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顔を上げようとするのに、ちぃくんの左手が私の後頭部を胸元に押さえつけて、それを許してくれない。仕方なく顔を上げるのを諦めてちぃくんの胸元に体重をかけて、抱きしめ返した。
まだまだ慣れない距離だけど、手放したくなくてゆっくりと腕を伸ばして背中にきゅっと手を回すと、心地よい温かさが体全体に伝わった。
「ごめん。早く抱きしめたかった」
早歩きしたことの謝罪だって分かって、黙った。
そんなこと……言われたら嬉しすぎて、でも恥ずかしすぎて私は真っ赤になってしまう。
そのまま後頭部に添えられた頭を撫でるちぃくんの手が心地よくて目を瞑ると、心地の良いトーンで温かい声が落ちてきた。
「俺、琴莉だけだよ」
そう言ってぎゅっと力強く抱きしめられた。その言葉もまた嬉しくて、ドキドキが高まる。
きゅうっと鳴る胸を押さえきれなくて、背後に回した手をきゅっと握りしめた。
「……うん」
そう答えながら思う。
大好き、とても。
――この人のことが、凄く、好き。
ちぃくんは不思議な人だと思う。というより、人間が出来てるんだきっと。
『むかつくけど、大崎のことは今まで通り呼びなよ』
駅で別れるときにちぃくんはそう言った。
私はそう言われて、なぜ? の気持ちでいっぱいだった。
ちぃくんの説明によって、自分の好きな人が誰か下の名前を呼び捨てする、ということは不快感を持つモノだと理解した。それなのに、どうしてそういうことを言うのかと思ったら……
『今更呼び方変えられない友達なんて、たくさんいるだろ? 俺にもいるし、ことちゃんにもいると思うよ。そういうの俺の一言で変えたりするのおかしいし。ことちゃんは今まで通りでいてね』
なんて言うのだ。
つまりは、私もちぃくんが誰かを呼ぶことに対する不満を言っちゃいけない……と牽制されたことになる。
そりゃあもちろん言うつもりもないけれど。やっぱりうまく転がされてるよな……と思う。
悔しいと思うけど、それが嫌じゃないからちぃくんはすごいと感じる。
「でも……聡先輩のことは、なるべく会長って呼ぶことにしよう」
分かってもらえるかは分かんないけど、一人誓いを立てることにした。
だって、やっぱりちぃくんが嫌だと思うことは極力したくない。
へへへっ。
ちぃくんの拗ねた表情を思い出して、私は一人ヘラヘラ笑いながら布団に潜った。
そうして、約束の5月5日はあっという間に来た。
結局、あれ以来会うことが出来なかった私たちは、本当に久しぶりに会うことになり、約束していたことが思っていた以上に嬉しい。
もっと会いたいな……とは思う。
毎日一緒にいるモッカと真理亜を見てたらなおさらだ。喧嘩しながらも楽しそうな二人を見るのが羨ましい。
私がちぃくんと喧嘩する日が来たり、するのかなぁ? なんて、いつかの未来を想像しようとする。
でもそれが想像できなくてついつい笑ってしまった。
一人笑いをしてたら……
「何笑ってるの?」
「わっ、ちぃくんっっ」
「お待たせ」
待ち合わせ場所にちぃくんが現れた。
「ごめんね待たせて」
「ううん、5分くらいだよ」
ゴールデンウィーク最終日に、ちぃくんと待ち合わせて出かけるなんて楽しみすぎて落ち着かなかった私は早くから準備をしていた。
そこに、弟がやってきて――
『姉ちゃん! なんかオシャレして、まさかデート!?』
なんて大きな声で言ったから……
『なぁにー!? ことちゃん! お父さんの目が黒いうちは彼氏など許しません!!!』
と、大騒ぎになって。
『琴莉。こっちはなんとかするからアンタ行ってきなさい』
騒がしい二人を引き留めてくれた母の力を借りて勢いで脱出してきた私は、早くに家を出るしかなかった。――というのが、事実なんだけど。
今度はその時の情景を思い出して苦笑いした。
「ことちゃん?」
「あー、ははっ。大丈夫です」
「そう? あ、やばい。行こう!」
「え?」
「映画!」
「……はいっ」
今日の予定はどうやら映画らしい。前に行きたいって言ってたもんね。
そんなやりとりを思い出しながら、私は自然と緩まる頬をそのままに繋がれた手に温かさを感じながら走り出した。




