第11話 エルマの買い出し
冒険者ギルドでの依頼を終えた翌日。
宿の食堂で朝食をとっていると、エルマが手元の小さな帳面を開いた。
「さて、今日は買い出しに行きましょうか」
向かいに座っていたユノが、パンを口に運ぶ手を止める。
「買い出しですか?」
「ええ。包帯や薬品の残りが少なくなってきたの。それに、携帯食料や道具の手入れに使う消耗品も補充しておきたいわね」
エルマは帳面をめくりながら、必要な品を一つずつ指で追っていく。
「薬草はまだ余裕があるけれど、傷薬は次の依頼までに補充しておきたいところね。あと、消毒用の薬品も」
「なるほど……」
「ユノも一緒に来る? 必要な物をどうやって選んでいるのか、見ておくと役に立つと思うわ」
「はい! ぜひお願いします!」
ユノは嬉しそうに頷いた。
冒険者として活動するようになって一年近く。野外での行動や魔法の使い方については、少しずつ経験を積んできた。
けれど、装備や消耗品の管理となると、まだ知らないことも多い。
エルマの仕事ぶりを間近で見られるのは、ありがたい機会だった。
「それじゃあ、出発しましょうか」
エルマが帳面を閉じる。
そのとき、隣の席からひょいと顔が出てきた。
「おやおや、買い出しかい? それなら俺も同行しようじゃないか」
ジュリオだった。
エルマは彼に目を向ける。
「あなた、何か買う物があるの?」
「いやあ、特に決まってはいないんだがね。市場を歩けば、何か面白い物が見つかるかもしれないだろう?」
「……余計な物を買わないなら、構わないわ」
「信用がないねえ、エルマさん」
「これまでの実績を考慮した結果よ」
「ははっ、手厳しい!」
ジュリオは楽しそうに笑った。
ユノは二人のやり取りを見ながら、小さく笑みをこぼした。
いつもの光景だ。
ただし、エルマの言葉が単なる冗談ではないことを、ユノはまだ知らなかった。
*
最初に訪れたのは、冒険者向けの消耗品を扱う店だった。
店先には包帯や革紐、火口箱、携帯用の小道具などが並んでいる。
エルマは迷いなく店主に声をかけた。
「こんにちは。包帯を十巻と、消毒薬を二本。それから、傷薬を五本お願いできるかしら」
「おう、エルマさん。いつものやつだな」
店主は慣れた様子で商品を用意し始めた。
エルマは並べられた包帯を一つ手に取り、布地を確かめる。次に消毒薬の容器を確認し、封の状態や内容量にも目を通した。
傷薬については、店主が出した品をすぐには受け取らなかった。
「こちら、前に仕入れた物と同じ品?」
「ああ、同じ工房のものだ。今回のは新しい入荷分だな」
「そう。それなら問題なさそうね」
エルマは品質を確かめたうえで、必要な数だけを買い求めた。
その間、ユノは隣で一部始終を見つめていた。
「エルマさん、品物の良し悪しって、そんなにすぐ分かるものなんですか?」
「慣れもあるわね。包帯なら織りの粗さやほつれ、薬品なら封の状態や保存状態。傷薬も、値段だけで選ぶわけにはいかないでしょう?」
「確かに……安くても、ちゃんと使えなかったら困りますもんね」
「そういうこと。かといって、高ければ何でもいいわけでもないのよ」
エルマは購入した品を袋に収めながら続けた。
「私たちが持ち歩ける荷物には限りがあるし、使えるお金にも限りがあるわ。必要な物を、必要な量だけ。品質を落としすぎず、無駄な出費を避ける。それが基本ね」
ユノは真剣な表情で頷いた。
冒険では、魔物を倒す力だけが重要なのではない。
必要な物が必要なときに使えること。その当たり前を維持するためにも、こうした仕事が欠かせないのだ。
「エルマさんって、買い物もすごく手際がいいんですね」
「ふふ。褒めても、今日のおやつは増えないわよ?」
「えっ、そ、そんなつもりじゃ……!」
「冗談よ」
エルマは柔らかく笑った。
ユノも照れくさそうに笑い返す。
少し離れた場所で二人を見ていたジュリオが、何やら棚の隅を物色していることには、まだ気づいていなかった。
*
必要な消耗品を買い終え、三人は薬品を扱う別の店へ向かった。
そこでエルマは、残りの予算を頭の中で計算しながら、必要な薬品を選んでいった。
薬草から作られる簡易薬と、調合済みの傷薬。それぞれの用途や値段を比較し、携行する量を決める。
ユノが感心していると、ふいに後ろからジュリオの声がした。
「おっ、こいつはいいな!」
振り返ると、ジュリオが小さな革袋を手にしていた。
「見てくれよ。新型の投げ縄だってさ。獲物を捕らえるときにも使えるし、ちょっとした仕掛けにも便利そうじゃないか」
エルマの手が止まった。
「ジュリオ」
「ん?」
「それ、今日の買い出しに必要な物?」
「いや、今日というより、今後の冒険に役立つ可能性が――」
「必要な物?」
「……必須ではないね」
「なら、戻してきなさい」
「即答!?」
ジュリオは大げさに肩を落とした。
「いやいや、エルマ。こういう道具ってのは、いざというときに役立つものなんだよ。備えあれば憂いなし、って言うだろ?」
「ええ。だからこそ、必要な備えを優先するの。あなたの装備は先日点検したばかりでしょう?」
「そうだけどさあ……」
「それに、あなたが今使っている縄も、まだ十分に使えるはずよ」
ジュリオは革袋を見下ろした。
それから、店主のほうをちらりと見る。
「……ちなみに、これって取り置きできたりする?」
「ジュリオ」
「はい、戻します」
あまりにも素早い返事に、ユノは思わず吹き出した。
「ふふっ……!」
「おや、ユノまで笑うのかい? 俺はただ、パーティーの将来を考えてだね……」
「す、すみません。でも、エルマさんには敵いませんね」
「そういう問題じゃないと思うけどねえ!」
ジュリオはぼやきながら、投げ縄を棚に戻した。
エルマはそんな彼を見て、ため息をつく。
「必要な物なら、ちゃんと予算に組み込むわ。便利そうだからという理由だけで買っていたら、いくらお金があっても足りないでしょう?」
「ごもっともで」
「分かっているならいいのよ」
叱る声は厳しかったが、エルマの表情にはどこか親しみがあった。
ジュリオもそれを分かっているのか、特に気にした様子もなく、次の棚を眺め始める。
もっとも、今度はエルマの視界から外れない位置だった。
*
すべての買い物を終えるころには、ユノの両手にもいくつか荷物が増えていた。
「ユノ、重くない?」
「大丈夫です。これくらいなら平気ですよ」
「無理はしなくていいのよ。重い物はジュリオに持たせればいいんだから」
「おっと、俺の扱いが雑じゃないかい?」
「あなた、さっき余計な物を買おうとしていたでしょう?」
「それと荷物持ちに何の関係が……」
「反省の機会よ」
「なるほど、そう来たか!」
ジュリオは笑いながら、ユノの荷物の一部を引き受けた。
帰り道、ユノはエルマの横を歩きながら尋ねた。
「エルマさんは、いつもこんなふうに買う物を管理しているんですか?」
「そうね。依頼の内容や、次にどこへ行くかによっても変わるけれど。消耗品は、なくなってから慌てても遅いでしょう?」
「はい」
「だから、残りがどれくらいあるかを把握して、早めに補充しておくの。そうすれば、急な依頼が入っても慌てずに済むわ」
エルマは一度、手にした荷物を持ち直した。
「もちろん、全部を私一人でやる必要はないのよ。みんなが自分の装備を管理してくれているから、こうして全体の不足分を補えるんだもの」
「でも、みんなが困らないように、こうして準備してくれているんですよね」
エルマは少しだけ目を丸くした。
ユノは続ける。
「私、冒険者って、魔物と戦ったり、依頼を達成したりすることが一番大事なんだと思っていました。でも、今日見ていて、こういう準備も同じくらい大事なんだなって」
「……そうね」
エルマは穏やかに微笑んだ。
「誰か一人が頑張るだけでは、パーティーはうまく回らないもの。前に立つ人が安心して戦えるように。魔法を使う人が必要な道具を使えるように。そして、斥候が余計な物を買わずに済むようにね」
「おいおい、最後のは俺への当てつけかい?」
「自覚があるなら、次から気をつけなさい」
「はいはい、善処しますよ」
「返事は一回」
「はい!」
ジュリオの返事に、ユノはまた笑った。
エルマも小さく息を漏らすように笑う。
いつも冷静で、頼りになる人。
ユノにとってエルマは、これまでずっとそんな存在だった。
けれど今日、その頼もしさの理由を少しだけ理解できた気がした。
目立つ働きばかりが、仲間を支えるわけではない。
誰かが安心して前に進めるように、必要なものを揃え、足りないものを見つけ、先回りして備えておく。
そうした小さな積み重ねが、このパーティーの日常を支えているのだ。
「エルマさん」
「なあに?」
「今度、私にも買い出しを手伝わせてください。必要な物の見分け方、もっと覚えたいです」
エルマは一瞬だけ驚き、それから優しく頷いた。
「もちろん。次は、ユノにも品物を選んでもらおうかしら」
「はい!」
「ただし、予算は守ること。ジュリオみたいに、面白そうだからという理由で買っては駄目よ?」
「おいおい、俺はもう反省したって!」
「そうでしたね。気をつけます、ジュリオさん」
「ユノまで!?」
三人の笑い声が、午後の街路に響いた。
今日もまた、パーティーのいつもの一日が過ぎていく。
その何気ない日常を守っているのが、誰よりも周囲をよく見ているエルマの、確かな仕事ぶりなのだった。




