第5話 乾かしすぎない乾燥魔法
雨が降った翌朝。
森の木々には、まだ無数の雫が残っていた。
昨夜は突然の雨に降られ、野営の準備も慌ただしいものになった。外套も装備もすっかり濡れてしまい、焚き火のそばには、乾かすために広げられた道具が並んでいる。
「うーん……これくらいかな?」
ユノは外套の端を指先でつまみ、状態を確かめた。
それから、手のひらをかざす。
「乾燥」
淡い光が、濡れた布地を包み込んだ。
しばらくして魔法が消えると、ユノはもう一度、布地に触れた。
「よしっ。こっちはこれで大丈夫!」
満足そうに頷くと、今度は地面に置いてあった革製の装備へと手を伸ばす。
外套とは違い、こちらにはすぐに魔法をかけない。
ユノは革の表面を確かめ、縫い目や留め具の周辺を指でなぞってから、慎重に魔力を流した。
「……お? ユノ、そっちはまだ乾かねえのか?」
少し離れた場所でダガーの手入れをしていたジュリオが、手を止めて声をかけた。
「えっ?」
「いや、こっちの外套はもう乾いてるだろ? なのに、そっちの革はまだ濡れてるように見えるんだが」
ジュリオは乾いた外套と、ユノが手入れしている革製の装備を交互に見た。
「うん。こっちは、まだ少し水分を残しておくんです」
「……水分を残す?」
ジュリオが不思議そうに首を傾げた。
「革って、乾かしすぎると硬くなったり、傷んだりすることがあるんです。だから、布と同じようには乾かさないんですよ」
ユノはそう答えながら、革の表面を指先で軽く押した。
「表面の水気は取っておきたいですけど、必要以上に乾燥させるのはよくないんです。あと、厚い部分と薄い部分でも、乾き方が違うので……」
「へえぇ……」
ジュリオは感心したように声を漏らした。
「乾燥魔法って、ただ水気を飛ばすだけじゃねえんだな」
「はい! 素材によって、ちょうどいい乾き具合が違うんです」
ユノはにこっと笑った。
「だから、ひとつずつ状態を確かめながら使うんですよ」
「……ちょっと待って」
そのとき、横から声がした。
魔法書を読んでいたミレイが、いつの間にか顔を上げていた。
「今、素材ごとに乾燥の程度を変えていると言ったわね?」
「は、はい。そうですけど……?」
「具体的には、どうやって?」
「えっと……どうやって、というと?」
ユノが首を傾げる。
ミレイは魔法書を閉じ、ユノのそばまで歩いてきた。
「乾燥魔法は、対象から水分を除去するための生活魔法でしょう? 通常は対象全体に作用させるか、一定の範囲を指定して使うものだと思っていたのだけれど」
「そうですね……?」
「それなのに、あなたは布地と革で効果を変えている。しかも、革の中でも乾燥の程度を調整しているように見えたわ」
ミレイの視線が、ユノの手元に注がれる。
「魔力をどこに、どの程度配分しているの? 対象の範囲を細かく指定しているのかしら。それとも、水分の抜け方を感知しながら、魔法の出力を逐次調整している?」
「えっ、ええっと……」
ユノの目が泳いだ。
「それは、その……」
「あと、革の厚さによって乾燥速度を変えていると言ったわね。厚さをどうやって判断しているの? 目視? それとも、魔力を通したときの抵抗の違い?」
「えっ!? そ、そこまで考えたことは……」
「考えたことがない?」
ミレイの眉がぴくりと動いた。
「でも、実際にできているのでしょう? 感覚的に操作しているのなら、その感覚をもう少し詳しく説明してもらえるかしら」
「え、ええぇ……!?」
ユノは助けを求めるように、ジュリオのほうを見た。
しかし。
「おーおー、始まったなぁ」
ジュリオは面白そうに笑いながら、再びダガーを磨き始めていた。
「ミレイの研究者スイッチが入っちまったら、長いぜぇ?」
「ジュリオさん! 助けてくださいぃ……!」
「いやいや、俺は魔法の理屈には詳しくねえからな。ここは専門家同士、じっくり話し合ってくれ」
「私、専門家じゃないですぅ……!」
「……ユノ。今の発言についてだけれど」
ミレイが、すかさず言葉を挟む。
「あなたは自分の魔法を、どの程度理解しているの?」
「えっ、ええっと……普通に使ってるだけです……」
「普通に?」
「はい……」
ミレイは数秒、黙り込んだ。
そして、真剣な顔で呟いた。
「……これは、思っていた以上に興味深いわね」
ユノの肩が、びくっと跳ねた。
その後も質問は続いた。
布地と革で魔法の使い方を変える基準。乾燥させる途中で状態を確かめる方法。厚みや形状の異なる装備を、どのように扱っているのか。
ミレイはひとつ質問するたびに、ユノの答えを頭の中で整理し、さらに新しい疑問を見つけていく。
ユノは懸命に答えようとするものの、普段は感覚的に行っていることばかりだ。自分が何を基準に魔法を使い分けているのか、言葉にするのはなかなか難しかった。
「えっと……なんとなく、こっちはもう十分かなって……」
「なんとなく、では説明にならないわ。何をもって十分だと判断しているの?」
「ええぇ……」
ユノの声が、だんだん小さくなっていく。
その様子を見ていたエルマが、そっと声をかけた。
「ミレイ…そのくらいにしてあげてはいかがでしょう? ユノも、困っているようですし」
「……あら。そうだった?」
ミレイはようやく顔を上げた。
ユノは革製の装備を胸元に抱え、こくこくと何度も頷いている。
「す、すみません……私、うまく説明できなくて……」
「謝る必要はないわ。あなたが普段どのように魔法を使っているのか、純粋に興味があっただけだから」
ミレイは少し考えてから、言葉を付け足した。
「ただ、あなたの魔法操作は、私が想定していたものよりずっと細かい可能性がある。だから、つい質問が増えてしまったのよ」
「そ、そうなんですね……」
「ええ。今度、時間があるときに、もう少し詳しく話を聞かせてもらえるかしら?」
「……は、はい。できる範囲でなら……」
ユノが控えめに答えると、ミレイは満足そうに頷いた。
「ありがとう。助かるわ」
その顔を見て、ジュリオがにやりと笑う。
「よかったな、ユノ。ミレイのお眼鏡にかなったみてえだぞ?」
「ジュリオさん……他人事だと思って……」
「ははっ! まあ、頑張れ頑張れ!」
「もう……!」
ユノが頬を膨らませる。
その様子に、エルマは小さく笑った。
「ふふっ。けれど、ユノのおかげで、みんなの装備もすっかり整いそうですね」
「はい。あとは、この革の部分をもう少しだけ乾かして……」
ユノは気を取り直し、装備に手を添えた。
再び淡い光が広がる。
今度は先ほどよりも、ずっと控えめな魔力だった。
ユノは革の状態を確かめ、少しずつ乾燥の具合を整えていく。
やがて魔法が消えると、彼女は満足そうに頷いた。
「よしっ! これで大丈夫です!」
ジュリオが装備を手に取って確かめる。
「おお、いい感じじゃねえか。これなら今日も問題なく使えそうだな」
「はいっ!」
ユノは嬉しそうに笑った。
その隣では、ミレイが何やら考え込んでいる。
「……やっぱり、一度きちんと観察させてもらう必要があるわね」
「えっ?」
「いえ、こちらの話よ」
ミレイは何事もなかったかのように魔法書を開いた。
ユノはその横顔を見て、そっと小さく息を吐く。
雨に濡れた装備は、無事に乾いた。
ただし、ユノにはひとつだけ、予想外の問題が残っていた。
――次にミレイと一緒に野営するときは、いったい何を聞かれるのだろう。
そんなことを考えながら、ユノは乾いた外套を丁寧に畳んだ。




