表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ちぃこと  作者: 桜倉ちひろ
1
21/116

21

 私を見下ろすお兄さんは、とっても私のことを大事そうに見つめてくれていて、それだけでも十分に幸せだと感じる。

 ニッと笑って、お兄さんは続けた。

 「合格したら、来いよ。3Bの教室まで」

 「え、3B?」

 「俺、教室で待ってるから。合格してたら、来て」

 「それってつまり、落ちてたら会わないって事?」

 「そう。やる気、出ただろ?」

 「う……」

 ちょっと弱り顔を見せると、ブフッと笑われて私は頬を膨らませ、更に笑われた。 

 「俺も……合格通知持ってじゃないと、行かない。願掛け」

 「わかった……です」

 「何その変な喋り方は?」

 「うぅ」

 そのとき、ゆっくりと撫でてくれていた手が、背後に回されて――そして

 ギュウッッ

 「!!」 

 私は初めて男の子に、いや男の人に抱きしめられていた。

 想定もしていなかった初めての事態に、私はパニックになる。

 お兄さんの心臓の音。

 ふわりと香る、服の匂い。

 吐息。

 重み。

 体全部でそれを受け止めると、眩暈がした。

 ドキドキが止まらなくて、心臓止まりそう――

 腕をお兄さんに回し返す余裕もなくて、ドキドキドキドキしながら、私は腕をだらりと落としたままただ抱きしめられていた。

 その時――

 「絶対、絶対に。来て」

 耳元にそっと顔を近づけたお兄さんは、そう囁いた。

 私はぴくりと震えて戸惑ったけれど、ぎゅっと抱きしめたい――そう思う気持ちが抑えられなくなって、意を決してドキドキの止まらない胸を抱えたままギュッと腕に力を込めてお兄さんの背中に回した。

 「――うんっ、おに、ぃ、さんも、ね?」

 「ばーか、誰に言ってるんだよ」

 「うぅ……」

 私は、耐えていた涙をついにポロポロと零して、お兄さんの学ランを濡らした。それがぽつぽつと黒いしみになっていく。

 「はわっ、ご、めんな、さっ」

 慌てて離れようと胸元に手を付く。

 でもそれを阻止するように、お兄さんにさらに力を込めて引き寄せられた。

 「いいよ。大丈夫」

 「……ん」

 いいって言われて力が抜けた私は、そのままの状態でまたギュッと抱きしめられた。

 そして

 「ん。充電完了ー」

 お兄さんのその一声で、緩やかに私は離される。

 隙間ないお兄さんとの間に少し溝ができて、それがやけに寒く感じた。

 「じゃあ、帰ろうか」

 「……はい」

 お兄さんの声が寂しそうに聞こえた気がした。

 だから私は、同じ気持ちなんだって思えて、別れは嫌だけど心が温かくなった。

 ――でも、やっぱり離れたくは、ないけど

 図書館前の自転車置き場まで来て、いよいよお別れの時が来た。

 「じゃあ、元気で」

 「うん……お兄さん、も」

 「ははっ、お兄さん……か」

 「え?」

 「いや、何でもない」

 カラカラと音を立てる自転車を2台並走させて歩く。

 「俺、こっち」

 「私、こっちです」

 それぞれ反対方向を指した。

 「「あの!」」

 視線をそれぞれに戻した瞬間。

 二人の声が重なった。

 「先、どうぞ」

 「いや、そっちから」

 と譲り合いを始める。

 でも

 「やっぱりいいや」「やっぱりいいです」

 同時にそう言って、目を見合わせて笑った。

 「またな」

 「はい、またっ! 必ず」

 「うん、絶対に」

 そう言って、手を振って別れた。

 お互いに聞きたくて、やめたこと。

 それは、今度にすることにした。

 絶対に絶対に……私はまたお兄さんに逢ってみせる。

 そして、その時こそは――



 今更かもしれない、とは思いながらインフルエンザの予防接種を受けた。それに、自習室に通うのもおしまい。学校にはもちろん通ったけど。

 塾には、1人インフルエンザに感染した子が出て、自主休講したりもした。お母さんもそれを勧めてくれて、私の考えにも納得してくれた。

 お兄さんに言われて、今まで以上に自分の体を万全にしようと思った。

 勉強中は、適度に空気を入れ替えて、膝には膝かけをして。寒くなりすぎたり暑くなりすぎたりしないように。

 早くに寝て、早くに起きて。だらだら過ごさずにメリハリをつける。

 自分を大事にするのって当り前のことなのに、意識が低かったんだなって気がついた。

 だから……お兄さんはもしかして、自分のことじゃなくて、私のために自習室行かないなんて言ったんじゃないかって。

 そんな自惚れにも似た解釈をした。

 『毎日逢いたいくらい』

 そう言ってくれたお兄さんの言葉が、声が、脳内にリフレインする。

 その度に会いたくなって。

 その度に泣きそうになる。

 じゃあどうして、会えないの?

 どうして、会いに行ってはいけないんだろう? って。

 でも、これを乗り越えたら。

 受験が終わったら……そうしたら、いいんだよね?

 目の前にいないお兄さんに話し掛けるように、私は何度も同じ質問を繰り返す。そしてまた勉強を始めた。

 私がお兄さんに会える鍵は、ただ一つ。

 『受験に勝つこと』だから。

 自分で買ったいちごミルクの飴を口に放り込み、筆箱からコロリと転がってきたお兄さんの第4ボタンを人差指でつんつんと付きながら、私はフッと笑う。

 後、2月。

 そうしたら、会いに行くからね――お兄さん。

 絶対に、絶対。私、会いに行くから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ