第3章:地獄のビルマから這い出たナイト(※ただし変態)
「え……? 守護霊様? 私を守ってくれているの……?」
カパ吉の口から飛び出した『守護霊』というロマンチックな響きに、私の胸は一瞬でピンク色の妄想に染まった。
少女漫画とかでよくあるやつよね!? 前世で悲恋の末に別れた美青年の霊が、時を超えて現代の私を影から守ってくれている……みたいな!
「嬉しい、素敵だわ……! ねぇカパ吉、その人は綺麗な女性? それともやっぱり、麗しのイケメン騎士様だったりするの!?」
「フッ、指を立てて言わせてもらうがね。まさか、男の守護霊だ。まさに、お前を命がけで守る『ナイト』だな」
「ナイト……! 聞いたカパ吉!? 私にもナイトがいたのね!」
私は両手を頬に当て、目をキラキラと輝かせた。婚活に惨敗し、河童にセクハラお説教を食らっていた私の人生に、ついに一筋の光明が差したのだ。
「私も見たい! ねぇ、そのナイト様、私にも見えるようにして!」
「いいのか? んじゃあ、特別に降臨させてやる。――守護霊様、出陣じゃー!」
カパ吉が再び頭の皿の水をペチャリと指で弾き、呪文を唱える。
部屋の空気が一瞬だけ厳かになり、私の目の前に、うっすらと白い煙のような霧が立ち込めた。さあ、おいでませ私の白馬の王子様!
しかし、霧の向こうから現れたその姿を見て、私の表情は完全にフリーズした。
そこに立っていたのは――。
日除けの垂れ布(帽垂布)がついた、薄汚れた略帽。
泥と血にまみれ、ボロボロに引き裂かれたカーキ色の軍服。
靴すら履いていない、裸足姿の、異様に小柄な男だった。
その男は、両手でなぜかベコベコに凹んだ飯盒をギチギチと必死に握りしめ、肩からは大昔の変な水筒(昭5式水筒)をぶら下げている。
頬はげっそりとコケ、目は不気味なほど窪み、体はガリガリに痩せ細っているのに、なぜかお腹だけがポッコリと前に飛び出ている……。
それは、教科書で見たことがある『絵に描いたような栄養失調の兵隊さん』だった。
「…………な、なんなのよ、こいつはァァァァァ!!!?!」
私のワンルームに、本日最大級の絶叫が轟いた。
「変質者!? ホームレス!? ちょっとカパ吉、これのどこが『麗しのナイト』で『守護霊』なのよ!!」
「ひぃっ!?」
あまりの私の剣幕と怒気に、カパ吉はカエルのように床に尻餅をついた。
「お、怒るなユリア! この守護霊は、お前の本物の『曾祖父さん』だぞ! 大東亜戦争の地獄のビルマ戦線において、激流のチンドウィン川を命がけで横断し、あのコヒマの戦いで壮絶に餓死した英霊だぞ! 見ろ! お前を見つめる、この慈愛に満ちた目を!」
「曾祖父ちゃん……!?」
言われて、私は恐る恐る、そのガリガリの小男の顔をじっと見つめてみた。
確かに、どこか私の父親の面影があるような、ないような……。激戦を生き抜き、お国のために戦って亡くなったご先祖様だと思えば、急に申し訳なさと、可哀想な気持ちが湧いてくる。お腹が空いて餓死したなんて、なんて悲しい歴史……。
私がちょっとしんみりしかけた、その時だった。
小男の窪んだ目が、ギョロリと私を捉えた。
そして、そのボロボロのクチビルが、急にニチャァ……と締まりのない笑みを浮かべたのだ。
「お嬢さん……お腹が空きました……。おっぱい吸いたい……」
「なっ……」
お、おっぱ……!? 今、この餓死寸前の曾祖父ちゃん、なんて言った!?
「おっぱい……吸いたいなぁ、ペロペロ……」
「この、親子四代にわたるド変態家系がぁぁぁぁぁ!!!!」
パァァァン!!!!!
私の右手は、気がついたら曾祖父ちゃんを突き抜けて、その後ろにいたカパ吉の頬へ二度目のクリーンヒットを放っていた。
「ぎゃおんっ!? なぜ俺を叩く!? 言ったのはそのジジイだぞ!」
「うるさい! なんでうちの部屋には変態(河童)と変態(ご先祖)しかいないのよ!! 類は友を呼ぶの!?」
「これ、静かにしろユリア! そんな大声を出したら、近所迷惑で警察に通報されるぞ!」
カパ吉に口を塞がれ、私はゼェゼェと荒い息を吐きながら、水浸しの床にペタンと座り込んだ。
目の前では、幻影の曾祖父ちゃんが「おっぱい……」と呟きながら、空の飯盒をスプーンでカツカツと叩いている。
窓の外には、冷たい都心の夜景が広がっていた。
「はぁぁぁぁ……。私の白馬の王子様は……一体どこにいるのよぉ……」
二十九歳独身OLの明日は、どっちだ。
(第3章・完)




