第2章:河童のデリカシーは水に流れた、ただし背後に英霊(?)を添えて
「ちょっと! 早くこの人どうにかしてよーー!!」
私のワンルームに響き渡る、本日何度目か分からない悲鳴。
床ではパジャマ姿の塩顔イケメンが、泡だらけの歯ブラシを握ったまま「誘拐だ! 110番はどこだ!?」と錯乱している。
「チッ……。気が短い人間だな。せっかく条件通りの雄を連れてきてやったというのに」
カパ吉は深いため息を漏らすと、濡れた水かきをパチンと鳴らした。
次の瞬間、光の粒子と共にイケメンは消滅する。おそらく、元のタワマンの洗面所に(口の周りを泡だらけにしたまま)送り返されたのだろう。これで一応の危機は去った。去ったけれど、私のラグマットは水浸しだし、精神的疲労はピークだ。
私はズブ濡れの床を雑巾で拭きながら、目の前の緑色の怪異に向き直り、大きく息を吸い込んだ。
「いい、カパ吉? 改めて自己紹介するわ。私は川田ユリア。二十九歳。真剣に、そして切実に結婚相手を探しているの。だから、さっきみたいな誘拐紛いのワープじゃなくて! 私が求めているのはね、年収が良くて、優しくて、私のすべてを包み込んでくれるような、内面も外見も完璧な紳士なの! 分かった!?」
身振り手振りを交え、私の『理想の男性像』を事細かに、熱弁すること十数分。
カパ吉は私の話をふんふんと聞いている……ように見えた。だが、私が話を終えた瞬間、河童はクチバシをモグモグさせながら信じられない言葉を口にした。
「ユリアよ。もう、きゅうりはないのか?」
「……アンタ、私の話、真剣に聞いてる!?」
「勿論聞いている。だがな、ユリア。俺が魔法を使えるのには限度があるのだ。無闇に大魔術を連発すれば、俺はまたあの木箱の中のように、干からびてミイラに戻ってしまうのだぞ?」
カパ吉は、頭の皿を指差した。確かに、さっきのイケメン召喚のせいで、心なしか皿の水が半分くらいに減っている。
「ミイラに戻る」と言われて、私は思わず唖然として言葉を失ってしまった。自業自得とはいえ、目の前で干からびられるのは寝覚めが悪い。
しかし、カパ吉の「お説教」はそれだけで終わらなかった。
河童は短い腕を組み、偉そうに私を値踏みするように見て、フンと鼻を鳴らした。
「だいたい、お前の理想は高すぎるのだ。いくら金持ちで見た目が良くても、大切なのは中身だと思うがね。それに……ユリアは洋服や化粧品に金を使いすぎるような気がするがね。もっと慎ましさを覚えねば、男は逃げるぞ」
「な、なんですって……?」
「それに、なんだ。こんな下着はいかがなものかな」
カパ吉が、短い水かきのある指でビシッと指差したのは、部屋の隅の突っ張り棒に干してある、私のローテーション用の一軍半の下着(ベージュ色)だった。
「少し使い古されているし、地味だし、それにお前はおっぱいもあまり大きくないな。これでは、現代の男は興奮せんのではないかな?」
「……っっっ!!!」
頭の中で、何かがブチ切れる音がした。
二十九歳独身OLのデリケートな家計事情、及び身体的特徴を、初対面の妖怪に全否定されたのだ。
「この、デリカシーゼロ河童ァァァ!!!」
私は無意識に右手を振り抜き、カパ吉の緑色の頬へ、 乾いた音を響かせてビンタを炸裂させた。
パァァァン!!!
「ぎゃおんっ!? 何をする、痛いではないか! 河童の頬は意外と皮膚が薄いのだぞ!」
「うるさい! 乙女のプライドを傷つけた罰よ! 出ていけぇ!」
頬を押さえて涙目になるカパ吉。しかし、彼はすぐに真剣な顔(カエルのような顔だけど)に戻ると、声を落として言った。
「……まぁ待て、ユリア。怒るな。お前には一つ、良いことがある」
「なによ、おっぱいの話ならこれ以上聞かないわよ!」
「違う。ユリア、お前には『守護霊』がついていることだ」
「え……? 守護霊?」
唐突なオカルト単語に、私の動きが止まる。
「そうだ。お前には見えないだろうがな……。お前のその、凄まじい執念に引き寄せられたのか、それとも元々お前の血筋の者か……。お前の背後に、ガチガチの軍人気質の凄まじい英霊が腕を組んで鎮座しているのが、俺にはハッキリと見えるぞ」
カパ吉が指差した私の背後の空間――そこには、誰もいないはずなのに、なぜか一瞬だけ、冬の北海道の川べりのような、凍りつくような冷気が張り詰めた気がした。
(第2章・完)




