第10話 想定外の来訪者
平原に出没するプレインズベアの討伐依頼を受け、ユノたち五人は街を出発した。
プレインズベアは、森に棲む熊型の魔獣とは少し違う。見通しのよい平原を高速で走り回るための強靭な脚力を持ち、草むらに紛れる特有の毛並みを備えている。
一度見失えば、どこから突進してくるか分からない。遮蔽物の少ない平原では逃げ切ることも難しく、新米冒険者にとっては一つの壁となる魔獣だった。
今回の討伐対象は一体。事前の情報でも、複数の個体が確認されたという報告はなかった。
「プレインズベアは足が速い。下手に追い回すと、こちらが振り回されることになる」
出発前、ゲオルグはそう説明していた。
「まずはワシが正面から受け止める。ミレイは魔法で動きを牽制してくれ。ジュリオは隙を見て攻撃。エルマは後方から支援を頼むぞ」
「分かったわ」
「了解。俺は周囲も見ておくぜ」
「ええ。皆さん、無理はしないでくださいね」
それぞれが返事をするなか、ユノも頷いた。
「私も、皆さんの動きを見ながら補助します」
以前なら、自分に何ができるのかと迷うこともあった。しかし、パーティに加わって一年。戦闘中に自分が何をすべきか、少しずつ分かるようになってきていた。
もちろん、まだ四人のように経験豊富というわけではない。それでも、仲間の動きを見て、必要なことを考える。それが今のユノにできることだった。
*
プレインズベアを発見したのは、平原の中央に近い草地だった。
風に揺れる草むらのなかに、周囲より少し色の濃い影が見える。注意していなければ見落としてしまいそうな姿だった。
「いたぞ。あそこだ」
ジュリオの声に、全員が足を止める。
プレインズベアは五人の存在に気づくと、ゆっくりと頭を上げた。鼻先を動かし、こちらの様子を窺っている。
「思ったより近いわね。風向きのせいかしら」
ミレイが小さく呟いた。
「どうする、ゲオルグ?」
「予定どおりじゃ。エルマ、頼むぞ」
「はい」
エルマは仲間たちを見渡すと、静かに詠唱を始めた。
「――プロテクション」
淡い光が五人を包み、それぞれの身体の周囲に防護の魔力が宿る。
続いて、エルマはもう一つの魔法を唱えた。
「――ブレス」
身体の奥から力が湧き上がるような感覚が、仲間たちを満たしていく。動きやすさを確かめるように、ジュリオが軽く肩を回した。
「おっ、助かるねえ。これなら動きやすそうだ」
「油断は禁物ですよ。あくまで補助ですから」
「分かってるって」
ジュリオの軽口に、エルマは微笑みながらも念を押した。
「では、始めるぞ」
ゲオルグが盾を構える。
その動きを合図に、ミレイが魔法を放った。
プレインズベアは素早く身を翻し、草を蹴って走り出す。狙いを定めにくい速度だったが、ゲオルグは慌てずにその進路を見極めた。
次の瞬間、巨体が真正面から盾にぶつかった。
鈍い衝撃音が響く。
ゲオルグの足元がわずかに沈んだものの、盾は崩れない。
「今だ!」
ジュリオが側面へ回り込み、隙を突いて攻撃する。
ミレイも魔法でプレインズベアの動きを牽制し、エルマは後方から仲間たちの状態に目を配っていた。
ユノは周囲を見ながら、仲間の動きを妨げない位置を保つ。
プレインズベアが再び突進しようとしたとき、ミレイの魔法がその進路を制限した。動きが鈍ったところをゲオルグが受け止め、ジュリオが攻撃を加える。
連携はうまく機能していた。
ユノも、四人が何をしようとしているのかを見ながら、必要に応じて動けている。
このままなら、討伐できる。
そう思った、そのときだった。
草むらの向こうから、低い唸り声が聞こえた。
「……ん?」
最初に気づいたのはジュリオだった。
彼は攻撃の手を止めずに、視線だけを声のした方向へ向ける。
「おい、ちょっと待て。あっちにも何かいるぞ」
その言葉に、ユノも顔を向けた。
草むらが揺れる。
一頭、二頭。
やがて姿を現したのは、数頭のワイルドウルフだった。
狼たちはこちらを警戒するように立ち止まり、鼻を動かしている。戦闘の物音や血の匂いに引き寄せられてきたのだろう。
その視線は、プレインズベアと五人の冒険者を行き来していた。
「ワイルドウルフ……!」
ユノは思わず声を漏らした。
プレインズベアとの戦闘だけでも、気を抜けない状況だった。そこへ別の魔物まで現れるとは、考えていなかった。
「まずいわね」
ミレイが険しい表情で呟く。
「プレインズベアの動きは鈍っているけれど、まだ倒れてはいない。ワイルドウルフまで相手にするとなると、当初の作戦では対応しきれないわ」
「ワシが熊を抑えることはできる。だが、その間に狼どもが回り込めば厄介じゃ」
ゲオルグは盾を構えたまま、周囲に目を配った。
エルマも仲間たちの様子を確認する。
プロテクションの防護はまだ保たれている。ブレスによる補助も続いていたが、これからも戦闘が続けば、負傷の危険は増していく。
「このまま戦闘が長引けば、私も支援を続ける余裕が少なくなります。皆さんの負担も大きくなるでしょう」
エルマの言葉に、ゲオルグは小さく頷いた。
「そうじゃな。無理をする場面ではないかもしれん」
「退路はあるぜ。ただ、ここで無理をすれば、狼どもに追われる可能性もあるな」
ジュリオは狼たちから目を離さず、平原の先を確認した。
五人は、いったん攻撃の手を緩めた。
プレインズベアは目の前にいる。すでに弱っており、あと少しで討伐できるかもしれない。
しかし、ワイルドウルフはまだ無傷に近い。
ユノは、ゲオルグの背中を見つめた。
盾を構える姿はいつもと変わらない。けれど、今は正面のプレインズベアだけでなく、別の方向から迫るかもしれない狼たちにも気を配らなければならない。
エルマも、いつでも支援できるように集中している。
ミレイは周囲の状況を分析し、ジュリオは退路を確認している。
みんな、まだ戦える。
でも、本当に戦い続けるべきなのだろうか。
ユノは考えた。
プレインズベアを倒せば依頼は達成できる。ここまでうまく連携できていたのだから、もう少し頑張れば何とかなるかもしれない。
けれど、その「もう少し」の間に、誰かが負傷したら。
ゲオルグが二体の魔物を相手にしなければならなくなったら。
エルマが支援を必要とする仲間を一度に何人も抱えることになったら。
ユノは、ぎゅっと手を握った。
「あの……」
声を出すと、四人がこちらを見た。
「いったん、下がったほうがいいんじゃないでしょうか」
自分でも、少し意外だった。
以前の自分なら、せっかくここまで戦ったのだから、最後まで頑張ろうと考えていたかもしれない。
「プレインズベアは弱っているけど、ワイルドウルフはまだ元気です。ゲオルグさんが両方を相手にするのは大変だし、エルマさんも支援を続けるのが難しくなると思います」
ユノは言葉を続けた。
「今なら、まだ退路があります。無理にここで倒そうとしないほうがいいと思います」
言い終えてから、ユノは少し不安になった。
自分の判断は正しいのだろうか。
せっかくの討伐依頼なのに、途中で引き返すことになってもいいのだろうか。
けれど、ゲオルグはすぐに頷いた。
「うむ。ワシも同じ考えじゃ」
その言葉に、ユノは顔を上げる。
「敵を倒せるかどうかだけを考えてはならん。今の状況で、五人全員が無事に帰れるか。それを考える必要がある」
「そうね。敵が増えた以上、当初の作戦を続ける理由は薄いわ」
ミレイも冷静に続けた。
「ここで戦い続ければ、こちらの消耗が増える。ワイルドウルフが加わったことで、戦闘の主導権を維持できる保証もなくなったわ」
「よし、いったん下がろう。狼どもを刺激しないように、距離を取りながらな」
ジュリオが退路を先導する。
「ユノ、周囲を見ながらついてこい。慌てて走る必要はないぜ」
「はい、ジュリオさん」
ユノは頷き、仲間たちの位置を確認した。
ゲオルグがプレインズベアとの間合いを保ち、ミレイが警戒を続ける。エルマは後方に注意を払い、ジュリオが安全な方向へ誘導する。
五人は互いの動きを確認しながら、慎重に後退を始めた。
ワイルドウルフはしばらくその場に留まっていたが、追ってくる様子はなかった。
十分な距離を取ったところで、五人はようやく緊張を解いた。
誰も負傷していない。
それが何よりだった。
*
平原から離れた安全な場所で、五人は今後の対応を話し合った。
「プレインズベアは討伐できなかったな」
ジュリオが肩をすくめる。
「依頼は未達成のままですけど、ギルドには状況を報告しましょう。ワイルドウルフが現れたことも、重要な情報ですから」
エルマの言葉に、ミレイも頷いた。
「ええ。今回の出現が偶然なのか、近くに群れがいるのか。それによって、次の討伐の難易度も変わるでしょうね」
ユノは少し俯いた。
「もう少しだったのに……」
ぽつりと漏れた言葉に、ゲオルグが視線を向ける。
「悔しいか?」
「はい。せっかく、みんなでうまく戦えていたのに」
ユノは正直に答えた。
「でも、あそこで無理をしたら、誰かが怪我をしていたかもしれません」
「そうじゃな」
ゲオルグは穏やかに頷いた。
「敵を倒すことだけが冒険者の仕事ではない。依頼を完遂することも大切じゃが、仲間を無事に連れて帰ることも同じくらい大切なのじゃ」
「最初に立てた作戦が、最後まで通用するとは限らないわ」
ミレイが続ける。
「状況が変わったなら、判断も変えるべきよ。むしろ、変化に気づいているのに作戦を変えられないほうが問題なの」
「そうだな。冒険者を長く続けていれば、予定どおりにいかないことなんていくらでもある」
ジュリオは軽く笑った。
「大事なのは、そこで意地を張らないことだ。引くべきときに引けるのも、立派な判断さ」
ユノは四人の話を聞きながら、今日の戦闘を振り返った。
プレインズベアとの戦闘は、決して失敗続きだったわけではない。作戦は機能していたし、五人の連携も取れていた。
それでも、予想していなかった魔物が現れたことで、状況は大きく変わった。
最初に考えたとおりに行動するだけでは、対応できないことがある。
そのとき、何を優先するべきなのか。
目の前の敵を倒すことか。それとも、仲間全員が無事に帰ることか。
答えは、きっといつも同じとは限らない。
けれど、少なくとも今日の状況では、撤退することが正しい判断だったのだろう。
「……次は、もっと早く気づけるようになりたいです」
ユノがそう言うと、ジュリオがにやりと笑った。
「おっ、いい心がけだな。まあ、次も何か起きるとは限らないけどな」
「そうですね。でも、何か起きたときに、ちゃんと考えられるようになりたいです」
「そのためにも、経験を積むことじゃな」
ゲオルグは立ち上がり、装備を整えた。
「今日のことはギルドに報告する。次の機会があれば、また挑戦すればよい」
ユノも頷き、荷物を持ち直した。
討伐を成し遂げられなかったことは、やはり少し残念だった。
それでも、今日の経験は無駄ではない。
自分の力だけで何とかしようとするのではなく、仲間の状況を見て、意見を伝え、全員で判断する。
それもまた、冒険者として成長するために必要なことなのだ。
ユノは四人の後を追いながら、次の依頼では今日より少しだけ落ち着いて行動できるだろうか、と考えていた。
その答えが分かるのは、きっと次の冒険のときだ。




