その二
夜行列車というのは本当に良いですね。大抵はお客さんでいっぱいですし、決して安眠出来ないのです。それがまた良いのです。深夜二時三時に乗り込むというのは、淋しくて何となく怖くておまけに不自然で、旅をする醍醐味に満ちています。
始発終着をいきなり結んでそれで御終い。そんな列車ではなく、時刻に全然関係無く途中に嫌という程停車していく昔の夜行急行の様な列車に、今本当に乗りたいです。
いやもっと端的な例を挙げよう。私が子供の頃、まだ戦後の混乱の名残がはっきりと残っていた頃の事である。私が父に手を引かれて国鉄広島駅の前を歩いていた時、其処には生活が成り立たない多くの可哀想な人達が座り込んでいた。そして時々警察も、そして今から思えばやくざの類がその寄る辺ない人達に酷く当たっていた。或る警官が駅前に蓆を敷いて座る老婆と小さな子二人を蹴り飛ばし、場所を空けようとしていた。私はそれを見て自分が手に持っていた何かの玩具を警官に投げ付けた。かなり距離が近かったので警官は直ぐに怒った顔付きで私の方に寄ってきた。すると父が直ぐに私と警官の間に立ち塞がり、
「済みませんでした」
と頭を深々と下げて謝った。
「次やったら、親の御前を尋問するぞ」
警官は父に吐き捨てる様にそう言うとくるりと振り向き、また老婆と泣く子供二人の場所に行こうとしたが、その瞬間父は背後から警官の背にかなり全力の蹴りを放った。警官はもんどりうって地面に俯せに倒れ込み、
「ぐあっ……」
と呻いた。その直後父は警官の頭の辺りまで歩いていって、その警官のこめかみに靴の爪先で軽くではあるが再び蹴りを入れた。
「ぎゃはっ!」
そのまま警官は動かなくなった。父は私の手をぐいと引っ張ってその老婆と子供の場所にまで連れて行き、懐から紙入れを取り出して絶望の顔色を浮かべる老婆に札を何枚か手渡した。そして言った。
「暫く此処を離れていた方が良いです。二日程したら、もう大丈夫でしょう」
老婆は暫く黙って父を見詰めていたが、そのうち何度も地面に額を擦り付けて礼を言っていた。私はその時の父を絶対に忘れない。そして駅を離れる時になって父は歩きながら私に穏やかに言った。
「警官に物を投げつけるなんて事をしてはいかん。分かったな」
しかし父の顔は厳しかった。怒っている顔付きなのだが父が私に対して怒っているのでない事だけははっきりと分かった。
そんな事があった。しかし重要な事はこの後だ。私が自分を他人と違うと思うのは、この出来事を私が今に至るまで金輪際忘れられないという事だ。忘れられない、いや、ずっと記憶している。著しく謂うのであれば私はその記憶と共に育ってきた。それはその後の私の生きる様々な場面で必ず私の下す判断に直接影響した。殆ど私の生きる指針になったといってもよかった。
何故私はそういう事を忘れられないのだろう。何故私はずっとそれを記憶しているのだろう。そこにどんなものが含まれているから忘れられないというのか。私は小学校の高学年になった頃学校の友人達数人に訊いて回った事がある。
「なあ、今までの想い出の中で、何が一番忘れられん?」
両親と何処かに旅行した話、寿司を腹一杯食べる事が出来た話、好きな女の子の話、肥溜めに落ちて酷い目に遭った話、種々出てきた。しかしこれら私の友人達が答える内容というのは私なら絶対に記憶しないだろうと思うものばかりだった。そういうものがどうして『忘れられない』のだ。その話の中の何を『記憶すべき』なのだろう。特定の帯域の周波数の電波しか受信出来ないアンテナがある様に、人によって感受出来るものの範囲その領域が違っている、そういう結論にしかならないではないか。そういう体験を通して私は次第に自分が他の人間とは少し違うという事を自覚していったのである。
それが今、得体の知れない社会に飛び込む直前になって大きな不安となって湧き上がってきた。そう、私の不安はこれが主だった。これが主な構成要素だったのである。
「そういう違った種類の人間ばかりの中で、私は生きて働いていく事が出来るのか」
この想いが私を不安定な土台の上に立たせた。私は自分の考えが極端に過ぎる様にも思った。しかし同時に、
「今から御前は思い知る事になるだろう。今までは特に気にせずに来る事が出来ただろうが、これからはそうはいかん。覚悟しろ」
という声が私の内側に絶えず響くのをどうしても止める事が出来なかったのである。
備後落合に着くまで私は何度か車内を見回した。始発から乗った私は席に座る事が出来たが、始発で満員になる。途中駅から乗る人は全員立席だ。私の前に荷物を背負った老婆が来た。私は席を代わりその老婆を座らせてあげた。
「有難う御座います」
「いえ、私の荷物は小さいですから」
しかし老婆は私に礼を言ったものの殆ど笑わなかった。深い皺の刻まれた顔にこれまでの人生の苦労が偲ばれる。私は幾らか気持ちが軽くなったものの、それでも立ちながら矢張沈んだ気分で終着駅に着くのを待った。
私は馬鹿ではないつもりだ。この時だってそうだった。自分を深刻な馬鹿だと思った事などこれまでに一度たりとも無い。合理的という訳でもないが、それでも意味の分からない事をしてきた記憶は無い。貧しくはあったがあたたかな家庭で育ち、人間として何を大切にしなければならないのかも知っていると思っていた。しかし社会、いや人の世の方があんまりにも大き過ぎ、訳が分からな過ぎたのだ。
「分からないのは当然だ。私はまだ、社会に出ていないのだから」
これは当然の事だ。それで正解だった。しかしこの言葉を幾ら自分の内側で繰り返してみても私は納得出来ず、落ち着いた気持ちになる事が出来なかった。私の中には当然ではあるが自身を説得し不安を払拭する為の信頼出来る材料が少な過ぎた。私はまだ経験に拠って生きる事が出来なかった。私が頼る事が出来たのは想像と、それから最終的に私がどうしても動かす事の出来ない特定の実感だけだったのである。
備後落合に着くとぞろぞろと客が降りるが、東城から新見に向かう客と木次線で山陰松江方面に抜ける客に分かれる。この時刻だとどちらの方面にも最終列車には十分間に合うのでプラットフォームには結構な数の待ち客が屯する。しかし実はもう一つ客の流れがある。それは駅の目の前に在る旅館に入る人達である。しかし旅館の建物の大きさに比べてあまりにも多くの人がその門をくぐっている。私は不思議に思い、駅員に尋ねてみた。
「あの旅館にはあんなに沢山の人が泊まるんですかね」
駅員は私の切符を確認すると、
「いや、汽車待ちのお客さんですよ。上り下り共、この駅では深夜に走る快速が停まるんです。それに乗る時間待ちです」
と滑らかに説明してくれた。
「深夜に、ですか?」
「ええ、広島と米子を結んでいる夜行ちどりという快速ですが、この備後落合で上下共ちょうど夜中になるんですね。言ってみればこの駅の始発であり最終です。結構便利だと思いますよ。快速だから準急みたいに料金は要りませんしね」
「米子行きは何時発ですか?」
「二時四十六分」
「広島行きは?」
「二時十三分発」
都市の駅に夜中夜行列車が発着するのは別段珍しい事ではないが、こんな山間の田舎駅でもそんな時刻に出る列車がある事に私は不思議な感覚を覚えた。と同時に朝四時半の木次線の始発列車を待つ心算で居た私は、その時刻まであの旅館で過ごすというのは如何だろうかという気がしてきた。
「じゃあ、僕も行ってみます。途中下車という事で」
私が切符を差し出すと駅員は途中下車印を押そうともせず、
「分かりました。寝過ごさないで下さいね。夜中にしょっちゅう駆け込み乗車がありますから」
と言って改札を通してくれた。私はもう人の列が途切れた後をぼんやりと灯りの点いた旅館に向かっていった。
人は何かに導かれるものであると私は思っている。それは私が自分の一生を顧みて自分単独の努力で道を切り拓いてきたという自覚をもてないからだ。それは私には徹底的に無理だ。親をはじめ私は多くの人に助けられた。私は私の人生に於いて時々、何年かに一度くらいの間隔だが、私にとってとても重大なところで必ず予期せぬ事に拠って自分の進む道を示されている。導き、本当にそれではないだろうか。私をふらふらとこの駅前の旅館に連れていったのは。
旅館に入ると入り口で、
「お泊りですかー? お休みですかー?」
と尋ねられたので、
「ああ、夜行の米子行きを待ちます。飯をお願いします」
と私が言うと、
「はーい。空いてる所に座って下さーい。お風呂はどうしますかー」
と元気な声が返ってきた。成程、風呂か。私はこの旅館が鉄道の待合所として繁盛している事の理由が分かった気がした。駅のホームで待つのもこの季節ならば出来ない事ではない。飯も持参であれば困る事は無い。しかし遉に風呂はこういう旅館に頼らねばどうしようも無い。絶対に混んでいると思ったので、
「お風呂はいいです。やめておきます」
と答えた。
ブログは毎日更新しています。
https://gaho.hatenadiary.com/




