第8話:絶対零度の格言と、深夜のリバース(化学兵器)
カパ吉が、これまでの複雑な事情を鉄二さんに向かって詳細に説明し始めた。
大東亜戦争のビルマ戦線で川田鉄二一等兵が餓死したあと、その魂が時空を超え、巡り巡ってこの令和の東京で生きる私の守護霊となっていたことを。
説明を聞き終えた鉄二さんは、グレーのスウェットの襟を正し、ワンルームの白い天井をじっと見つめて呟いた。
「……そうか。俺が招集されて、部隊が転戦やら移動を繰り返していた時……内地の家族のことは、いつも、一時も忘れずに考えていたからな。あの頃は、兵隊に行く前に男はみんな無理やり結婚させられたからなぁ……。しかし、まさか俺の血から、こんな美人が産まれるとは思わなかったよ」
鉄二さんはしみじみと愛おしそうに私を見て、優しい笑顔でデイリーワインをくっと煽った。
その横顔を見て、私の目の奥が少し熱くなる。ああ、この人は本当に私を心配して、時空を超えて守りに来てくれたご先祖様なんだ、と。
「よし! エネルギーも補充したし、そろそろ本題に入ろうか。守護霊様(鉄二さん)の霊力も戻ったことだしな」
カパ吉が缶チューハイの空き缶を置き、ビシッと人差し指を立てた。
「ユリア、具体的に一体どんな配偶者がいいのかな? リアルに、今度こそ詳細に教えてくれ。俺と鉄二さんの全神経を集中させて、今度こそ完璧な男を召喚するからな!」
そう言うと、カパ吉はぐっと目を閉じ、頭のお皿の水を怪しく明滅させ始めた。
しかし、肝心の共同作業者である川田鉄二一等兵は、ワインと缶チューハイですっかり出来上がっていた。飯盒をマイク代わりに握りしめ、泣きながら大声で軍歌を歌い始める。
「ば〜んだ〜の〜サ〜ク〜ラ〜か〜〜、え〜り〜の〜い〜ろ〜〜〜ッ♪」
「ちょっと鉄二さん! 今、集中したいんだよ! 歌うのやめて!」
カパ吉が目を閉じたまま怒鳴る。
すると、鉄二さんは急に歌うのをやめ、私の方をギョロリと見た。その顔は、ビルマの戦場で決死の作戦を命じられたかのような、信じられないほどの『真剣な表情』だった。
「……ユリアちゃん。男にとって、本当に大切なものは何か知っているかい?」
「え……?」
あまりの曾祖父ちゃんのガチな雰囲気に、部屋の空気が張り詰める。
「なんですか……? やっぱり、お金とか、ちゃんとした職業とかじゃないんですか? 教えてよ、ひいおじいちゃん」
私がゴクリと唾を飲み込み、その言葉を待つと――鉄二さんは、一寸の曇りもない真面目な顔で、言い放った。
「男に大切な物は、キンタマだ」
「…………」
チーン、と頭の中で鐘が鳴った。
都内ワンルームの空気が、一瞬で絶対零度に凍りついた。
目を閉じて精神統一していたカパ吉が、あまりの衝撃発言に「ぎゃふんっ!?」と変な声を上げて腰を抜かす。
人間、本当に呆れ果てると、言葉よりも先に手が出るらしい。
「人がっ! 真面目にっ! 悩んでいるのにぃぃぃぃぃ!!!!」
パァァァン!!!!!
私は人生で初めて、自分の身内に向かって、親の仇ばりの渾身のビンタを炸裂させた。
「ぶほっ!?」
ビンタの凄まじい風圧で、ガリガリの鉄二さんは床の上をゴロゴロと吹き飛ばされた。
……しかし、悲劇はそこで終わらなかった。
吹き飛ばされた拍子に、三半規管とお腹のアルコール(とモロキュウ)が限界を迎えた曾祖父ちゃんは、床に激突した瞬間――。
「ゲロロロロロロロロロロロロロロロロロッッッッ!!!!」
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア(絶望)!!!!」
深夜0時。私の手料理(完食済)と安ワインとレモンサワーが、さっき綺麗にしたはずの床に盛大にリバースされた。
私の、私のラグマットがぁぁぁぁぁ!!!(本日二度目)
ワンルームに轟くユリアの悲鳴は、都会の夜の闇に虚しく消えていったのだった。
(第8話・完)




