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第五章 広告費五億円

 三ツ葉エレクトロニクス会議室。

ゲーム・ステーション開発プロジェクトの定例会議が開かれていた。

モニターには試作機の3Dモデルや販売計画、部品調達状況などが映し出されている。

プロジェクトは着実に進んでいるように見えた。

だが、実際には綱渡りだった。

半導体不足。

広告予算不足。

サードパーティー不足。

問題は山積みである。

 そんな中、水野愛子が資料を見ながら口を開いた。

「半導体については、水戸君が天野電子に供給をお願いして承諾を頂きました」

その瞬間だった。

「何っ!?」

久松健司が勢いよく立ち上がる。

「貴様! どんな手を使ったんだ!?」

会議室の空気が張り詰める。

久松は机へ手をつき、水戸を睨み付けた。

「天野電子の半導体供給先は一年先まで埋まってるんだぞ!? ウチに回す余裕なんて無いはずだ!一体どうやって供給を取り付けた!?」

周囲の社員たちも同じ疑問を抱いていた。

誰も本当に成功するとは思っていなかったのだ。

しかし水戸は落ち着いたままだった。

「特に何もしてませんよ」

「そんな筈あるか!!」

久松が怒鳴る。

「そういや、お前、天野電子の担当者と連日銀座のクラブに通ってたらしいじゃないか! 多額の接待費を使って接待したんだろ!?今時、そんな接待費が経費で落ちると思うなよ!」

勝ち誇ったような表情だった。

ようやく水戸の失点を見つけたと言わんばかりである。

だが水戸は淡々としていた。

「確かに接待はしましたが、接待費は全部向こう持ちですよ」

「そんな馬鹿な話があるか!」

「じゃあ、経理に確認してみて下さいよ。なんなら天野電子の経理にも確認してみたらどうです? 向こうで払ってますから」

「ぐ……」

久松は言葉に詰まる。

(いったい、どんな方法を使ったんだ……?)

表情には出さなかったが、内心では焦っていた。

久松自身、天野電子への交渉難易度は知っている。

だからこそ、水戸の成功が理解出来なかった。

しかも、接待費まで相手持ち。

常識ではあり得ない。

「久松主任、会議を続けます。座って下さい」

愛子が静かに言う。

久松は訝しげな顔のまま椅子へ腰を下ろした。

 愛子は空気を切り替えるように資料をめくる。

「デザインに関しては、この案でいきたいと思います。モックアップを作成してブラッシュアップしていきますので、そのつもりでお願いします。皆さんの方から何かありますか?」

すると企画チームの一人が手を挙げた。

「水野課長。このままいくと広告費が全然足りません。広告費を増額してもらうか、広告を大幅に削減する必要がありますね」

愛子の表情が曇る。

「どうします? 課長」

周囲の視線が愛子へ集まる。

(広告費を増額すれば、予算管理能力を疑われる……)

愛子は内心で焦っていた。

実は一度、経理部へ相談に行っている。

しかし返答は冷たいものだった。

『増額は無理だ』

それが経理部の回答だった。

愛子は少し考えた後、重い口を開く。

「……広告を減らしましょう」

「待ってください! 課長!」

すぐに声を上げたのは水戸だった。

久松が苛立ったように睨む。

「水戸!お前、課長に意見するのか?」

「久松主任、黙ってて」

愛子がぴしゃりと言う。

「水戸君、意見があるなら聞かせて」

「はい」

水戸は立ち上がる。

 会議室中の視線が集まった。

「広告内容は本部からの指示です。そして広告費は努力目標です」

水戸は静かに言葉を続ける。

「広告内容を削減すれば、本部の指示を無視する事になります。でも広告費は努力目標なので、増額しても本部へ逆らう事にはなりません」

何人かの社員が顔を見合わせた。

確かに理屈としては正しい。

「それに、広告費を増額して売り上げが上がれば問題ありません。でも広告を削減して売れなかった場合、責任問題になります」

会議室が静まり返る。

「広告費を増額してもしなくても、売れれば成功です。そして、広告費を減らして売り上げを伸ばすより、広告費を増やして売り上げを伸ばす方が遥かに簡単です」

久松が露骨に嫌そうな顔をする。

だが水戸は止まらない。

「広告費増額については、僕が責任を負います。ですので、増額する方向でお願いします!」

堂々とした口調だった。

平社員とは思えないほど迷いが無い。

愛子は少し驚いた表情で水戸を見る。

そして静かに頷いた。

「……分かったわ。そこまで言うなら、水戸君に任せます」

久松が目を剥く。

「課長!?」

「ただし」

愛子は続ける。

「あなた自身で経理部を説得して下さい」

「分かりました。ありがとうございます」

水戸は迷わず答えた。

     ◇

 会議終了後。

廊下を歩いていた水戸へ声が掛かる。

「よう! 水戸!」

振り向くと、久松と蜂屋主任が立っていた。

蜂屋は営業部出身で、久松とつるんでいる男だった。

「久松主任、蜂屋主任。どうしました?」

「お前みたいな無能の平社員が、水野課長に意見しやがって」

久松が吐き捨てる。

「広告費なんて掛けないに越した事ないだろ」

「でも、それで売れなきゃプロジェクトは失敗です」

水戸は即答した。

「それに本社からの広告指示は、今の予算を遥かに超えてます。本社も広告費増額は想定の範囲内だと思いますよ」

「生意気な!」

久松が怒鳴る。

「水野課長も同じ事を考えて、一度経理部へ行ってるんだよ! 水野課長が出来なかった事を、お前なんかが出来る訳ないだろ!」

「そうだ!」

蜂屋も続く。

「お前みたいな無能がしつこく経理部へ行ったら、水野課長の評価が下がるだろ! 大人しくしてろよ!」

しかし水戸は引かなかった。

「そういう訳にはいきませんよ」

静かな声。

だが強い。

「プロジェクトが失敗したら、それこそ評価が下がります。だから、プロジェクト成功のために全力を尽くします!」

「無能が! 足引っ張るなよ!」

久松は吐き捨てるように言うと、蜂屋と共に去っていった。

二人の背中を見送りながら、水戸は小さく息を吐く。

だが、その表情に怒りは無かった。

むしろ静かだった。

まるで全て予定通りだと言わんばかりに。

そして水戸邦光――いや、徳川光圀は静かに歩き出す。

次に向かう先は、経理部だった。

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