第1章:29歳OL、バックミラーを見たら怪異(ポンコツ)が鎮座していた件
1.高級占い師より、地方の古刹(ただし遠い)
二十九歳、独身、職業は都内のそこそこ安定したIT企業の事務職。
私の名前は川田ユリア。
世間一般で言えば『そろそろ結婚を真剣に焦るべき年齢』のド真ん中に、両足どころか体ごとズブズブに浸かっている女である。
「はぁ……。なんで私の周りには、年収八百万以上で、身長一七五センチ以上で、顔が塩顔イケメンで、かつ私の趣味を一切否定しない聖人君子みたいな独身男性が転がっていないのかしら」
湯上がりの都内ワンルームマンション。缶チューハイを片手に、ユリアはスマートフォンの画面を睨みつけていた。画面に表示されているのは、都内で『当たる』と評判の有名占い師の予約ページだ。
「……高ッッッ!!!」
思わず素っ声が出た。一回三十分のカウンセリングで、なんと一万五千円。しかも土日祝日は追加料金が発生するという強気な価格設定である。いくら独身で自分のためにお金を使えるとはいえ、一万五千円あればちょっといいエステに行けるし、ブランド物の化粧品だって買える。何より、そんな大金を払って「あなたの運命の人はまだ先ですね」なんて言われた日には、ショックで寝込んでしまう。
「占い師に貢ぐお金があるなら、その資金を自分の美容代に回すべきよ。でも、神頼みはしたい。圧倒的に、スピリチュアルなパワーに縋りたい……!」
そこでユリアが目をつけたのが、地方のパワースポット遠征だった。
ちょうど有給休暇が三日ほど余っている。都内の怪しい占い館に大金を落とすくらいなら、地方の歴史あるお寺にお参りしつつ、美味しいご当地グルメでも食べてドライブを楽しんだほうが、精神衛生上よっぽど有意義というものだ。
ネットの海を回遊すること一時間。ユリアはある地方の、山奥にある古いお寺のブログに辿り着いた。
なんでも、そのお寺には古くから『奇跡を叶える秘宝』が奉納されており、知る人ぞ知る隠れた縁結びの聖地なのだという。
「よし、決めた。今週末は遠出よ!」
翌朝、ユリアは愛車のコンパクトカーのハンドルを握り、都内の喧騒を離れて一路、北へと向かったのだった。
2.ミイラと、切実すぎる二十九歳の祈り
数時間のドライブを経て辿り着いたそのお寺は、想像以上に『ガチ』な雰囲気を醸し出していた。
鬱蒼とした杉林に囲まれ、苔むした石段がどこまでも続いている。観光地化されていない、静謐で、どこか不気味なほどの霊気が漂う空間だった。
ハァハァと息を切らしながら石段を登りきり、本堂へと向かう。
ユリアは賽銭箱に、奮発して五百円玉をパチンと投げ入れた。ガランガランと鈴を鳴らし、深く頭を下げて、両手を合わせる。
(神様仏様、本当にお願いします!贅沢は言いません!年収はそこそこでいいです、でも私のことをお姫様みたいに扱ってくれて、浮気しなくて、顔が良くて優しくて都内在住の理想の男性と、今年中に巡り合わせてください!もうマッチングアプリの不毛なメッセージのやり取りには疲れました!どうか、どうか……!)
あまりの必死さに、合わせていた両手がガタガタと震える。
ひとしきり祈念を終えて目を開けると、本堂の隅に、古びた木箱が置かれているのが目に入った。木箱の横には、手書きの掠れた看板が立てかけられている。
『当寺の至宝・河童のミイラ奉納中』
「へぇ、河童のミイラ……」
ユリアは興味を惹かれて、木箱の中を覗き込んだ。
ガラスケース越しに鎮座していたのは、茶褐色に干からびた、小さな奇妙な物体だった。体長は五十センチほど。頭のてっぺんには窪みがあり、手の指にははっきりと水かきのようなものが確認できる。顔は猿のようでもあり、鳥のクチバシのようでもあった。
「うわ……結構リアル。ちょっと怖いかも」
普通なら気味悪がってすぐに立ち去るところだが、今のユリアは崖っぷちの婚活女子である。藁にも縋る思いの彼女は、その干からびたミイラに向かっても、もう一度手を合わせた。
「河童さん、もし本当に霊力があるなら、私の願いを叶えてよ。都会の男に揉まれて干からびそうな私を、助けてちょうだい」
フッと山の冷たい風が本堂を吹き抜け、木箱の奥でカタ、と小さな音がした気がした。
ユリアは身震いし、「さ、お腹も空いたし、お蕎麦でも食べて帰ろ!」と、逃げるようにその場を後にした。
3.バックミラーの怪異
帰り道、高速道路を走る頃には、すっかり夜の帳が下りていた。
地方の高速道路は街灯が少なく、車のヘッドライトだけが頼りだ。ユリアはカーステレオから流れるお気に入りのJ-POPを口ずさみながら、順調に愛車を走らせていた。
東京の電飾が見え始め、首都高速道路に入ったあたりのことである。
ふと、車内の空気が妙に『生ぬるい』ことに気がついた。エアコンの温度設定は適温にしているはずなのに、なぜかじっとりとした湿気を感じる。まるで、車内だけが梅雨の時期の沼地になったかのようだ。
「……? エアコン、壊れたのかな」
ユリアは怪訝に思いながら、後方の安全を確認するために、何気なくバックミラーに目をやった。
カーステレオの音楽が、ユリアの耳からすっと消えた。
バックミラーの狭い枠の中に、映っていた。
暗い後部座席。そこに、あるはずのない『緑色の丸い影』が浮かび上がっている。
見間違いだと思い、ユリアは何度も瞬きをした。だが、バックミラーの中の影は消えない。それどころか、じわじわと前方に身を乗り出してくる。
(な、なになになに!? 幽霊!? 変質者!?)
心臓がバクバクと破裂しそうなほどの音を立てる。
冷や汗が全身から噴き出し、ハンドルを握る手が硬直した。恐怖でブレーキを踏むこともできず、車は時速八十キロで首都高を走り続ける。
その影が、街灯の光に照らされた瞬間。
ユリアはバックミラー越しに、その『同乗者』の正体をハッキリと視認した。
頭のてっぺんにお椀のような皿。
ぬらぬらと濡れた、カエルのような緑色の肌。
尖ったクチバシ。
それは、先ほどお寺の木箱で見たはずの『河童』だった。しかも、干からびたミイラではなく、みずみずしいほどに生きて、動いている。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!?!?」
ユリアは車内で人生最大の悲鳴を上げた。鼓膜が破れるかと思うほどの絶叫である。
「うおっ!? ビックリしたゾウ! いきなり大声を出すな、人間!」
喋った。
河童が、人間の言葉を、それも妙に野太いおっさんのような声で喋った。
恐怖が限界突破したユリアは、パニックのあまり危うく中央分離帯に激突しかけ、必死にハンドルを立て直した。
「な、なななな、何なのあなた!? 幽霊!? 妖怪!? 降りて! 今すぐ私の車から降りてぇぇぇ!」
「落ち着け人間。俺はそこらの下等な霊とは違う。お前が昼間、熱心に祈りを捧げていたあの寺の守護神……の眷属、河童の『カパ吉』であります!」
カパ吉と名乗った河童は、なぜか後部座席で偉そうに腕組みをした。そして、ペタペタと水かきのある手で自分の頭の皿を叩く。
「お前の『理想の男と結婚したい』という、あまりにもドス黒く、執念深い祈りのエネルギーが、俺のミイラ化していた肉体を呼び覚ましたのだ。お前のパッション、見事であった!」
「ドス黒いって言わないでよ! あと勝手についてこないで!」
「まぁ待て。河童は恩を忘れない種族だ。お前の強烈な祈りのおかげで現世に復活できたのだから、その願い、俺の『魔法』で叶えてやろうではないか!」
ドヤ顔で胸を張るカパ吉。
しかし、ユリアの脳内は「早く警察に行かなきゃ」という現代人としての常識で支配されていた。
4.都内ワンルーム、密です
数十分後。ユリアは命からがら、都内の自宅マンションに帰り着いた。
本当は交番に駆け込みたかったのだが、「後部座席に河童がいます」と言って警察官に信じてもらえるはずがない。精神科に連れて行かれるのがオチだ。結局、カパ吉に後ろからクチバシでツンツンと急かされ、自宅の部屋まで連れてきてしまった。
「ほう。ここがお前の巣か。狭いな。川のせせらぎが聞こえんぞ」
「うるさいわね! 都内のワンルームなんてこんなもんなのよ!」
ユリアは頭を抱えてベッドに座り込んだ。
目の前では、体長五十センチの緑色の妖怪が、畳んだばかりの洗濯物の衣服の上に我が物顔で座り、冷蔵庫から勝手に盗み出したきゅうりを「ポリポリ」と小気味いい音を立てて齧っている。カーステレオのJ-POPの代わりに、部屋にはきゅうりを咀嚼する音だけが虚しく響いていた。
「はぁ……。私の人生、どうしてこうなったのかしら。理想のイケメンと出会うはずが、どうして河童と同居してるのよ……」
「そう落ち込むな、人間。俺の魔法を侮るなよ。お前の望む『理想の男』など、俺の妖力を使えば一発でここに連れてこられるのだ!」
「は? 連れてくるって……どうやって?」
ユリアが怪訝な顔で見つめると、カパ吉はきゅうりのヘタを放り投げ、すくと立ち上がった。
頭の皿の水が、怪しく青い光を放ち始める。
「フンッ! 我が水神の系譜に連なる魔力よ! この人間の女が望む、最高スペックの雄を、この場に召喚せよ! ――カッパ・パルプンテ!!!」
カパ吉が奇妙な呪文を唱え、水かきのある手を突き出した瞬間。
部屋の中に、凄まじい激流の渦のような青い光が巻き起こった。バシャバシャと本物の水が飛び散り、ユリアのお気に入りのラグマットが容赦なく水浸しになっていく。
「キャーッ! ちょっと、部屋の中で水使わないでよ!!」
ユリアが悲鳴を上げたその時。
光の渦の中心から、ドサリ、と何かが床に落ちる音がした。
光が収まり、ユリアが恐る恐る目を開けると――。
そこには、一人の若い男性が倒れていた。
濡れた黒髪、スッと通った鼻筋、まさにユリアが理想としていた『塩顔イケメン』そのものの顔立ち。体型もスラリとしており、身長は優に一八〇センチはありそうだ。
「え……? 嘘、本当にイケメン……!?」
ユリアの胸が、一瞬だけトゥンク…と高鳴った。河童の魔法は本物だったのだ、と。
しかし、次の瞬間。ユリアの目は、そのイケメンの『状態』に釘付けになった。
イケメンは、キャラクターものの派手なパジャマを着ていた。
そして、その右手には、アワアワになった歯ブラシが握られている。
口元からは、これまた白い歯磨き粉の泡がブクブクと溢れ出ていた。
「え……? ゲホッ、ゴホッ! え、何これ!? ここどこ!?」
イケメンはパニックになりながら、口から泡を撒き散らして四つん這いになった。タリー、と口元から垂れる泡が、水浸しのラグマットをさらに汚していく。どう見ても、都内の高級マンションで就寝前の歯磨きをしていたところを、空間ごと強制的にワープさせられてきた被害者だった。
「どうだ人間! お前の望む『都内在住・高身長・塩顔イケメン』だぞ!」
カパ吉はドヤ顔で、自分の頭の皿をパシパシと叩いてみせた。
「いや、状態がおかしいわよ!!!!」
ユリアの絶叫が、夜の都内ワンルームに木霊した。
こうして、29歳OLの川田ユリアと、ポンコツ魔法を操る河童カパ吉、そして最初の犠牲者である歯磨き中ワープイケメンとの、あまりにも前途多難な婚活同居生活が始まったのである。
(第1章・完)




