第22話 未知の生活魔法
昼下がりの森に、木々の葉を揺らす穏やかな風が吹いていた。
街道から少し外れた休憩場所で、五人の冒険者たちは荷物を下ろし、午後の休息を取っていた。
ゲオルグは背負っていた大盾を傍らに置き、革袋から水筒を取り出している。エルマは次の野営に備えて荷物を確認し、ミレイは木陰で魔法書を開いていた。
そしてジュリオはというと、地面に腰を下ろし、背中を木の幹に預けていた。
「いやぁ、平和だねぇ。魔物にも追いかけられず、罠にも引っかからず。冒険者ってのは、毎日こうであってほしいもんだ」
「お主はもう少し、周囲の警戒というものを覚えたらどうなのだ…」
ゲオルグが呆れたように言う。
「してるさ。こうして耳を澄ませて、危険がないか確認してるのさ」
「ワシには寝ているようにしか見えないのだがな」
「いやだなぁ、ゲオルグ。俺は器用なんだよ」
「……そうか」
ゲオルグはそれ以上追及する気もないらしく、水筒に口をつけた。
そんなやり取りを聞きながら、ユノは荷物のそばで小さな布袋を広げていた。
中には、予備の衣類や毛布、野営用の布などが入っている。
ユノはそれらを一つずつ取り出しては、何やら考え込んでいた。
「うーん……やっぱり、もう少し小さくできたらいいんだけど……」
「ん? どうしました、ユノ」
近くにいたエルマが声をかけた。
「えっと、荷物のことなんです。野営の道具って、どうしてもかさばりますよね。皆さん、たくさんの荷物を持っていらっしゃいますし……」
「まあ、野営をする以上は仕方ないですね。必要なものまで減らすわけにはいかないですもの」
「そうなんですよね」
ユノは手元の毛布を見つめた。
「だから、もう少し小さくできたら、皆さんの負担も減るんじゃないかと思って」
その言葉に、ジュリオが片目を開けた。
「おっ。いいねぇ。荷物が勝手に小さくなってくれるなら、俺としても大歓迎だ。重い荷物を背負うのは、盗賊の仕事じゃないからな」
「ジュリオ。斥候の仕事には荷物の運搬も含まれるぞ」
「細かいことを言うなよ、ゲオルグ」
いつもの調子で軽口を叩くジュリオに、ユノは小さく笑った。
それから、少しだけ表情を引き締める。
「あの、皆さん。ちょっと見てもらいたいものがあるんですけど……いいですか?」
「何だ? 新しい道具でも買ったのか?」
ジュリオが身を起こす。
「いえ、道具じゃなくて……魔法なんです」
その言葉に、ミレイが魔法書から顔を上げた。
「魔法?」
「はい。まだ試している途中なんですけど、ようやく使えるようになったので」
ユノは手元の毛布を持ち上げた。
「これを、小さくしてみようと思います」
四人の視線が、ユノの手元に集まった。
◇
「では、いきますね」
ユノは毛布を地面に広げ、両手をそっとかざした。
魔力が静かに流れ始める。
生活魔法を使うときと同じ、ごく自然な魔力の動きだった。
炎が上がるわけでも、風が吹き荒れるわけでもない。
淡い光が毛布を包み込んだかと思うと――。
次の瞬間。
大人一人をすっぽり包めるほどの毛布が、みるみるうちに縮んでいった。
折り畳まれたわけではない。
丸められたわけでもない。
布地が押し潰された様子もなかった。
ただ、毛布そのものが小さくなっていく。
そして数秒後。
地面には、手のひらに乗るほどの小さな布の塊が残されていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙。
森の向こうから、鳥のさえずりが聞こえてくる。
ジュリオは口を半開きにしたまま、地面に置かれた小さな布を見つめていた。
ゲオルグは水筒を持った手を止めている。
エルマは目を見開き、ユノと布を交互に見比べていた。
そしてミレイは――。
開いた魔法書を膝に置いたまま、完全に固まっていた。
「……えっと」
ユノが困ったように首を傾げる。
「成功、したんですけど……」
「ちょ、ちょっと待て」
ようやく声を出したのはジュリオだった。
「待て待て待て。今、何をした?」
「小さくする魔法です」
「いや、そうじゃなくて! 何だ、その魔法は!」
ジュリオは立ち上がり、小さくなった毛布を拾い上げた。
指先でつまみ、ひっくり返し、裏側まで確認する。
「……これ、本当にさっきの毛布か?」
「はい」
「どこに隠した?」
「隠してませんよ?」
「じゃあ、どこへやったんだよ、残りの毛布!」
「残りというか……全部ここにあります」
「全部!?」
ジュリオの声が森に響いた。
ユノは驚いて肩をすくめた。
「は、はい。小さくしただけですから……」
「小さくしただけ、だと!?」
ジュリオは手の中の毛布を見つめ、それからユノの顔を見た。
「なあ、ゲオルグ。俺、今、夢でも見てるのか?」
「残念じゃが、ワシにも見えている」
「だよなぁ……」
ゲオルグはゆっくりと立ち上がった。
小さくなった毛布を受け取ると、両手で慎重に確かめる。
「……妙だな」
「何がですか?」
ユノが尋ねる。
「厚みも、布地の感触も変わっていないように思える」
「はい。品質はそのままですから」
「品質が、そのまま……?」
ゲオルグの眉がわずかに動いた。
ユノは頷いた。
「元に戻せば、ちゃんと元の毛布に戻ります。重さも変わらないんですよ」
「…………」
ゲオルグは、今度こそ言葉を失った。
その隣で、エルマが小さく息を呑む。
「ユノさん。つまり……大きさだけを変えて、布そのものの性質は維持している、ということですか?」
「はい。そういうつもりで作りました」
「そういうつもりで……」
エルマは困ったように微笑んだ。
喜ぶべきなのか、驚くべきなのか、それとも心配するべきなのか。
判断がつかなかった。
◇
「ユノ」
静かな声が響いた。
ミレイだった。
彼女は立ち上がると、ユノの前まで歩いてきた。
「今の魔法。もう一度、説明してくれる?」
「え? あ、はい」
ユノは少し緊張した面持ちで頷いた。
「えっと……物を小さくできたら、荷物が減って便利だと思ったんです。それで、生活魔法をいろいろ試してみて……」
「待って」
ミレイの声が遮った。
「今、生活魔法をいろいろ試したと言った?」
「はい」
「何を参考にしたの?」
「特には……。既存の魔法で、ちょうどいいものがなかったので」
「…………」
ミレイは目を閉じた。
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
そして、改めてユノを見つめた。
「つまり、あなたは既存の魔法を参考にしたわけでも、誰かに教わったわけでもなく、自分で新しい魔法を作った。そういうこと?」
「……はい」
「それが、今の小さくする魔法?」
「はい。まだ、いろいろ試しているところなんですけど」
「……そう」
ミレイは再び目を閉じた。
今度は、先ほどよりも長かった。
ジュリオがゲオルグのそばに寄り、小声で囁く。
「なあ……ミレイ、怒ってるのか?」
「むぅ……分からん」
「だよなぁ……」
「聞こえているわよ」
「おっと」
ジュリオは素早く口を閉じた。
ミレイは額に手を当てたまま、低い声で続けた。
「ユノ。あなたは、自分が何をしたのか、本当に理解しているの?」
「えっ?」
ユノは目を瞬かせた。
「えっと……毛布を小さくできるようになった、ということですよね?」
「…………」
ミレイの手が、額からゆっくりと下りた。
「そうね。確かに、あなたの言うとおりよ」
声は冷静だった。
冷静すぎるほどに。
「毛布を小さくした。それだけなら、荷物を運ぶうえで便利な魔法ね」
「はい! そうなんです。これなら、皆さんの荷物も少し減らせると思って」
「……ユノ」
「はい?」
「私は、あなたのそういうところが心配なの」
「……え?」
ユノはますます分からなくなった。
ミレイは小さな毛布を受け取り、じっと見つめる。
「いい? あなたが今やったことは、既存の生活魔法を上手に使った、という話ではないの」
「そうなんですか?」
「そうなのよ」
ミレイは、ひとつひとつ言葉を選ぶように説明した。
「普通、魔法にはそれぞれ決まった働きがある。火をつける、物を温める、水を出す、汚れを落とす。そうした基本的な働きを理解し、訓練して使いこなす。それが一般的な魔法の習得方法よ」
ユノは黙って聞いていた。
「けれど、今の魔法は違う。物の材質や品質を維持したまま、その容積だけを変えている。少なくとも、私が知る既存の生活魔法には、そんな働きをするものはないわ」
「…………」
「そしてあなたは、それを自分で考え、成立させた」
ミレイの紫灰色の瞳が、ユノをまっすぐに捉える。
「これは、私にとっても未知の魔法なのよ」
ユノは目を丸くした。
「未知……ですか?」
「ええ。少なくとも、私の知識にはないわ」
「でも、生活魔法ですよ?」
「生活魔法なら何を生み出しても問題ない、ということにはならないでしょう?」
「……あ」
ユノはようやく、少しだけ考え込んだ。
しかし、それでもまだ、事の重大さを十分には理解できていないようだった。
「でも、皆さんの荷物が減ったら便利かなって……」
「その動機は分かっているわ」
ミレイの声が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「あなたが仲間の役に立ちたくて考えたことも、そのために努力したこともね。そこを責めているわけではないの」
「はい……」
「ただ、あなたが便利だと思っているものを、世間の人間も同じように受け取るとは限らない。そこが問題なのよ」
ユノは不安そうに、仲間たちの顔を見回した。
◇
「ミレイの言うとおりだ」
口を開いたのはゲオルグだった。
彼は小さくなった毛布をユノに返し、落ち着いた声で続ける。
「ユノ。お主がワシ達のために考えてくれたことは、ありがたいと思っている」
「ゲオルグさん……」
「じゃが、世の中には、便利なものを見れば、それを自分の利益に利用しようとする人間もいる」
ゲオルグは経験豊富な冒険者だった。
人の善意を信じることと、世の中の危険を知っておくことは、両立する。
「もし、その魔法の価値を知った、邪な考えを持つ者がお主を利用しようとしたら、どうするのだ?」
「それは……」
ユノは答えられなかった。
「すぐに答えられなくてもいい。じゃが、考えておく必要はある」
ゲオルグはそれ以上、ユノを追い詰めるようなことは言わなかった。
代わりに、エルマがそっとユノの肩に手を置く。
「ユノ。私たちは、あなたが新しい魔法を作ったことを怒っているわけではありませんよ」
「……はい」
「ただ、あなたが頑張りすぎてしまわないか、心配なんです」
エルマは穏やかに微笑んだ。
「皆さんの役に立ちたいと思ってくださるのは、とても嬉しいです。でも、そのためにユノが一人で何もかも背負う必要はありませんからね」
ユノは唇を結び、ゆっくりと頷いた。
「……分かりました」
「うん。よろしい」
エルマは優しく頷き返した。
その横で、ジュリオが頭を掻いた。
「まあ、俺としてはだな」
いつもの軽い調子で口を開く。
「荷物が減るのは大歓迎なんだよ。特に、あの重たい野営道具が小さくなるなら、俺の腰も大喜びだ」
「ジュリオさん……」
「だが、ミレイたちの言うことも分かる。便利だからって、何でもかんでも人に見せりゃいいってもんじゃない」
ジュリオはユノの頭を軽く小突くような仕草をした。
「こういうことを思いついたら、まずは俺たちに相談しろ。いいな?」
「……はい」
「よし。じゃあ、これからは俺が――」
「ジュリオ。お主が一番、秘密を面白がって喋りそうだが」
ゲオルグの指摘に、ジュリオは胸に手を当てた。
「心外だなぁ。俺ほど口の堅い男はいないぜ?」
「つい先日、酒場で余計なことを話しかけていたのは誰だったかしら?」
ミレイが冷ややかに付け加える。
「……あれは情報収集だよ、情報収集」
「便利な言葉ね」
エルマが小さく笑った。
そのやり取りに、ユノも思わず笑みをこぼした。
先ほどまで胸の中にあった不安が、少しだけ和らいだ気がした。
◇
「それで、ユノ」
ミレイが再び小さな毛布を手に取った。
「この魔法について、もう少し詳しく教えてちょうだい」
「はい。どこから説明すればいいですか?」
「まずは、小さくできる大きさの限界。次に、魔法に必要な魔力。解除の条件。それから、材質が異なる物にも同じように使えるのかどうか」
「えっと……」
ユノは指を折りながら考え始めた。
「大きさには限界があるみたいです。一度に大きなものを小さくするのは難しいですし、どこまでも小さくできるわけでもありません。魔力も使います」
「なるほど……」
ミレイの目が、再び研究者の輝きを帯び始めた。
「解除は?」
「私が解除すれば元に戻ります」
「小さくした状態を維持するのに、魔力を使い続ける必要は?」
「いいえ。一度小さくしたら、そのままにしておけます」
「…………」
ミレイは、再び黙り込んだ。
ジュリオがそっとゲオルグの袖を引く。
「おい。今の、また何かまずかったか?」
「分からん」
「……だよなぁ」
ミレイは小さな毛布を見つめたまま、独り言のように呟いた。
「小さくした状態の維持に継続的な魔力を必要としない……。しかも、解除によって元の状態に復元する……」
彼女は毛布を手のひらに乗せ、もう一度、その表面を指先で確かめた。
「単に物を縮めているわけではないのね。材質も、重さも、元の状態を保っている……」
「えっと……はい。」
「なるほどね……」
ミレイはしばらく考え込んだ。
やがて、何かを確かめるように口を開く。
「ユノ。ひとつ聞いてもいいかしら」
「はい?」
「この魔法を使うとき、あなたは何をしているつもりなの?」
「何を……ですか?」
「ええ。物を小さくするために、どんなことをしているの?」
ユノは少し考えた。
「うーん……。物をぎゅっと小さくする、という感じでしょうか。押し潰したいわけじゃないんですけど……大きさだけを小さくする、というか」
「大きさだけを……」
ミレイは、手のひらの毛布に視線を落とした。
そして、ゆっくりと頷いた。
「なるほど。あなたの感覚では、物を小さくしているのね」
「はい」
「けれど、実際に起きている現象は、単なる縮小とは少し違うように思えるわ」
ミレイは顔を上げた。
「物の容積を小さくしながら、材質や品質を維持している。押し潰したわけでも、折り畳んだわけでもない……」
彼女は言葉を確かめるように、静かに続けた。
「そうね。『圧縮』と呼ぶのが適切かしら」
「圧縮……?」
ユノが首を傾げる。
「ええ。物を小さくまとめるという作用を表す言葉よ。あなたがやっていることを説明するなら、その名前が分かりやすいと思うわ」
「なるほど……」
ユノは手のひらの小さな毛布を見つめた。
「じゃあ、この魔法は『圧縮』なんですね」
「ええ。少なくとも、私はそう呼ぶことにするわ」
「分かりました!」
ユノは素直に頷いた。
一方のミレイは、まだ納得しきれない様子で毛布を見つめていた。
「ただし、名前を付けたからといって、仕組みまで理解できたわけではないわ。今のところ、私に分かるのは、あなたが物の容積を変えながら、その性質を維持しているということだけ」
「……はい?」
「いえ、こちらの話よ」
ミレイは小さく息を吐いた。
「まったく……とんでもない子をパーティーに迎えたものだわ」
「ミレイさん、それって褒めてます?」
「さて、どうかしらね」
ミレイは魔法書を拾い上げ、再び木陰に腰を下ろした。
ただし、先ほどまで読んでいたページには、もう目を向けていなかった。
彼女の視線は、ときおりユノの手元に置かれた小さな毛布へと向かっていた。
◇
「……なあ、ユノ」
ジュリオが声をかける。
「はい?」
「それ、俺の荷物にも使えるか?」
「はい。大きさや重さによりますけど、試してみますか?」
「おお、頼む!」
「ジュリオ!」
エルマが少しだけ厳しい声を出した。
「先ほどの話、聞いていましたよね?」
「もちろん聞いてたさ。だから、仲間の前で試そうって話だろ?」
「そういう意味ではありません」
「はいはい、分かってますって」
ジュリオは笑いながら両手を上げた。
「まあ、急がなくていいさ。まずはユノが安全に使えるか、みんなで確かめようぜ」
その言葉に、ゲオルグも頷いた。
「そうだな。実際に使うなら、限界や注意点を知っておく必要があるじゃろう」
「私も協力します。ユノが困らないように、一緒に考えましょう」
エルマの言葉に、ユノは目を見開いた。
「皆さん……」
自分はただ、仲間の役に立ちたかった。
荷物が少しでも減れば、みんなの負担も軽くなる。野営の準備も楽になる。そう思って、何度も失敗しながら考えた魔法だった。
けれど、自分が思っていた以上に、周囲は驚いている。
そして、心配してくれている。
「……ありがとうございます」
ユノは、小さな毛布を両手で包み込むように持った。
「私、まだまだ未熟ですけど……皆さんのお役に立てるように、頑張ります」
その言葉に、四人はそれぞれ違う表情を浮かべた。
エルマは優しく微笑み、ゲオルグは満足そうに頷いた。
ジュリオは、いつもの調子で笑っている。
そしてミレイは――。
「……ユノ」
「はい、ミレイさん」
「頑張るのはいいけれど、新しい魔法を思いついたら、まず私たちに相談すること。いいわね?」
「はい!」
「……本当に分かっているのかしら」
ミレイは小さくため息をついた。
その胸の内には、魔法研究者としての尽きない好奇心と、仲間としての不安が同居していた。
ユノが生み出した魔法は、確かに便利だった。
けれど、それ以上に気がかりなのは――。
この少女は、仲間の役に立ちたいという一心で、また何か新しいものを生み出してしまうのではないか。
その可能性を、誰よりもミレイ自身が感じ取っていたことだった。
穏やかな森に、再び風が吹き抜ける。
ユノは小さくなった毛布を、大切そうに荷物の中へしまった。
その姿を見つめながら、ジュリオがぼそりと呟く。
「……なあ。次は何を作るんだろうな、あいつ」
「ジュリオ」
ミレイの冷たい声が飛んだ。
「今からそれを考えるのはやめることね……」
「はいはい……」
ジュリオは苦笑した。
しかし、その顔には隠しきれない好奇心が浮かんでいた。
――ユノの新しい生活魔法をめぐる、小さな騒動。
それは、彼女自身が思っているよりもずっと大きな意味を持つ出来事だった。
もっとも、当のユノはまだ、そのことに気づいていなかったのだが。




