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「でもさ」
「……?」
止まった会話をまた復活させるちぃくん。けれど「でもさ」がどこに掛かってるのか分からずに、疑問の表情を浮べて見つめる。
「やっぱ、俺だって名前で呼んでもらってないのに、ずるくない?」
どうやら、お願いを聞くことになった元凶について、まだご立腹の様子だ。どうやら私は、ちぃくんのけっこうな地雷を踏んでしまったらしい。
反面、嫉妬っぽい感情を見せるちぃくんにニヤけた。
「そ、ですか?」
「むーー、なんか、ね。こういうのって、心狭い? 俺、やな奴?」
私はニヤニヤしてるのに、ちぃくんが至極真面目にそう尋ねてくる。それでも顔がしまりきらずに本音が漏れた。
「へへっ、私は、嬉しい、です」
嬉しそうににやける私を見て、ちぃくんはさらに困った顔をして……というよりも、拗ねた表情を見せた。
「ことちゃん、分かってない」
ぷいっ横を向いて、それから私を見なくなる。そんな態度まで見せられると、流石にまずいと気づいた私は、ハラハラした。
だって、ちぃくんを怒らせることなんて、私はしたくない。
「ちぃ……くん?」
伺うように見上げると、つーんとわざとらしく顔を逸らされる。
繋がれた手が放されることはないけれど、そんな態度を初めて取られた私は落ち着かなくて、心臓が激しくドクドク音を立てた。
「ゃ、こっち、向いて?」
慌てて震えそうになりながらそう言うと、ちょうど信号が赤で歩みが止まった。
まったく目を合わせずに前方だけを見ていたちぃくんが、ようやく横目でだけどちろりと私を見る。そしたら、一瞬後にカッと目を見開いて、慌てて私の目線に合うように屈んでくれた。
伸びてくる手が、私の頬に添えられて男の人にしたら綺麗で長い親指が私の眦を拭ってくれる。
「もお。泣くなよ琴莉」
嘆息して、苦笑いするちぃくん。
でも私は何も言えずに鼻をスン、と啜る。
「だって……怒ってるから、私……」
零れずに止めていた涙を何とか引っ込めてそう言うと、フッと優しく笑う声が正面から届く。
「あんまり可愛いこと言うなよ」
頬に添えた手を頭に乗せると、ちぃくんはクシャリと撫でてくれた。
そして、そのまま真剣な表情を浮べて私に諭すように話し始める。
「俺がもし、コトちゃんの友達の麻生さんを『真理亜』って呼び捨てにしたらどう?」
「……え?」
「大学の友達でマキ、チハル、カナコがさ……とか言ったらどう思う?」
突然の質問に、パニックを起こした私は返事が出来ずに固まった。
ちぃくんの口からペラペラと女の子の名前が挙げられて、それについていけない。
でも、一つ言えることは――
「やだっ、誰? マキとか他の人。私やだよぉー」
信号待ちでここは人は少ないと言えども外なのに、私はまた涙ぐんでちぃくんを見つめて訴えた。そうしたら、さっき私がにやにやしてたみたいな顔を今度はちぃくんが浮べている。
「嫌?」
その言い方は嬉々としていて、浮足立っている。けれどそんなちぃくんの態度に構うことなく、私は必死で訴えていた。
「やですっ」
涙浮べてじゃ、全く力ないけど……その視線は、明らかに睨みつけている。
「そっか、嫌なんだ」
さっきまで機嫌が悪かったのに立場は逆転して、ちぃくんは嬉しそうに笑っている。でも、私の方はちっとも面白くない。
「だ、誰なんですか?」
そこばかりが気になる私は、また尋ねる。今まで、ちぃくんの口からそう言う話が出たことがないから、余計に戸惑う。
ちぃくんがほかの女の人と仲良くしてるとか、想像したくなかったけどなんか嫌だ。
絶対にこの話だけはして貰わないと困る。そう力を込めてジッと見つめるけれど……
「嘘だよ。そんな人いないから。行くよ」
さらっとちぃくんが答えた瞬間、信号が青に変わった。
「ほんとに? ほんとに、ほんとーに居ないですか?」
「居ないって。……俺、まだ友達って同じ高校のやつしかいないし。男ばっかだよ」
「嘘じゃない? 真理亜のこと、真理亜って呼ばない?」
「呼ばないよ。向こうも嫌だろ?」
私の手を引っ張り気味に歩くちぃくんの表情はやっぱり嬉しそうだ。
それでも丁寧に私の質問一つ一つに答えてくれて、その言い方には含みも何もないのを感じると、私も少しずつ落ち着きを取り戻した。
心なしか歩く速度が速くて、それには少し戸惑いながら必死に歩く。
ようやく着いた駅前。
ちぃくんが速く歩いたせいか少しお別れが早まっちゃた……と残念に思った瞬間、人影のない大きな柱に引き寄せられて――ちぃくんは私をぎゅっと抱きしめた。
「ち、ちーく、ん?」
こうやって正面から抱きしめられるのは、あの合格発表の日以来のことで、信じられないくらい心臓が早鐘を打ち始めてしまう。
一体、どうしたの……?




