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流れた涙を見て、ちぃくんは左手でそっと拭ってくれた。さっきまでの怖かった顔が、その瞬間少し緩んで苦い顔に変わる。
「ムカつくよ、ことちゃんは」
そんなことをポツリと言った。
至近距離にちぃくんの顔があって。体重は掛けられてないけど、私の上に四つん這いになっているちぃくん。
近すぎて体温が感じられそうな距離に、怖さとドキドキで頭がごちゃごちゃになる。
「むか、つく、の……?」
けれど言われた言葉がゆっくりと脳内に行き届くと、ショックを受けた。
そんなこと誰にも言われたことなくて、落ち込みが隠せない。だけど、顔を曇らせる私を見てちぃくんはふっと笑う。
「ムカつくよ。俺がこんなに我慢してるのに気が付かないのは腹が立つ」
「我慢……?」
はちゃめちゃに繰り出されるちぃくんの言葉に翻弄されて、私の脳内はいまいち整理がつかない。
「キス、したくないわけ、ないだろ」
そう言って、両肘を折って私の頭のサイドに手をついた。ぐっと近づいた距離に、体が金縛りにあったみたいに固まる。
足も手も。
ちょっとでも動かしたら、ちぃくんに触れてしまいそうで……血液が沸騰するんじゃないかって思えるくらいに、ドキドキが加速していく。
「ちぃく」「しても、いいの?」
――カチャリ
尋ねてから、右手でメガネを外したちぃくん。
いつもは見えない素顔が私の至近距離に広がって、ますます硬直してしまう。右手にメガネを握りこんだまま、私が見えにくくなったのかさらに顔の距離が近づけられた。
――も、無理だっ!
「待ってっ」
拘束の解かれた左手を上げて、私は顔を隠した。
見つめてるのも無理。
近づきすぎて無理。
キスが、これ以上近い距離なんて――もっと、ずっと無理。
「琴莉?」
「は、恥ずかし、すぎます」
もう訳わかんなくて、ギュッと目を瞑る。けれど、そんな私にはお構いなしで。
チュッ
指先からはみ出た額に、柔らかな感触が落ちてきた。
そのせいで、顔を隠した指先までドクドクと血液が流れてるのを感じ始めてしまう。
「ち、くん。待って」
「待てません」
私が待ってというのに。ちぃくんは勝手に、顔を隠した私の指先にキスをする。
ちゅ、ちゅ
二回落とされた指先へのキスは、早く手を退けろと言ってるようで余計に閉ざしてしまう。
「も、ダメだって、ば、ぁ……」
緊張のあまり、また涙が溜まる眦に私の声も震える。
「ダメ。今日は絶対許さない」
ちぃくんはそう言うと、メガネをテーブルに置いたのかカチャンと音が響いた。
コチコチと時計の音も響き渡るほどの静寂に、私の心臓の音も聞こえてるんじゃないかって、爆発しそうになる。震える手で必死に顔を覆いながら、ふわりと揺らめいた空気に不安を感じた瞬間。
ベリッと音を立てるように左手をとられて、またラグの上に縫いとめられた。
「ふっ……何で泣いてるの?」
そう言って、私の目じりに唇を触れさせるちぃくん。
とても大事に触れるその唇に。柔らかさに。
ドキドキが止まらなくて仕方ない。
「だって、私――」
「うん」
相槌を打って、今度は反対の頬にキス。
ゆっくりとだけど。私の顔にキスを落とすちぃくんは、いつも見られない素顔で、まるで別人みたいで、おかしくなりそうだ。
私を射るように見つめる瞳が熱くて、目を逸らしたいような閉じてしまいたいような衝動に駆られるのに、黒い瞳がそれを許してくれそうにない。
「ね、ちーくん」
「うん?」
「私のこと、好き?」
怖くて怖くて。別人みたいに見えるけど、この人がちぃくんなんだってきちんと理解したくて。気がついたらそんな質問をしてしまっていた。
そうしたらちぃくんは苦笑いをして、私の鼻の頭にちぃくんの鼻の頭をこすり付けて笑う。
「そんなの、知ってると思ってた」
少しずつ、距離が近づいているのに、だんだんとその距離になれてきた気がする。
なんて、その瞬間少し思って――私が自分のバリアーを解いたその時。
「好きだよ」
じっと目を見つめてそう言ってくれたちぃくんが、そのまま目を閉じて。
――私の唇に、初めてキスをした。




