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そんなこんなで迎えた夏休み。私はちぃくんに学校で会える日を楽しみにしていた。
けれど2週間も先の予定はあまりにも遠すぎて、身体も心も元気をなくしそうになっていた。間に真理亜に2回くらいあったけれど、話を聞きながら感じる真理亜とモッカの仲が、私とちぃくんとは違い過ぎて距離を感じてしまう。
どうして上手くいかないんだろう、ただ好きなだけなのに――そう思うのに、何をどうしていいのか分からなくて私の心にはまたグルグル黒い気持ちが渦巻いていた。
そしてついに私は、どうしようもない混乱に陥ることになる。
家族旅行3日目、それは生徒会室の移動日2日目でもある日。あまりにも酷い大荒れの天気に、予定を繰り上げて午前中で帰宅することになった。折角のスカイダイビングやあれやこれやがあったのを思えば残念だけど、無事に帰宅できたことが大事だ。でも帰って来てみれば、こちらは快晴なんだからなんだか切ない。そうは思いながらも、私の気持ちは半ば浮上していた。
――今からなら、間に合うよね?
ちぃくんが学校にいるのに一緒に行けないのが心残りだった私は、明日会えるのは分かっていたけれど、1日も早く会いたくて家に着くなり制服に袖を通した。
「琴莉、どうしたの?」
着替え始めた私に、お母さんが驚きの表情で尋ねてきた。それに何となく照れながら、お母さんの目と視線が合わないようにしつつ返事した。
「今、生徒会室の移動してるって言ったでしょ? 時間出来たから行こうかなって」
「そんな、帰ってきたばっかりなのに行かなくても。疲れてるでしょ」
「大丈夫だって。それに皆暑いとこで頑張ってるのに、行けるのに行かないなんて、なんかやだもん」
本音の8割はちぃくんに会いたいから、だけど。2割は真実なんだから、嘘を言ってるわけじゃない。
言いながらカバンを持って、荷物を詰める。これは真理亜とお揃いで買ったクマのカバン。端っこに小さくクマの双子が描かれていて、それが可愛い。お気に入りのそれに、携帯とハンドタオル、水筒を放り込んで立ち上がる。
お母さんに行ってきますと言うと、なんだか含みのある顔で笑いながら、遅くなるなら連絡しなさいねって言われた。
――遅くなる、か。言ってみたいなぁ
ちぃくんは、ありえないくらい真面目で余程のことがない限り7時には帰宅できるように帰してくれる。それも外出した時は家の前まで送ってくれる徹底ぶりだ。ちぃくんの家からふた駅しか離れてないし、贈ってからもすぐ帰れるってちぃくんは言うけれど、いつも申し訳なくて。だからあまり遅くなっちゃダメだと思って、もう少し一緒に居たいなんてワガママもあんまり言えない。
暑い日差しの中、ジリジリと肌が焼かれているのを感じながらいつもの学校まで道のりを歩く。首筋に汗が流れるのを感じながら、伝う感触に気持ち悪さを覚えた。
とりあえず生徒会室へ行ってみようと思って校舎内を歩いた。ゆっくりと階段を登りながら、こうやって生徒会室に行くこともなくなるんだなぁなんて感慨深くなる。踊り場の上にある小窓から見える木々が青々としていて、夏だなって感じながら生徒会室まで辿り着いた。いつもは外からでも騒がしいのに、今日は室内の物音が聞こえない。
――誰も居ないのかな?
そう思いながらも、躊躇いなく生徒会室のドアを開いた。
「こんにちわー」
挨拶をしながら開くと、そこには誰も居なくて……あれ? 誰かいる。
「はい」
スッと透き通るような透明感のある声で返事が返ってきて、私はドキドキしながら後ろ手に扉を閉めた。よく見ると、部屋奥の隅に屈みこんでいる女の人が居る。
「えと、あの……」
咄嗟になると言葉の出ない私は、あいかわらずしどろもどろで上手く言葉が出てこない。そんな私に構うこと無くその女の人は立ち上がると、ツカツカと小さくヒールの音を立てながら私に近づいてきた。
「生徒会の子かな?」
目の前まで来て尋ねられ、私は小さくコクリと頷きながらその人から目を離せずにいた。
――美人な人だなぁ……っていうか、誰だろう?
すらりとした背が羨ましい。見上げた感じから、きっと165センチくらいあるんだろうなって思いながらつい観察してしまう。
ベージュの透かし網ニットの中には白のノースリーブ、小花柄の7分丈パンツはピッタリしててすごく似合ってる。高くないヒールの靴も嫌味が無くて、大人っぽい。鞄だって詳しくは分からないけれど、あのロゴ見たことあるなってくらいには分かる、ブランドものだ。私なんかと雲泥の差……って勝手に落ち込んでいると、綺麗に引かれたルージュの光る唇が開いて、自己紹介を始めた。
「私、一昨年卒業した瀧本楓花っていうの。今日は移動のお手伝いに来させてもらってるんだ。よろしくね」
とっつきやすい柔らかい表情で、少し砕けた言い回しは私に安心感を与えてくれて、私も構えすぎることなく自己紹介を始めた。
「えと、私は。池波、琴莉っていいます。今の生徒会で書記をさせてもらっていて」
「わぁ、書記なんだ。私は副会長だったんだけど。じゃあ、千歳の後任だね」
話す途中で遮られて、私は最後の言葉に目を見開いた。
――この人今、千歳って言った、よね?
普段、ちぃくんとしか呼ばない私にだって、彼の名前が神楽千歳だってことを忘れたりしていない。呼び捨てになんてとても出来ないけれど、目の前でこんな美人の人の口からちぃくんを呼び捨てにされて、私の気持ち落ち着かなくなった。
そりゃあちぃくんと同級生のようだから、呼び捨てにしていたって変じゃない。でも……なんか嫌。そう思う気持ちは駄目? でもこれじゃあ、前にちぃくんが言ってたことと同じだって思いなおす。ちぃくんは私が会長のことを聡先輩って呼んでたら嫌がってた。それと同じことを思ってるって。でもその後、ちぃくんは言ってた。
『呼び方、変えなくていいから。俺も変えろって言われたら困る』
……エライ、私。ちゃんと思い出せた。
その言葉を反芻しながら、私は瀧本さんが千歳と呼ぶことを嫌だと思う気持ちを封印することにした。子供みたいなこと、言いたくないし、思っちゃ駄目。そうやって自分を諌めていたら閉じた扉が音を立てて開けられて、後ろに立っているだろう人物が瀧本さんに対して私の背後から尋ねた。
「楓花。そっちに何年前の資料からあった?」
私の真後ろに、扉を開けた主が立って瀧本さんに声を掛けた。その声を聞いて、私は嬉しさよりも悲しさが先に立った。
「んー、ちょっと待って」
硬直する私に気づくこともなく、瀧本さんは質問されたことに答えようと、先ほどいた部屋奥にと戻っていく。そして背後に立つ人は、私の頭に向かって声を掛けた。
「ことちゃん?」
そう呼ばれて、ずきりと心臓が痛んだのは初めてだ。何度も『ことちゃん』って、その柔らかな声で呼ばれてきた。時折厳しい声の時もあったけれど、この人の声はいつも温かい。そう今だって。いつもと同じ温かさで、私の名前を呼んでくれている。でも――
『楓花』
そう呼ぶ人の後にことちゃんって呼ばれて、ものすごく自分が子供っぽいって感じた。
――やだ、私すごい嫌な子だ
下唇をギュッと噛んで、はち切れそうな気持ちを押し込める。大したことじゃない。そう言い聞かせて、笑顔で振り返ろうって思ってる間に、ちぃくんのほうが私の前に現われた。
「どうした?」
ふぁさって髪が流れてくるのを感じるほどの近い距離で顔を覗き込まれて、慌てて俯く。それで誤魔化せるとは思わないけれど、少しだけでも見せたくなかった。自分の醜い顔なんて。
「あった。20年前からみたい」
ちぃくんの後ろからそんな声が聞こえてきて、瀧本さんがさっきの質問に答えているのが分かった。その声を聞いてちぃくんは彼女の方を振り向いて返事をした。




