。
『じゃあ、おにぎり作って来てね』
そんなお願いが聞こえて、私の心臓は飛んでいきそうなくらい跳ねあがった。夏休みは、やっぱり何かあるかもしれない――そう思いながら。




